1.受難と復活
・伝承によれば、イエスは紀元30年4月7日に十字架上で死なれたという。イエスが死なれたのは過ぎ越しの祭の金曜日、ユダヤ暦ニサンの月の14日である。ユダヤ歴は太陰暦であり、キリスト教会はこの暦を太陽暦に直して用いるから、イースターは毎年変り、現在の規定では、春分の日後の最初の満月後の主日とする。今年は春分の日が3月21日、満月が今日3月29日、そのため3月31日が復活日(イースター)、受難日はその3日前として今日3月29日になる。
・日本ではクリスマスの方が盛大に祝われるが、聖書的に考えれば、受難と復活を記念するイースターこそ教会の中心的出来事である。パウロは言う、「もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい」(1コリント15:14)。今日は私たちの信仰の中核とも言うべきキリストの十字架と復活についてご一緒に御言葉から聞きたい。
2.イエスの十字架死
・イエスは十字架の上で死なれた。十字架刑につけられる囚人は、先ず数十回の鞭打ちを受ける。この鞭は先端に金属片が組み込まれ、40回以上打てば死に至るほどのものであった。この鞭打ちにより囚人は体力を大きく消耗する。その後、十字架の支柱を囚人自らが背負って刑場まで歩く。この支柱はかなり重いもので、イエスはその重さに耐え切れずに支柱をおとし、クレネ人シモンが代わりに担いだと聖書は記す(21節)。刑場に着いたら囚人の両手首と足首は釘で支柱に打ち付けられ、さらし者にされる。そして、出血と疲労による衰弱で時間をかけて死に至らしめられる。十字架刑は非常に残酷な刑であり、通常は奴隷や反逆者にだけ適用される拷問刑である。イエスはその拷問刑を受けて死なれた。
・イエスは朝の9時に十字架にかけられ(25節)、昼の12時になった時、全地は暗くなり、3時まで続いたという(33節)。「全地が暗くなった」、ある人は砂嵐で太陽が隠されたからだといい、別な人は日食があったという。何らかの天変地異があったのであろう。何があったのか歴史的には解らない。
・3時になった時、イエスが叫ばれた「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」(34節)。アラム語で「我が神、我が神、何故私をお見捨てになったのですか」と言う意味である。文字通りに取れば、イエスは神の見捨ての中で死んでいかれた。古来、多くの人がこの言葉に躓いてきた。神の子が「何故、わたしを捨てられたのですか」と叫んで死なれる、そんなことがありうるだろうか、とてもそう思えない。人々はイエスが詩篇22編の冒頭の一節を引用されたのではないかと想像した。詩篇22編は次のような言葉で始まる。「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか」、22編はこのように神に対する嘆きで始まるが、やがて神への讃美に転調する。イエスはこの詩篇の最初の一句を叫ばれることにより、神を讃美して死んで行かれたのではないかと。
・おそらくイエスは小さい頃から親しんでおられた詩篇の言葉で自分の思いを言われた。しかし、それは明らかに讃美ではなく、嘆きであり、苦しみの叫びである。聖書そのものが、イエスは神の見捨ての中で苦しんで死んでいかれたことを隠していない。ヘブル書はそれを次のように表現している(ヘブル5:7)。「キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである」。イエスは肉において激しい叫びと涙を持って父に訴えられたとヘブル書は記す。イエスは神から見捨てられ、激しい叫びをあげて死んで行かれた。私たちはこの事実に目をつぶってはいけない。この事実をしっかり見ないと十字架の意味が解らなくなる。
・神の子が十字架で死なれたのは何故か。それは神を信じることの出来ないものが十字架を通して神と出会うためである。イエスは地上で数々のしるしを行われた。それを通してイエスが神から来られたことを人が信じるためである。しかし、人間はしるしを見ても信じない、それどころか祭司長や律法学者たちはイエスのなされた業を嘲笑して言った「他人を救ったが、自分自身を救うことができない」(31節)。他人を救った、見えない人の目を開け、歩けない者の足を癒した。それならば自分を救ってその力を見せてみよ。人間の考える救いとは世の困難や苦しみから解放され、自由になることである。しかし、そのような救いは命にとって何の意味もない。病を癒され、苦しみが取り除かれてもそれは一時的であり、やがて死が全てを終らせる。死で終るようなものは救いでも何でもない、救いとは死を克服するもの、死を超える永遠のものである。人間は神に依り創造され、神に依り命を与えられた。人間が救われるためには命の根源である神に繋がること、それしかない。
・人間はどのような時に神を信じることが出来るのか、それは自己しか愛せない人間が、その最も大切な自分の命を他人に与えるのを見たときである。イエスは十字架上で自分を十字架につけたもののために祈られ、今も自分を嘲笑する祭司長たちに反論されず、苦しみに耐えられる。神は人間がイエスの十字架の死の様を見て、神を知るものになって欲しいと願われた。しかし、人間はイエスの十字架を見ても悔改めない。祭司長たちは言った「十字架より降りてみよ、そうしたら信じてやろう」。このような人間には徹底的な死を示すしかない。人間がやがて経験する破滅を示すしかない。神は「何故私を捨てられたのか」というイエスの叫びを聞かれながらも、その叫びに耳をふさがれた。
