江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2003年12月7日説教(ヨハネ5:1-18、不適格者を憐れまれる神)

投稿日:2003年12月7日 更新日:

1.38年間苦しんだ病人のいやし

・12月7日はアドベント第二主日だ。人々は2000年間の間、キリストの誕生を待つアドベントの時を過ごしてきた。なぜ、2000年前に死なれた方が、こんなにも人々の心を惹きつけ続けるのか。それは聖書を通して出会ったキリストの限りない優しさに、人格が変えられる感動を多くの人々がしてきたからだと思う。そのイエスのやさしさを示す一つの出来事が、ベテスダの池のほとりで為された病人のいやしの記事だ。

・「エルサレムの羊の門の傍らに、ヘブライ語で『ベトザタ』と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった」(ヨハネ5:2)。ベトザタあるいはベテスダと呼ばれる池は、エルサレムの北にあった貯水池であった。「五つの回廊」があったとは、池を取り巻いて5つの建物が建てられていたのであろう。「この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。[彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである]」(5:3-4)。恐らくはラジウム等の鉱物を含む水が湧き出る間欠泉であった。地下水が地下の空洞に貯まり、それが一定量を超えると圧搾されていた空気の圧力で、池の中に流れ込む。その時御使いが降りてくると信ぜられ、その信仰で病気が治ってしまった人たちがいたのであろう。あるいは鉱泉であるから、水の中に病気をいやす成分が含まれていたのかもしれない。病がいやされるところから、ベテスダ、ヘブル語で「憐れみの家」と呼ばれた。今日でも欧米では、病院や施設に「ベテスダ」と名をつけるところが多い。

・病気が治るとのうわさから、大勢の病人が集まり、病人を世話するための施設がつくられ、雨露をしのぐために回廊が設けられた。病人は池のほとりで水の動くのを待っていた。最初に水に入った者がいやされるとの言い伝えがあったからだ。いやされて帰った人もいるだろうが、先に入ることの出来なかった人は、いつまでも待たされた。水がいつ動くか予想がつかないので、一番に入ろうとする人は昼夜を問わずここに寝起きする。食事は家族が運んで来たのであろう。身寄りのない人のためには施しをする篤志家がいたかも知れない。しかし、幾ら待っても機会が来ない人もいた。

・「さて、そこに38年の間、病気に悩んでいる人があった」(5:5)。病人は沢山いた。しかしイエスは一人の人だけに注目された。この人の病気については、原因が何かはわからない。大人になって発病して、38年も治らなかった。この人が発病して38年経過したとは、この病人はもうかなりの高齢になっていた。20歳で発病したとしても58歳だ。彼は病気のいやしを求めて多くの医者にかかり、薬を求め、加持祈祷もしてもらったが治らなかったのであろう。今、最後の頼みとして、評判の高いベテスダの池に来ていたが、そこでも治らなかった。彼はもう全てをあきらめている敗残者だった。イエスはそのような人の声をかけられた。

・「イエスはその人が横になっているのを見、また長い間患っていたのを知って、その人に『治りたいのか』と言われた」(5:6)。先ず、「見られた」。誰が見ても彼が寝たきりの病人であることは分かる。しかしイエスはこの人が長年患っていたのを「知られた」のである。そして、この人の悲しみを「憐れまれた」。その問いかけが「治りたいか」という言葉である。

・「この病人はイエスに答えた、『主よ、水が動く時に、私を池の中に入れてくれる人がいません。私が入りかけると、ほかの人が先に降りて行くのです』」(5:7)。最初は家族や友人が彼を助けてくれたであろう。しかし、病気が長引くに連れ、誰もいなくなった。社会も彼を見捨てていた。このような光景は現在でもいたるところにある。老人ホームを訪ねると、誰も訪ねてこない孤独な老人が何とたくさんいるかを私たちは知る。しかし、誰も関心を持たなくともイエスは関心をもたれる。「イエスは彼に言われた、『起きて、あなたの床を取り上げ、そして歩きなさい』。すると、この人は直ぐにいやされ、床を取り上げて、歩いて行った」(5:8-9)。イエスの憐れみがこの老人をいやしたのだ。


2.安息日論争

・38年も病にあった人がいやされた日は、安息日であった。そのため病がいやされたことを喜ばず、安息日にいやしが為されたことを問題にする人たちがいた。「その日は安息日であった。そこで、ユダヤ人たちは病気をいやしていただいた人に言った。『今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない。』」(5:9-10)。安息日とは週の第七日であり、この日は一切の業を止めて休まなければならないと律法に定められていた。この定めをユダヤ人は厳格に守った。戒めのうち最も大事なものは「神を愛し、人を愛する」ことであった。しかし、このような抽象的な戒めは守りにくい。そこで守りやすい、見える戒めである安息日規定が、厳格化されていった。彼らは安息日を正しく守ろうとして、規定の解釈に力を入れた。どこまでが安息日に許される業であるかを規定した。例えば安息日に移動できる距離を決めた。床の上に病人を載せて運ぶなら許されるが、人が載っていない床を運んではいけないと規定した。生きるか死ぬかの瀬戸際であれば、安息日であっても治療して良いが、命に関わるほどでなければ、治療は翌日に延ばすべきであると定めた。いやされる側にも細かい規定が課せられた。安息日に床を上げて運んではならない。治ったとしても、その日は一日寝ているべきだ。

