江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2004年9月26日説教(エレミヤ29:4−7、バビロンの地で祈れ)

投稿日:2004年9月26日 更新日:

1.エレミヤの手紙

・ある時、聖書の言葉がその人間を捕え、一生を変えてしまう出来事になることが起きる。私にとってエレミヤ29章はそのような言葉である。エレミヤ29章は、バビロンで捕囚になっている人々へ書かれたエレミヤの手紙だ。イスラエルは前597年にバビロニアに国を占領され、主だった人々は捕囚として首都バビロンに連行された。王や貴族、祭司、軍人、技術者等1万人に上る人が捕囚になったと列王記下24章は伝えている。

・捕囚から4年たった前594年頃にこの手紙は書かれたと言われている。当時、捕囚をめぐっていろいろの動きが出ていた。故国エレサレムにおいてはバビロニアの支配から逃れるためにエジプトに頼って国を救おうという動きが活発化していた。他方、捕囚地バビロンでは、早期に帰還できるのではないかという楽観論と、前途に希望はないという悲観論の双方が対立していた。

・その人々に対しエレミヤは手紙を書いた「家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。 妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない」(29:5-6)。捕囚はあなた方の罪のために主が与えた鞭である。それは2年や3年で終らず、70年続く。だからその地に家を建て、園に果樹を植えて自立できるようにせよ。また、帰還はあなた方の子や孫の時代になるから、妻をめとり、子を生み、その子たちにも子を生ませ、民を増やして帰還に備えよと。

・状況を考えればこの手紙は驚くべき内容を伝えている。捕囚が70年続くということは、手紙の受信人たちは生きて故郷に帰る事はないと言うことだ。人々はそれを呪いと受け取るだろう。捕囚地の人々は、ある者は速やかな祖国帰還を熱狂的に確信し、エルサレムに残った人々と反バビロニアの画策をしていた。他の者は前途を諦め、何の気力もなくなり、絶望的になっていた。その人々にエレミヤは勧める。自分たちの置かれた状況を冷静に見つめよ。あなたたちはすぐには帰れないから、その地で日常生活を営め。絶望や熱狂に陥って、日常与えられた仕事を着実に果たしえないようでは、正しく神を信じているとは言えないではないか。しかしまた捕囚は永遠に続くものではなく、試練の時が終れば祖国に帰ることを主は許される。故にその地で子を設け、子供たちにあなた方の信仰を伝えよ。


2.エレミヤ29章と私

・私がこの言葉を自分への言葉と受取ったのは、1998年11月のことである。私は大学を卒業して東京に本社を持つ生命保険会社に入社し、大半を東京本社で過ごしてきた。7年前、福岡支社駐在課長への転勤を言い渡された。その当時は本社の財務部で仕事をしており、部下も20人いた。本社の課長から支社駐在への転任は異例であり、明らかな左遷であった。知らされた時は目の前が真っ暗になったことを覚えている。また、子供たちの学校の関係で家族は動けないため、単身で福岡に転任した。都落ち的な、惨めな気持ちの中で赴任した。赴任後、支社の仕事には身が入らず、東京本社への早期帰還だけを考えていた。教会は福岡バプテスト教会に行き始めたがなじめず、籍は前の中野教会に置いたままであった。神学校は東京バプテスト神学校で2年を終えていたが、福岡の九州バプテスト神学校に転校した。しかし、勉強にも熱が入らなかった。福岡は仮の地、やがて東京に帰る時までの短期滞在の地と考えていた。

・その時、教会学校の学びを通して、このエレミヤ29章に出会った。この言葉を読んだ時、これは今の自分に語られた主の言葉だと思った。東京に帰ることのみ考えて、現在の仕事や学びに上の空だった私に対して「その地に根を下ろせ、訓練し育てるためにあなたを福岡に送った」と主は言われた。この言葉に接して福岡での生活が変わった。仕事は九州管内企業への財務営業であったが、取引のない地場企業への接触を活発に始め、それなりの成果も出てきた。教会も福岡バプテスト教会に転籍し、成人科の教師として毎週の学びのための自作テキストを作り始め、大勢の人が出席し始めた。神学校の学びも本格化し、東京では持てなかったような先生たちとの個人的交わりも持てるようになった。

・福岡に行って最初の1年間は地獄だった。エレミヤ29章に出会った残りの1年間は充実した時であった。そして2年の時が過ぎ、神学校を卒業するという時に、会社がリストラ策として希望退職者を募り始めた。その時まで家族の生活や子供の学資を考えれば牧師になることは考えられなかった。しかし、退職金によって、子供の学資と当面の生活費の目処がつき、会社を辞め、牧師になった。災いとしか思えなかった福岡への転任と会社の業績悪化が牧師になる道を開き、エレミヤ29章がその道を導いた。

3.捕囚とイスラエルの民

・エレミヤの手紙は当時の捕囚民には慰めにならなかった。人々は自分に都合の良い言葉しか聞こうとしないからだ(〓テモテ4:3-4「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。・・・人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります」)。捕囚民はエレミヤの勧めを無視し、祖国に残った人たちと手を組んで、バビロニアに反乱を起こし、その結果、前587年にはエレサレムの町は再度占領され、イスラエルは滅ぼされた。捕囚民が帰還を許されたのはバビロニアがペルシャに滅ぼされた前538年、最初の捕囚から60年後のことだ。捕囚は70年続くと言ったエレミヤの預言通りになった。

・国を滅ぼされ、帰還の道を断たれた民は、神は何故イスラエルを滅ぼされたのかを求めて父祖からの伝承を集め、編集していった。その結果、神を離れ、奢り高ぶった罪が罰せられたことが捕囚であることを知り、悔改めた。創世記や出エジプト記等のモーセ五書が最終的に編集されたのは、この捕囚期であると言われている。イスラエルの民は捕囚により、ダビデ王家とエルサレム神殿を中心とする民族共同体から、神の言葉、聖書を中心にする信仰共同体に変えられて行った。

・河野進と言う牧師がいる。彼が次のような詩を歌っている「病まなければ、ささげ得ない祈りがある。病まなければ、信じ得ない奇跡がある 。病まなければ、聞き得ない御言葉がある 。病まなければ、近づき得ない聖所がある 。病まなければ、仰ぎ得ない御顔がある 。おお、病まなければ、私は人間でさえもあり得ない」。捕囚にならなければわからない真実があり、左遷されて苦しまなければ聞けない神の言葉がある。

・エレミヤは手紙の中でバビロニアのために祈ることを勧めている「私が、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから」(29:7)。当時の事情を考えた時、これもまた驚くべきことである。エレサレムを滅ぼし、自分たちを捕囚の運命に遭わせた憎むべきバビロニアのために祈れという。バビロニアがエルサレムを滅ぼしたと考える時、バビロニアは憎しみの対象になる。しかし「神がバビロニアを使って私たちを懲らしめられた」と考える時、バビロニアもまた祈りの対象となる。誰が主語か、神かバビロニアかによって、物事の意味が変わってくるのだ。捕囚を通してイスラエルの信仰は狭い民族宗教から、世界の諸民族の救いのためのものに変えられて行く。神の救いは、裁きを、あるいは苦難を通して為される。人は砕かれないと、神の言葉を聞こうとしないからだ。捕囚の民は歴史を自分の出来事として経験することによって、神の導きに応答することが出来た。私たちも自分の周りに起きる出来事の中に神の経綸、導きを認める時、苦難が祝福に変わっていく。

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