1.伝道者パウロ
・使徒パウロは、初代教会においてペテロと並ぶ大伝道者であったが、その最初は教会の迫害者であった。彼は熱心なパリサイ派に属し、ユダヤ教の伝統を否定するキリスト教会を異端とし、ダマスコのクリスチャンたちを捕らえるために旅をする途上でキリストに出会った。そして、改心し、キリストの宣教者になった。ユダヤ教の擁護者が一転してキリスト教会の宣教者になったわけであり、ユダヤ当局からは裏切り者として命を狙われ、キリスト教会からはその前歴のため信用されず、傷つけられたパウロはエルサレムを離れ、シリヤに向かった。アンテオケ教会に迎え入れられたパウロはやがて教会から派遣されて、アジア州(今日の小アジア、トルコ地方)からマケドニア、ギリシャへの伝道を行い、各地に教会を設立していった。エペソ、ピリピ、テサロニケ、コリント等の教会はパウロの数次にわたる伝道旅行の結果生まれた教会であった。使徒行伝は福音がエルサレムからローマに伝えられていった歴史を記したものであるが、それをなしたのはパウロである。
・使徒行伝20章はそのパウロの三回目の伝道旅行を背景にしている。彼はエペソに2年間滞在して伝道したが、アルテミス神殿の信奉者から迫害されて騒ぎになり、コリントに逃れ、そこから船でエルサレムに戻ることになった。当時、エルサレム教会と異邦人教会の間には亀裂があり、それを修復するために異邦人教会から献金を募り、エルサレムに持ち帰る意図をパウロは持っていた。パウロと諸教会の代表7人がコリントからシリヤに向けて出航しようとしたところ、パウロの命を狙う陰謀があることが分かり、急遽陸路をマケドニアに戻った。そして、船でアジア州のトロアスに行き、トロアスからエルサレムに戻ることになった。パウロと同行の人々はトロアスで7日間滞在した。そのトロアスで事件が起きた。それが今日の宣教箇所である使徒行伝20:7-12の出来事である。
2.トロアスで起こったこと
・トロアスは小アジアの突端、海峡をはさんで、ヨーロッパと向かい合うところにある、港町だ。近くには有名なトロイがある。そこにもパウロの設立した教会があり、人々は出発を前にしたパウロを囲んで主日礼拝を持った。使徒行伝の記事によれば、礼拝は夜行われたらしい。教会に集う人々は、多くは奴隷として昼間は主人のために働き、夜しか教会に集まれなかった。当時は日没まで働くのが普通であり、人々が集まったのは夜の7時ごろ、説教が始まったのは夜の8時ごろであろうか。パウロの説教は力が入り、夜中まで続いたとある(20:7)。パウロはトロアス教会の人たちとはもう会えないかもしれないとの思いがあり、その熱心で説教が4時間を越えた。しかし、パウロの熱弁も集まった人たちの眠気を防ぐことは出来なかった。人間の集中力はそんなに長くは続かない。おまけに、彼らは一日激しい労働に従事して疲れており、部屋は人いきれで暑かった。彼らは疲れに負けてうとうとし始めた。
・信仰や礼拝に眠りはつき物である。イエスは捕らえられる前の晩にゲッセマネで夜を徹して祈られたが、疲れきっていた弟子たちは眠り込んでしまった。その弟子たちにイエスは言われた「 誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い」(マタイ26:41)。私も4年間、夜間の神学校に通った。夕方の6時に会社を出て、6時半から8時半までの2時間の授業を受ける。眠るまいとしてもうとうとと眠り込んだことが何度もある。皆さんも礼拝中に眠り込んだ経験をお持ちかも知れない。「心は燃えても、肉体は弱い」のである。
・トロアス教会の礼拝でも、エウティコという青年が礼拝中に眠り込んでしまった。礼拝は屋上の間で行われていたが、彼は窓際に腰掛けていて、眠り込んでしまい、下に転落した。人々は驚き、礼拝は中断され、みんなで階下に下りてエウティコを抱き起こしてみると「もう死んでいた」(20:9)。パウロは彼に人工呼吸を施し、言った「騒ぐな、まだ命がある」。おそらくエウティコは落下したショックで仮死状態になり、パウロの手当てで息を吹き返したのであろう。パウロたちはまた屋上の間に戻り、主の晩餐式を共に行い、今後のことを夜明けまで話し合って分かれたとある(使徒行伝20:11-12)。エウティコの出来事があったにもかかわらず、礼拝は再開され、交わりの時が持たれた。