・しかし、細かい規定を守るようになるほど、規定の本来の意味が忘れ去られてしまう。休んで神の前に平和な一日を過ごしなさいと安息日が与えられたのに、彼らは安息日にいやされた人がいるのを見ても喜べなかった。またイエスが安息日違反をしたからといって、イエスに怒り、彼を殺そうとした。38年間病の床に臥せっていた人がいやされたことは祝福であるのに、これを喜べない。それが人間の社会である。

3.一人の人を慈しまれるイエス

・今日の招詞にルカ15:7を選んだ。「言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」。99匹の羊を置いて1匹の羊を探しに行く羊飼いの例えの最後にイエスが言われた言葉だ

・私たちの社会では「最大多数の最大幸福」が支配原理だ。99匹の幸福のためには、1匹が犠牲になるのは止むを得ないとされる。病気も治すことが優先され、治らない病者は迷惑な存在になる。慢性疾患を持つ老人は3ヶ月ごとに転院を迫られる。3ヶ月を過ぎると保険診療点数が低くなり、病院の収益を圧迫するからだ。車椅子の人がバスに乗るのも大変だ。事前にバス会社に連絡し、停留所に待機し、人々の冷たい視線の中でバスを利用する。最近は車椅子の人も乗れるノン・ステップバスが増えてきたが、利用者はほとんどいない。利用できる体制になっていないからだ。株式市場では「非効率な会社は去れ」と言われ、利益率の低い企業は淘汰されて当然だと言われる。そのために失業しても、全体経済のためには必要な犠牲だと言われる。人員整理して利益が増えれば、会社の株価は上がる。適者生存を掲げる私たちの社会は、不適格とされた者にはやさしくない社会だ。

・しかし、イエスはその不適格者も生存して良いと言われた。迷わない99匹の羊を置いてでも、迷っているあなたを助けに行くと言われた。38年間も病に苦しむ老人は社会の生産には寄与しない。だから、彼が治っても治らなくても社会は無関心だ。誰もこの人の回復を喜んでいない。しかし、イエスは喜ばれる。

・人は順調な時には、自分は適格者であると思い、不適格とされた人の痛みを知らない。私も45歳になるまでは、自分は「適格者」だと思っていた。大学を出て会社に入り、相応の収入を得て、日曜日には教会に行き、家族にも恵まれていた。有能な企業人、良い社会人、良い家庭人、良いクリスチャンだと思っていた。しかし45歳の時に長男と衝突し、彼に怪我を負わせた。子供は私を似非クリスチャンと呼び、私に口を聞かなくなり、食卓を共にしなくなった。その時から、世界が変わった。長男との出来事を通して、本当の自分の姿が見えてきた。本当の自分は家族よりも自分の体面を大事にするエゴイストであり、日曜日ごとに教会に行っていてもその本質は何も変わっていない姿が見えてきた。人生の適格者だと思っていたのに、「人間として不適格者」だったことを知った時の、惨めな気持ちを忘れることは出来ない。苦しくて聖書を貪るように読み始め、もっと知りたくて夜間の神学校に通い始めた。そして、このような私でも赦すと言われるイエスに出会った。

・38年間も病に苦しんで、社会から「お前は要らない」と言われていた男は私だったのだ。それが長男との出来事があるまで見えなかったのだ。この世の最大の不幸は、順調な時は本当の姿が見えなくなることだ。ユダヤ人は安息日を大切にする余り、安息日規定を守らないイエスを憎み、殺そうとした。安息日に病者がいやされることと、安息日に人を憎むのとどちらが相応しいかは明らかなのに、ユダヤ人にはそれが見えなかった。見えないときにはイエスはただの通りすがりの人であり、救い主ではない。私たちもそうだ。自分が健康であり、適格者だと思い込んでいる時にはイエスが見えない。

・絶望に沈んでいる時に、イエスが私を憐れんでくれた。あなたが不適格者、罪人であっても受け容れると言われた。あなたの罪のために自分は死んだのだと言われた。私の信仰はこのイエスとの出会いによって生まれた。そして、私が出会ったように、多くの人が2000年間にイエスに出会ってきた。だから、2000年前に死なれたイエスは今も私たちの心の中に生きておられるのだ。だから、アドベントのこの時に、イエスが来られたことを喜ぶのだ。

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