1.預言者の孤独
・エレミヤは王国の滅亡を預言する滅びの預言者として、「妻を娶るな」、「弔いの席に出るな」、「宴席にも出るな」と命じられる。身をもって示す預言、預言者の象徴行為と言われる。
-エレミヤ16:1-4「主の言葉が私に臨んだ『あなたはこの所で妻をめとってはならない。息子や娘を得てはならない』。この所で生まれる息子、娘、この地で彼らを産む母、彼らをもうけた父について、主はこう言われる『彼らは弱り果てて死ぬ。嘆く者も、葬る者もなく、土の肥やしとなる。彼らは剣と飢饉によって滅びる。死体は空の鳥、野の獣の餌食となる』」。
・冠婚葬祭の日常的な交わりを断てとエレミヤは命じられる。何故ならば、裁きの時に人は死んでも葬る者もなく、祝いの宴も開かれなくなるからだ。この絶対禁欲をエレミヤは裁きの前に命じられる。人としての喜びを捨てよとの命令だ。
-エレミヤ16:5-8「あなたは弔いの家に入るな。嘆くために行くな。悲しみを表すな。私はこの民から、私の与えた平和も慈しみも憐れみも取り上げる・・・身分の高い者も低い者もこの地で死に、彼らを葬る者はない。彼らのために嘆く者も、体を傷つける者も、髪をそり落とす者もない。死者を悼む人を力づけるために、パンを裂く者もなく、死者の父や母を力づけるために、杯を与える者もない。あなたは酒宴の家に入るな。彼らと共に座って、飲み食いしてはならない」。
・パウロは「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣け」(ローマ12:15)と勧める。福音は人を生かそうとするが、預言にはそれができない。滅びの悲しみ、孤独を味わえとエレミヤは命じられた。
-エレミヤ16:9「万軍の主、イスラエルの神はこう言われる『見よ、私はこのところから、お前たちの目の前から、お前たちが生きているかぎり、喜びの声、祝いの声、花婿の声、花嫁の声を絶えさせる』」。
・16:10から理由が述べられる。「人々はこの地で他の神々に仕えたゆえに、他の神々の地に追放する」と。ここではユダの滅びと捕囚が前提とされている。編集者である申命記史家の言葉がここに挿入されている。
-エレミヤ16:10-13「彼らはあなたに『なぜ主はこの大いなる災いをもたらす、と言って我々を脅かされるのか。我々は、どのような悪、どのような罪を我々の神、主に対して犯したのか』と言うであろう。あなたは、彼らに答えるがよい『お前たちの先祖が私を捨てたからだ』と主は言われる。『彼らは他の神々に従って歩み、それに仕え、ひれ伏し、私を捨て、私の律法を守らなかった。お前たちは先祖よりも、更に重い悪を行った。おのおのそのかたくなで悪い心に従って歩み、私に聞き従わなかった。私は、お前たちをこの地から、お前たちも先祖も知らなかった地へ追放する。お前たちは、そのところで昼も夜も他の神々に仕えるがよい。もはや私は、お前たちに恩恵をほどこさない』」。
2.再生のための裁き
・民は罪を犯したゆえに裁きを受けなければいけない。最初に漁師が、次に狩人が来て、人々を連れ出すと言われる。ここに第一回目の捕囚と第二回目の捕囚の双方が暗示されている。編集者の言葉である。
-エレミヤ16:16-18「見よ、私は多くの漁師を遣わして、彼らを釣り上げさせる、と主は言われる。その後、私は多くの狩人を遣わして、すべての山、すべての丘、岩の裂け目から、彼らを狩り出させる。私の目は、彼らのすべての道に注がれている。彼らは私の前から身を隠すこともできず、その悪を私の目から隠すこともできない。まず、私は彼らの罪と悪を二倍にして報いる。彼らが私の地を、憎むべきものの死体で汚し、私の嗣業を忌むべきもので満たしたからだ」。
・第一回捕囚で漁師の網から逃れることができた者も、第二回捕囚では岩の裂け目から探し出され、狩り出される。第一回捕囚時にはダビデ王家と神殿は残された。彼らがその出来事を神からの警告と受け入れることができれば、二回目の捕囚はなかった。しかし彼らはそうすることができなかった。捕囚の経緯は下記の通りである。
-BC597:バビロニア、エルサレム占領、第一回捕囚、ヨヤキン王連行される。ゼデキヤ王がバビロニアに擁立
-BC594-593:親エジプト派と、親バビロニア派の抗争
-BC588:ゼデキヤ、バビロニアに反乱。エルサレム包囲される。
-BC587:バビロニア軍が、エルサレムを破壊、ゼデキヤ王殺される。ユダ王国滅亡、第二回捕囚。ユダは、バビロニアの州に併合される。
・「人間をとる漁師」、イエスが弟子たちを召命するときに言われた言葉だ。その時、イエスはこのエレミヤ16章を想起されていたのかもしれない。魚を死に定める漁師がイエスによって、人を生かす漁師に変えられる。ここに福音がある。
-マルコ1:16「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは『私について来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた」。
・裁きは人の罪に対してなされる。それは人が裁きを通して悔い改め、立ち帰るためだ。だから時が来れば裁きは終わり、救いが来る。捕囚で遠くに連れ去られた民が再び戻る日が来る。史家はその出来事を「新しい出エジプト」と呼ぶ。「壊し、滅ぼ」すのは、「建て、植える」ためである。「滅びの中にこそ救いがある」のだ。