3.騒ぐな、まだ命がある
・パウロは「騒ぐな、まだ命がある」と言った。彼の言葉を直訳すれば「彼の霊=プシュケーはまだ彼のうちにある」という意味である。私たちの日常でも、多くの予期しない出来事が起こる。そういう時、私たちは騒ぎたち、あわてる。しかし、パウロは言う「騒ぐな、まだ命はあなたの中にある。神が許さない限り、あなたの髪の毛一本も損なわれることはない。神に信頼して静かにしていなさい」と。
・先週の日曜日の夜、NHKスペシャルで、武蔵野東学園の紹介があった。自閉症児と健常児の混合教育を行っている学校である。武蔵野東の場合、昭和39年に幼稚園を開設した時、自閉症の入園希望者があり、その子を入園者として受け入れたことから、自閉症との取り組みが始まった。やがて、その子は卒業の時になったが、字自閉症児を受け入れてくれる小学校がない。父兄のたっての要望で、小学校が設立され、次に中学、今では高校もある。テレビで紹介されたのは、その高校で、全生徒228名のうち、101名が自閉症児で、健常者とパートナーを組み、共に学んでいる。
・この学校に入って来る健常者も、世間的にはハンデキャップを負っている。ある者は中学でいじめられて不登校になり、別の者はいじめが原因で人前では一言も話さなくなった。他の高校を中退して来る子供たちも多い。不登校だった少年が自閉症児とパートナーを組み、その生活の手助けをする。彼がいないと相手の自閉症児は困るから、彼は学校を休まなくなる。いじめられて言葉を失った少女は、言葉を出さないと自閉症の子とコミニケーションが出来ないから、無理にも話すようになり、言葉を回復していく。自閉症の子供たちも、他の子供たちとの交わりの中で、無表情だった顔が笑ったり、泣いたりするようになる。ここで見られたのは、障害児と健常児が共にいることで、双方共にいやされていく光景だった。
・もし、私の子が自閉症だったら、どうするだろうかと思った。恐らくは、病院から病院へ、医者から医者を駆け回って、何とか治療の方法がないかを模索し、最後に言うだろう「もう、だめだ」。しかし、この武蔵野東学園の親たちは聖書の言葉を聞いた「騒ぐな、まだ命がある。この子達は生きている」と。私は子供との軋轢が原因で46歳の時に神学校に入ったが、当時の子供の状況を考えると、登校拒否を起こして部屋に閉じこもっておかしくない状況だった。もし、子供がそうなっていたら、あわてただろうと思う。この学校に健常児を送り出している親たちも同じような経験をしている。その子供たちが自閉症児とのふれあいの仲でいやされていく。「彼の魂=プシュケーはまだ彼の中にあった」のだ。「騒ぐな、まだ命がある」のだ。
・その命を回復するものは「共にいる」ものの存在だ。今日の招詞にハガイ2:4を選んだ。本年度の教会主題聖句だ。「今こそ、ゼルバベルよ、勇気を出せと/主は言われる。大祭司ヨツァダクの子ヨシュアよ、勇気を出せ。国の民は皆、勇気を出せ、と主は言われる。働け、わたしはお前たちと共にいると/万軍の主は言われる。」
・国を滅ぼされてバビロンに捕囚として連れて行かれた民が、50年ぶりに解放されて、エルサレムに帰ってきた。彼らが見たのは、自分たちが住んでいた家には今は異邦人が暮らし、彼らの畑も他人のものとなり、神殿は廃墟になっていた現実だ。帰還民が見たものは、何もない空虚だった。民は何をする元気もなくなり、呆然として日々を過ごした。その民に預言者を通して神の言葉が与えられた「今こそ勇気を出せ、私が共にいる。あなたは死んでいない。これから命を取り戻すのだ」。今日、私たちはみ言葉をいただいた「騒ぐな、主が共におられる。まだ、命がある」。