3.復活を通して十字架を知る。
・マタイ福音書では、イエスは「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれたとある。アラム語のエロイ、エロイがヘブル語ではエリ、エリになる。多分、この方が正しいと思われる。35節にあるように、その「エリ、エリ」と言う言葉を人々が誤解して「エリヤを呼んでいる」と思ったからだ。預言者エリヤは生きたまま天に移され、地上の信仰者に艱難が望むと現れてこれを救うと信じられていた。そのため、人々はイエスの「エリ、エリ」をエリヤの助けを求める叫びと考え、「エリヤが来るかどうか見ていよう」と言った(36節)。人間はまたもや神の業を傍観者として見ようとしている。神がエリヤを遣わされたら信じよう。エリヤは来なかった。
・ローマの番兵は海綿に酸いぶどう酒を含ませてイエスに飲ませようとするがイエスは拒否された。このぶどう酒には没薬、一種の麻酔薬が混ぜてあり、飲むと痛みが軽減される。しかし、イエスは苦痛を軽減されることなく、苦しみをそのままに受けられた。そして最期に大声で叫ばれて息を引き取られた。何の奇跡も起こらなかった。
・しかし、イエスがこのように息を引き取られるのを見て、ローマ軍の百卒長は「真にこの人は神の子であった」と言ったという(39節)。何がローマの兵士にこの言葉を言わせたのか、私たちは知らない。しかし、彼はイエスの十字架に神の働きを見た。この出来事から100年もしないうちに、ローマ帝国の到る所に、イエスを救い主とするキリスト教会が立てられていった。多くの救い主と自称するものが十字架で死んでいった。その中で、何故この人の死が後の人々の魂を揺さぶったのか。十字架とそれに続く復活が多くの人々を「信じないものから信じるものに変えていった」(ヨハネ20:27)のは紛れも無い歴史的出来事であった。
・イエスの十字架の時、弟子たちはそこにいず、ただ婦人たちのみが立ち会ったとマルコは記す(40節)。弟子たちは逃げ去っていた。彼等はイエスの弟子として捕えられるのが怖かった。同時に、十字架上で無力に死ぬ人間が救い主であると信じることが出来なかった。人は強いもの、優れたものを崇めるが、弱いもの、無力なものはこれを捨てる。弟子たちはイエスを捨てた。パウロが言うように、「十字架の言葉はユダヤ人には躓かせるもの、異邦人には愚かなもの」(1コリント1:23)である。弟子たちも理解できなかった。しかし、その弟子たちがやがて「十字架で死なれたナザレのイエスこそが私たちの救い主である」と宣教を始める。何が起こったのか、イエスが復活し、その復活のイエスに出会うことにより、弟子たちが変えられていったとしか思えない。彼等は復活のイエスに出会うことにより、十字架が自分たちのためのものであることを知り、その十字架を通してイエスの降誕(受肉)の意味を知った。初代教会が復活の日を主の日として祝い始めたのが礼拝の始めである。主日礼拝こそ正にイースター礼拝なのである。
4.贖罪の死
・今日の招詞、イザヤ53章5−6節を最期に読んで共に祈りたい。「しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。」。十字架の時逃げ去り、復活のイエスとの出会いにより帰って来た最初の弟子たちは、この預言の中にイエスの十字架の意味を見出した。「イエスの受けた傷によって私たちは癒された」これが聖書の証言である。神は罪ある人間を救うために、自らを罪とされた、その裁きによって私たちは許され、癒された。英語では受難日のことをグッド・フライデー、良い金曜日と呼ぶ。イエスが死なれることにより、私たちが救われた。これ以上に良い金曜日はないではないか、正にグッド・フライデーなのである。
・木田仁逸(きだじんいち)という牧師がいる。彼の父は進行性筋萎縮症と言う難病の障害者だった。あるとき、木田は父親に聞いた「もし、神様がこの病気を治してくれるといわれたらどうするか」。父は答えたそうである「どちらにしたらいいのか解らない。どうしてかと言うと、この病気になったからこそ、神様を信じることが出来たから」。病気によって信じるものとされた。彼は20歳で発病し、67歳で昇天するまで病気で苦しめられた。しかし、この苦しみ、十字架を通して神を求め、神は答えられた。仮にこの病気が治っても自分はまた死ぬ、それを考えた時、病気が治るか治らぬかはどうでも良いこと、否、病気が治ればまた神を忘れてしまうかもしれない、神から離れるくらいであれば病気が治らないほうが良い。病気があることによって永遠の命を知ったのだから。これが十字架の力であり、これが救いの力である。
・私たちは幸福な時には神を求めない、神等なくても生きていけるからだ。苦しみの中に置かれた時、初めて私たちは神を求め、そして神は求める者には応答される。その時、私たちの苦しみが神に生かされる祝福に変わっていく。この感謝があれば病気の癒しはなくても良い。私たちがこの十字架の力に生かされた時、私たちは変えられ、新しく生きるものとなる。イエスの十字架を私たちもまた負い始めるときに、十字架は救いの力になりうる。だから私たちは教会堂の上に十字架を掲げる。