1.兄エソウを恐れるヤコブ
・ヤコブは叔父ラバンの家での20年間の労働奉仕を終え、帰郷します。彼はハランで多くの家畜を手に入れ、冨を築きました。ヤコブの帰郷は「故郷に錦を飾る」はずでしたが、ヤコブにその喜びはありません。彼はかつてエソウをだまして、長子(族長)の権利を手に入れました。騙された兄エソウは「ヤコブを殺す」と明言していました。彼は今、エソウの復讐を恐れています。その兄エソウとの出会いを前に、ヤコブはマハナイム(二組の陣営の意味)で神のみ使いたちに出会いました。「ヤコブが旅を続けていると、突然、神の御使いたちが現れた。ヤコブは彼らを見た時、『ここは神の陣営だ』と言い、その場所をマハナイム(二組の陣営)と名付けた。」(32:2-3)。
・ヤコブは兄エソウの復讐を恐れ、様子を探らせる為に使者を先に派遣し、兄エソウが400人を連れてこちらに向かっている事を知り、恐怖に包まれます。「使いの者はヤコブの所に帰って来て『兄上のエサウ様の所へ行って参りました。兄上様の方でも、あなたを迎えるため、四百人のお供を連れてこちらへおいでになる途中でございます』と報告した」(32:7)。ヤコブはエソウが自分たちを襲撃するために向かっていると思い、恐怖します。そして、襲われても家族の群れのどちらかが助かるように、群れを二つに分けます(32:8)。マハナイム=二組の陣営とはその故事から生まれた地名であろうと思われます。
・ヤコブは恐怖の中で主の助けを祈り求めました。「かつて私は、一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが、今は二組の陣営を持つまでになりました。どうか、兄エサウの手から救って下さい。私は兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、私をはじめ母も子供も殺すかもしれません。あなたは、かつてこう言われました。“私は必ずあなたに幸いを与え、あなたの子孫を海辺の砂のように数えきれないほど多くする”と」(32:11-13)。
・祈りを通してヤコブは少しずつ変えられていきます。彼は群れの最良のものをエソウへの贈り物として分けました。その数は膨大です。山羊220匹、羊220匹、ラクダ30頭、牛50頭、驢馬30頭、ヤコブはハランで得た財産のほとんどをエソウに捧げる覚悟をしたのです(32:14-16)。命は何ものにも代えがたいし、かつて犯した罪の引け目が強く彼を支配していたからです。ヤコブはイサクとリベカの間に生まれた双子の次男でした。彼は抜け目がなく、兄エサウの空腹につけこんで、一皿の煮物と引き換えに長子権を手に入れ(25:34)、父イサクから、兄が受けるはずの祝福を騙し取りました(27:18-29)。
・長子権と祝福を得たということは、彼が一族の長になったということです。日本の戦国時代にも、一族の支配権をめぐって、兄弟が争いました。織田信長も武田信玄も兄弟を殺して支配者になっています。祝福を奪い取られたエソウは怒り、ヤコブを殺すと脅し、ヤコブは母の手引きで、母の生まれ故郷ハランへ逃げました。それから20年、ヤコブはいまだに兄エサウとの再会を恐れています。「どうか、兄エサウの手から救って下さい。私は兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、私をはじめ母も子供も殺すかもしれません」。ヤコブは帰還が近づくにつれ、恐怖が募っていきます。
2.神の使いと格闘するヤコブ
・ヤコブは家族と家畜の群れをヤボクで渡らせた後、一人その場に残ります。夜の闇の中で、彼が兄エソウに行った数々の悪事の記憶が甦り、エソウに殺されるかもしれないという恐怖に彼は怯えます。その時、神の使いが彼を襲います。「その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した」(32:23-25)。
・ヤコブがここで経験したのは神との格闘でした。ヤコブの祈りに神が答えられ、自分の智恵と力に頼るヤコブの腿のつがいを外して、ヤコブを無力な者にされます。「その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた」(32:26)。ヤコブは恐怖のあまり、神の祝福をあくまでも求め、神はそれに答えて、ヤコブに名を変えるように言われました。ヤコブ(かかとをつかみ、押しのける者)が、イスラエル(神と戦って勝つ者)に名を変えられていきます。かつてのヤコブは、兄を押しのけ、叔父を押しのけて、富を築きましたが、心の中にはいつも不安と恐れがありました。その彼が神と格闘することによって弱くされ、自分ではなく神に頼るものとされたと創世記は記します。「『お前の名は何というのか』とその人が尋ね、『ヤコブです』と答えると、その人は言った『お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ』。『どうか、あなたのお名前を教えてください』とヤコブが尋ねると、『どうして、私の名を尋ねるのか』と言って、ヤコブをその場で祝福した」(32:27-30)。
・ヤコブはその場所をペヌエルと名付けます。神と顔(ペヌエル)を合わせた場所だからです。神は恐れまどうヤコブを励まされました。私たちも同じような経験をします。多くの人が苦難の中で神に祈り、神からの応答を受けています。詩篇34編は語ります「私は主に求め、主は答えてくださった。脅かす者から常に救い出して下さった。主を仰ぎ見る人は光と輝き、辱めに顔を伏せることはない。この貧しい人が呼び求める声を主は聞き、苦難から常に救って下さった。主の使いはその周りに陣を敷き、主を畏れる人を守り助けて下さった」(詩編34:5-8)。
3.物語の意味するもの
