1.ダニエルが四頭の獣の幻を見る。
・ダニエル書は黙示の書である。黙示、幻を通して未来を啓示される。ダニエル書7章がその典型で、初めて読む人は、そこに何が書いてあるのか、まるで理解できないだろう。ある人は聖書の中にこのような記述があるのを見て、驚くかもしれない。しかし、ダニエル7章は驚くべきメッセージを内に秘めている。今日はダニエル書7章が何を教えるのかを共に学びたい。
・ダニエルは、ある夜、海から四頭の獣が現れる幻を見た(3節)。最初の獣は鷲の翼をもつ獅子(4節)、今の私たちにはこれが何を意味するのかわからない。しかし、当時の人々は、バビロニヤ帝国のシンボルが翼を持った獅子であることを知っていた。だから、この獣はバビロニヤを指すと人々は理解できた。次に現れたのは口に三本の肋骨を加えた熊(5節)。残忍な征服者として知られたメデヤ帝国である。三番目は四つ翼と四つの頭を持つ豹(6節)。豹はペルシャ帝国の紋章だった。第四の獣は巨大な鉄の歯を持つ(7節)。圧倒的な軍事力で世界を制圧したギリシャのアレキサンダー大王で、十本の角がアレキサンダーの後継の王たちを指す。そして、最期の角の後にもう一本の小さな角が現れる(8節)。これが、アレキサンダーから数えて11代目のシリヤの王、アンテイオコス・エピファネスである。
・ダニエルは、幻を通して、バビロニヤからシリヤまでの400年間にわたる世界の支配者の変遷を見せられた。紀元前7世紀、バビロニヤとメデイヤが世界帝国としてその権勢を誇るが、やがてペルシャにクロス王が立ち、この二つの国を滅ぼす。そのペルシャもギリシャのアレキサンダーに滅ぼされ、アレキサンダーの大帝国は、彼の死と共に四つの帝国に分裂する。その中でパレスチナの支配権はシリヤが握ったが、十一代目の王アンテイオコス・エピファネスが今、権勢を誇って、ユダヤを統治し、迫害している。そのような状況の中で、ダニエルは幻を見ている。それがダニエル書7章である。現代においては、地上の権力者はどのように表現されるのだろうか。ある人はアメリカを鷲にたとえ、ロシヤを熊にたとえ、冷戦時代を鷲と熊の戦いに例えた。ダニエル書の異様な獣たちも、それが象徴であることを知れば、その異様さは無くなる。
2.ダニエルの置かれた状況を見る
・ダニエルがこの幻を見たのは、紀元前164年ごろとされている。当時、ユダヤはシリヤの支配下にあり、シリヤ王アンテイオコスの宗教迫害に苦しめられていた。アンテイオコスは自分の植民地である小国ユダヤが自分に服さないのは、その宗教(ユダヤ教)のためだと思い、信仰の中心であったエルサレム神殿のなかに、自分の神であるオリンポスのゼウス像を建て、これを拝むように強制した。その様子が7:25―26で語られている。
「彼はいと高き方(神)に敵対して語り/いと高き方の聖者ら(信徒)を悩ます。彼は時と法を変えよう(ユダヤ教禁教)とたくらむ。聖者らは彼の手に渡され(殺され)/一時期、二時期、半時期(3年半)がたつ」。彼に従わないものは容赦なく、処刑された。当時のユダヤ教で大切にされたのは聖書を読み、律法を護ること。アンテイオコスは聖書を燃やし、割礼を禁止し、ギリシャの神を拝むように強制した。文献によれば、禁止に逆らって、幼児に割礼を施した母親を子もろとも殺し、その幼児の死体を母親の首にかけてさらすことさえしたという。江戸時代初期のキリシタン迫害が当時の状況に近いかもしれない。
・この迫害の中で、ダニエルは神に訴える「あなたは何故、このような暴虐の振舞いを許されるのか、何時までこのような苦しみは続くのか」。そのダニエルの問いに答えて示された啓示が7章の幻である。最初に、荒れ狂う大海がダニエルに示される(2節)。この地上世界は、荒れ狂っている。ダニエルの仲間のあるものは、「食物の故に身を汚したり、聖なる契約を汚すよりは、むしろ死を選んだ」(マカベア第一1:63)。他の者は、アンテイオコスに反乱を起こし、武力で抵抗した。ダニエルにとって地上世界は荒れ狂う混沌(カオス)の海であった。
・その混沌の海の中から、支配者たち、王たちが現れてくる。あるものは獅子の形で、あるものは熊、別のものは豹、形は異なるが、いずれもその牙、その力で相手を制圧し、従わせる。それぞれの権力は一時期、勢威を誇るがやがて滅びる。バビロニヤは滅ぼされ、ペルシャもギリシャも今は滅んだ。地上の権力はやがて過ぎ去る。そして、今は、ダニエルの目の前には、勝ち誇るシリヤ王アンテイオコスがいるが、彼もやがて滅びる。幻はそれを示している。
3.神の裁きの幻
・どのようにして、迫害者アンテイオコスが滅びるのか、9節から場面が変る。天に王座が据えられ、「日の老いたるもの(神)」が裁きの座につく。獣(アンテイオコス)は尊大なことを言い続けている(11節)。しかし、ついにその獣は殺され、死体は破壊されて、燃え盛る火に投げ込まれた。また、「他の獣は権力を奪われたが、それぞれの定めの時まで生かしておかれた」(12節)。
・地上の権力は、神が許して置かれる期間だけ、生き長らえる。全ての民とその統治者を支配しておられるのは神であり、権力者は「定めの時まで」支配を許される存在にしか過ぎない。今、地上で猛威をふるう圧制者、仲間を殺し、聖所を汚す暴虐者アンテイオコスでさえ、絶対者ではなく、単なる人間にしか過ぎないことを告げられる。神を信じる時、すべての人間が、どのような権力者であれ、相対化される。そのとき、どのような圧制者、権力者も恐れるに足らぬ存在になる。まさに「肉なる者は皆、草に等しい。・・・草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。」というイザヤ40:6の言葉の通りだ。