-エレミヤ16:14-15「見よ、このような日が来る、と主は言われる。人々はもう『イスラエルの人々をエジプトから導き上られた主は生きておられる』と言わず、『イスラエルの子らを、北の国、彼らが追いやられた国々から導き上られた主は生きておられる』と言うようになる。私は彼らを、私がその先祖に与えた土地に帰らせる」。
3.回復の約束(エレミヤとマタイ)
・エレミヤ16:14-15が回復の約束の始まりだ。31章になると、その約束はさらに明確になる。31章15節では捕囚の民の悲しみが歌われる。
-エレミヤ31:15「主はこう言われる。ラマで声が聞こえる、苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む、息子たちはもういないのだから」。
・ラケルはヨセフとベニヤミンの母であったが、下の子を生むと間もなく死に、ラマに墓があった。イスラエルの民が捕囚で強制移住させられた時、人々はラマに集められ、そこから連れ行かれた。彼女は子たちの成長を見ることなく死ぬ悲しみを嘆き、今度は子たちの滅びを見て悲しむ。しかし、ラケルの悲しみがやがて喜びに変わるとエレミヤは預言する。
-エレミヤ31:16-17「主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。息子たちは敵の国から帰って来る。あなたの未来には希望がある、と主は言われる。息子たちは自分の国に帰って来る」。
・イエス誕生の出来事の中に闇があったとマタイは証言する。メシアの誕生を喜ばず、不安を抱いたヘロデにより、ベツレヘムの幼児虐殺が起こされた。この恐ろしい出来事をマタイはエレミヤ31:15を用いて表現する。
-マタイ2:16-18「ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。『ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから』」
・エレミヤ31章15節をマタイは引用して、ベツレヘムの悲しみを述べた。ラマはイスラエルの民がバビロンに連行された時、捕囚民が集合を命じられた場所だ。子供たちが捕虜として敵地に連れて行かれる光景を見て、イスラエルの母親たちは泣いた。しかし31:15節に続く16-17節では回復の預言が述べられている。「この悲しみはいつまでも続かない。この悲しみは終わる。あなたが流したその涙は報われる。あなたの息子たちは帰って来る。その希望を持って待て」。
・マタイは私たちにエレミヤ31章前半の出来事を悲しむだけでなく、後半の回復の言葉を思い起こせと告げる。「主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる」。イエスはヘロデの陰謀から逃れるためにエジプトに行かれた。残されたベツレヘムの息子たちは殺され、母親たちは涙を流した。しかし、その涙は報われる。キリストの苦難はその出生と共に始まり、その苦難は十字架で完成される。エレミヤは預言する「見よ、私がイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る。私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。私は彼らの神となり、彼らは私の民となる」(エレミヤ31:33)。
・イエスは十字架にかかられる前日に弟子たちと最後の食事をとられ、言われた「この杯は、あなたがたのために流される、私の血による新しい契約である」(ルカ22:20)。神はイエスを新しい契約の成就のために十字架につけられた、そのために生まれたばかりのイエスの命を助けられたとマタイは理解する。ある者は幼い時に死ぬ。若い時に事故で死ぬ人もいる。別の者は天寿を全うして死ぬ。人間の目から見れば、その差は大きい。何故ですかと問いかけたくなる。私たちはベツレヘムの幼子たちが無残にも殺されることに納得しない。ただマタイは語る「何故ベツレヘムで多くの子供たちが殺されたのか。人間の心の中にある闇のためではないか。この闇をどうすれば取り除けるのか、それを求めよ」と。
・人間の中にある闇がどのように深いかを指し示すものが戦争体験だ。戦場では殺し、殺され、人間の精神はズタズタにされる。映画「勇士たちの戦場」(2006年)は、イラク戦争から帰還したアメリカ兵たちのPTSDに苦悩する姿を描いた戦争ドラマだ。イラク戦争の最前線で、軍医のウィルとトミー、ジョーダン、ジャマール、ヴァネッサたちは、帰郷を目前に控えていた最後の任務で武装勢力の急襲を受け、トミーの目の前でジョーダンは戦死、ジャマールは民間人の女性を誤射してしまい、ヴァネッサは右手を失う。故郷へ戻った彼らは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされる日々を送る。罪は人間の人格を破壊する。だから私たちはイエスの十字架を見上げることによってしか救いはない。