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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2004年8月15日説教(創世記50:15-21、神の赦しと平和)

投稿日:2004年8月15日 更新日:

1.8月15日と9月11日

・今日は8月15日、終戦記念日である。1945年8月が過ぎて日本は平和になったが、世界は平和にならなかった。1945年以降も多くの戦争があり、大勢の人が死んでいった。そして2001年9月11日に新たな戦争が始まった。その日に、ニューヨーク・国際貿易センタービルが破壊され、3000人が死に、アメリカは報復としてアフガニスタンを空爆し、イラクに侵攻した。その結果、新たに何万人もの人々が殺された。何故戦争はなくならないのか、何故平和が来ないのか、私たちは知りたい。終戦記念日の今日、創世記50章を共に読んで、平和とは何かを考えて見たい。

・創世記50章はヨセフ物語の最終章である。ヨセフはヤコブの11番目の子として生まれたが、父ヤコブはヨセフを偏愛した。ヨセフは父の寵愛を受けて兄達を見下し、兄達はヨセフを憎み、エジプトに奴隷として売り飛ばした。ヨセフが17歳の時であった。エジプトへ売られたヨセフは、多くの試練を与えられる。宮廷役人の家に仕えるが、やがて無実の罪で投獄され、苦しめられる。しかし、獄中で王の給仕役と知り合い、その知遇を得て、エジプト王の前に出る機会を与えられる。飢饉が迫った時、ヨセフは穀物を備蓄して飢饉に備えるように王に進言し、これが容れられて、ヨセフは国の司に取り立てられた。ヨセフ30歳の時である。

・数年後に、大飢饉が中東を襲った。エジプトはヨセフの政策により食糧を備蓄していたため、この災害を逃れることが出来たが、多くの国々では食物が底をつき、人々は食糧を求めて、エジプトに来た。その中にヤコブとその息子達もいた。こうしてヨセフは自分を奴隷として売った兄弟たちと再会する。しかし、今のヨセフは、前のヨセフではない。エジプトでの苦難の日々がヨセフを変え、自分の力で生きているのではなく、神によって生かされている事を知る者とさせられた。飢饉を通して、兄弟達と再会したヨセフは、兄弟達に言った「神が私をあなた達より先にお遣わしになったのは、この国にあなた達の残りの者を与え、あなた達を生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。私をここへ遣わしたのは、あなた達ではなく、神です。」(創世記45:7-8)。

2.赦しによる平和

・ヤコブとその一族はエジプトに住み、ヤコブは平和の内に死んだ。父ヤコブが死んだ時、兄弟たちは、ヨセフが昔のことを根に持って、自分たちに報復するのではないかと恐れた。ヨセフの赦しの言葉を信じ切れなったからだ。兄弟たちは人を介してヨセフに言った「お父さんは亡くなる前に、こう言っていました。『お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに、兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの咎と罪を赦してやってほしい』。お願いです。どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください」(創世記50:17-18)。ヨセフはこれを聞いて涙を流し、兄弟たちを呼んでいった「恐れることはありません。私が神に代わることができましょうか。 あなたがたは私に悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです」(50:19-20)。

・悪をたくらむの『たくらむ』と言う言葉はヘブル語の「カシャブ」であり、神はそれを善に変えの「変え」も同じ「カシャブ」という言葉だ。あなたたちは私をエジプトに売ると言う悪をカシャブしたが、神はあなたたちの悪をあなたたちの救いという善にカシャブされた。神がそうされたことを知った以上、あなたたちに報復するという悪を私が出来ようかとヨセフは言ったのだ。苦難はその理由がわからない時は、これに耐えることは出来ない。しかし、その苦難が神から与えられた試練であることを知った時、苦難は福音になる。苦難を通して、神が共におられることを知るからだ。

・2001年9月11日にテロリストによってハイジャックされた飛行機がビルに突入し、3000人が死んだ時、アメリカの指導者達はこれが神の導きであると信じることは出来なかった。アメリカ人は、自分達は悪者に囲まれており、今自分達の力で自分たちを守らなければ、自分達は滅んでしまうと恐れた。だから、テロリスト達の本拠地と思われていたアフガニスタンを攻撃し、その軍事的支配権を握った。しかし、恐怖は去らない。テロリスト達はイラクにもいるかも知れない。そしてイラクにも侵攻した。

・自らの身を危険から守ろうとするのは当然だ。しかし、自分を絶対安全の状況にしたいと思うとき、それは神の守りを捨て去る行為になる。神の守りがない時、人は恐怖から過剰に攻撃的になり、相手も反撃する。平和とは戦争のない状態ではない。軍事力によって強制的に戦闘が中断しても、それは平和ではなく、やがて崩れる。アフガニスタンやイラクの情勢が私たちに教えるのは、平和は攻撃や恫喝からは来ないということだ。

3.神の経綸

・今日の招詞にイザヤ55:8-9を選んだ。次のような言葉だ「私の思いは、あなたたちの思いと異なり、私の道はあなたたちの道と異なると主は言われる。天が地を高く超えているように、私の道は、あなたたちの道を、私の思いは、あなたたちの思いを、高く超えている。」

・9月11日にニューヨークで3000人が殺された時、神はそこにおられた。アフガニスタンの空襲で幼い子供達が死んでいった時も、神はそこにおられた。アメリカ人とイラク人が殺しあうイラクの地にも神はおられる。もし私たちが神はそこにおられ、神は悪を善に変える力をお持ちであることを信じるならば、世界は変わる。ニューヨークで3000人を殺したテロリストの悪も、イラクを先制攻撃したアメリカの悪も善に変わりうる。

・ヨセフは神の導きを信じて兄弟達を赦した。そのことによってイスラエル民族はエジプトに住み、そこで増え、モーセに率いられてエジプトを出る時には、一つの国民を形成するまでになった。もし、ヨセフが神を信じず、感情のままに兄弟達に報復していたならば、イスラエル民族はなかったであろう。悪を行うのは人間だ。しかし、その悪の中にも神の導きがあることを信じる時、その悪は善に変わる。

・今日の招詞はバビロンに捕囚された預言者が歌ったものである。イスラエルは神に選ばれた民であることを誇り、おごり高ぶっていた。イスラエルに悪が満ちたため、神はバビロンを用いてイスラエルを滅ぼし、その民を異国の地に捕囚とされた。捕囚の時、人々は、何故神はイスラエルを滅ぼされたのか、何故そのように怒られたのかを捜し求めるために、父祖からの伝承を集めていった。人々は民族の歴史を振り返り、自分達が神を忘れておごり高ぶった人間の歩みをしていた事を知り、悔い改め、神に祈った。その祈りがイザヤ55章である。自分達を愛するがゆえに、神はこらしめとして国を滅ぼされ、自分たちを異国に流された。その神の思いを知った感謝がこの言葉の中にある。

・ニューヨークのビルが破壊された時、アメリカは報復のためにアフガニスタンやイラクを攻撃する他に、もう一つの選択肢があった。「何故、イスラムの人々はアメリカを憎むのか。私たちの何に怒っているのか」、もしアメリカの指導者がそう考えたならば、2001年9月11日以降の歴史は異なったものになったであろう。歴史を形成するのは人間である。人間が決断の時に、神の声を求めれば、歴史は開いた平和の道になり、自分達の思いで行動するならば、歴史は閉じた憎みあいの道をたどる。歴史は、あるいは人生は、神の赦しに支えられている。

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