・これがアウシュビッツにおいて、ユダヤ人が見出した信仰である。彼らは強制収容所の中で、ダニエル書を読んだ。今、彼等の目の前に、民族を抹殺しようとするヒトラーとその配下のものがいる。彼は暴威をふるい、多くの仲間が殺され、今、自分たちも殺されようとしている。それにも関わらず、そのヒトラーの上にも神の支配が厳然としてあり、「定めの時が満ちた時」ヒトラーは裁かれるであろうとダニエル書は告げる。そのとき、彼らは目の前の絶望的状況を越えた将来への希望を持つ。彼らはここで死ぬかもしれない。しかし、この死を超えて神は彼等を愛され、配慮される。彼らはこの信仰に立って、「シャローム」(神の平安がありますように)とお互いを祝福して、ガス室の中に入っていったと記録は伝える。
・同じ経験を日本統治下の韓国キリスト者たちもしている。彼等のあるものは、日本政府が強要した神社参拝を拒否して、獄中で死んでいった。ダニエル書3:18に、金の像を拝めと強制されてそれを拒否する人々の話がある。韓国のキリスト者たちは言った。「御旨に適えば、私たちの神は私たちを救うことが出来るし、またそうしてくださるでしょう。しかしたとえそうでなくとも、私たちは神の代わりに日本の天皇を拝むことはできない」として韓国のキリスト者たちは死んでいった。神社参拝を拒否したキリスト者の証言が「たとえそうでなくとも」と言う題名で、日本でも出版されている。ダニエル書はこのような人々によって、時代を超えて読まれてきた。
・そのダニエルの希望の根拠が13―14節に示されている。
「夜の幻をなお見ていると、/見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り/「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み、権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え/彼の支配はとこしえに続き/その統治は滅びることがない」。
迫害者はやがて裁かれ、その審きの時に人の子が来て神の国が始まる。ダニエル書12:2は言う「多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り/ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる」。例え、この苦難の中に死のうとも、死を貫いて私たちを愛される方がいるとダニエルは知らされる。
4.ダニエル書の教えるもの
・ダニエルが見たように、神は定めの時まで、大海を荒れるままにさせておられる。地上には争いは絶えない。ダニエルの時代に、シリヤ王アンテイオコスによって迫害されたユダヤの民が、今、パレスチナの地で、今度は抑圧者としてアラブ人を迫害している。そして、アラブ人たちは、絶望の中で、自爆テロを繰り返している。ダニエルの見た幻は時代を超えた真理を示している。神は何故、定めの時まで大海を荒れるままにされているか、私たちは知らない。パウロが言うように、終わりの時まで、それは隠されている。しかし、終わりに時には、私たちも知る。「私たちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。私は、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。」(1コリント13:12)。
・人間にとって恐ろしいのは、苦しみに圧倒されて、目の前の問題だけが大きくのしかかり、その苦難の意味や自分が今、どこに立っているのかがわからなくなった時だ。人が山に上る時、頂上が見えていれば現在の苦しみにも耐えられる。神はダニエルに「地上ではなく天を見よ、天ではこの苦難を終らせるための会議が既に開かれている」と示された。
・今、パレスチナのアラブの人たちに、このダニエル書を読んで欲しいと思う。苦しみの中に置かれたとき、私たちは目の前の苦しみしか見えなくなり、その苦しみは何時までも続くと思い、絶望する。その絶望が自爆テロを生む。しかし、それは何も解決せず、事態を悪くするだけだ。ダニエルの時代にも、多くの人々は圧制に武力で抵抗し、マカベア戦争を始めた。それは一時期成功するがダニエル書は評価していない(ダニエル11:34)。人間に頼った時、一人の圧制者が倒されても新しい圧政者が現れるだけである。人間の歴史はダニエル書が描くとおり、獣が次から次に出てくる歴史である。
・絶望の先には死がある。現代の日本においても、年間3万人の人が自殺する。毎年、3万人が自殺する社会は、ダニエルの描く獣たちの荒れ狂う世界と同じ場所である。私たちは彼等にもダニエルが見た幻を伝えなければならない。神が天だけではなく、この地上をも支配されておられることを知るとき、世界はまるで違ったものに見えてくる。私たちに襲いかかる苦しみも悲しみも、全て神の了解の下にある業であり、それはやがて終る。そして神はこの苦難を私たちの「終わりの日に備えて練り清め、純白に鍛える」(ダニエル11:35)ためになされていることを知る時、苦しみ、悲しみの意味が違ってくる。もはや、苦しみから逃れるために自殺するのではなく、苦しみの向こうにある祝福に目を注ぐようになる。ダニエル書はその力を持つ書である。今は何故そうなのかわからない出来事も、時が満たされる時、それが私たちへの祝福であることがわかる時が来る。この喜ばしい福音を苦しんでいる人々に伝えよ。ダニエル書はそう、私たちに語りかけている。