・この「ヤボクの渡し」での神との格闘は何を意味しているのでしょうか。おそらくヤコブは「夢の中で神と格闘した」。20年前に夢の中で「天からの梯子」を見た時のように、です。彼は人間と格闘するように神と格闘しました、その生々しい出会いを創世記記者は物語化しています。ヤコブは兄エソウとの再会を前にして不安におびえていました。「兄は報復するに違いない、自分だけでなく、妻や子供たちも殺されるかもしれない。何とかしてこの危機を乗り越えなければいけない」、その潜在意識がヤコブにこの夢を見させ、ヤコブの帰郷を阻む何者かと格闘します。格闘するうちに、その方が神であることがわかり、その神と対等に戦えたことで、ヤコブは一つの安心を与えられました。
・エソウとの再会を前に、不安を募らせるヤコブを励まし、自信を持たせるために神が現れて下さった、ヤコブはそう信じました。足に障害が与えられ、無力にされた後のヤコブは、もうエソウを恐れません。彼は群れの先頭に立ってエソウと対面していきます。「ヤコブが目を上げると、エサウが四百人の者を引き連れて来るのが見えた。ヤコブは子供たちをそれぞれ、レアとラケルと二人の側女とに分け、側女とその子供たちを前に、レアとその子供たちをその後に、ラケルとヨセフを最後に置いた。ヤコブはそれから、先頭に進み出た」(33:1-3)。
・兄エソウはヤコブの姿を見ると、走ってきてヤコブを抱きしめ、口づけします。もはやエソウにはヤコブに対する恨みはありませんでした。20年の時の流れがエソウの恨みを消したのです。イエスが放蕩息子の喩えを語られた時、このエソウとヤコブの再会を念頭に置かれていたのではないかと思われます。なぜならばそっくりの物語がそこにあるからです。放蕩息子の父は子の姿を見ると走って来て、子を抱きしめます「彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」(ルカ15:20)。神の無条件の赦しがここにあります。ヤコブはエソウの中に神の姿を見て、告白します。「兄上のお顔は、私には神の御顔のように見えます。この私を温かく迎えて下さったのですから」(33:10)。ヤコブは無我夢中で神を求め、祝福を請い願い、与えられました。この赦しをいただいた者はもう以前のような生き方は出来ません。これ以降のヤコブは、「イスラエル」、相手の足をすくう者ではなく、神が共に戦う者となっていきます。
4.和解の福音
・ヤコブはエソウと和解しました。創世記33章にあったのはエソウからの一方的な赦しでした。「エサウは走って来てヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣いた」(33:4)。その一方的な赦しを可能にしたのは神の計らいです。恐れまどうヤコブを励まし、エソウに立ち向かうようにされた神の働きがそこにあります。それは放蕩息子ヤコブに帰郷を促す神の導きでした「主はヤコブに言われた『あなたは、あなたの故郷である先祖の土地に帰りなさい。私はあなたと共にいる』」。(31:3)「私はあなたと共にいる」、この言葉がヤコブを励ましました。ヤコブは神に出会うことを通してエソウと和解することができました。
・パウロは和解について語ります。今日の招詞です「これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通して私たちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務を私たちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉を私たちに委ねられたのです」。(第二コリント5:18-19)。和解は人と人が向き合うことを通して為されます。今、刑事裁判において「修復的司法」の必要性が叫ばれています。現代の司法では、犯罪は「法」という国家秩序の侵害と位置づけられ、罪の確定とそれに相応する合理的な刑罰の確定が中心に置かれます。その結果、被害者のニーズではなく、国家のニーズのなかで、審理は進められます。それに対して米国のメノナイト教会から聖書の和解をモデルにした「修復的司法」が生まれ、被害者・加害者和解プログラムが準備されます。現代の司法にあっては被害者家族が不在であるだけでなく、加害者にも矯正の機会はあっても赦しの機会はありません。「裁き」は赦しであるという、聖書の基本的な主張を修復的司法は示します。
・ヤコブは神との戦いの中で「腿のつがい」を外され、障害者となります(32:32-33)。これもまた祝福の一つです。人は自ら障害者になることによって、人の痛みをわかる者にさせられていくのです。ドイツに「ベテル」(神の家、ヤコブが最初に神と出会った場所)という大規模な福祉施設があります。心身障害患者5千人と職員5千人、合わせて1万人が共に暮らすドイツ最大の福祉施設で、施設の中に病院はもちろん、看護大学や神学大学まであります。この「ベテル」の創業者はフリードリッヒ・ボーデルシュヴィングという牧師です。彼には四人の子供がいましたが、ある時、疫病が流行し、わずか2週間の間に子供たちが次々に死ぬという悲劇に見舞われました。彼は打ちのめされ、もがいた末、神の言葉を聞きます「四人の子供が天に召されて行った、自分の子供たちは“神の栄光の子”とされた、しかし自分の周りにはまだ神の栄光を受けていない子供たちがいる。その子供たちに仕えるために4人の子は天に召されたのだ」。ボーデルシュヴィングは西ドイツ・ビーレフェルトの郊外に小さな家を求めて、そこにてんかんの子供たち5人を集めて、1867年に共同の生活を始めます。当時、てんかんは差別の対象になっていた難病でした。彼はその家を「ベテル」、神の家と名づけました。フリードリッヒ・ボーデルシュヴィングも、ヤコブと同じように神と出会ってその生涯を変えられたのです。
・ヤコブの生涯は寄留の人生でした。彼はベエルシバに家族と共に住んでいましたが、兄エソウの長子権を騙し取ったことで流浪の生涯が始まります。ベエルシバを逃れたヤコブは「ベテル」で神と出会い、約束を受けてハランに行きます。ハランでの20年間は苦労の連続でしたが、神はヤコブを守り、彼に家族と財産を与えました。帰郷したヤコブはペヌエルで神と出会い、エソウと和解することが出来ました。ヤコブはシケムにしばらく住みますが、そこは本来の地ではないことを知らされ、ベテルに導かれます。ヤコブはベテルに行く前に、全ての過去を清算するために偶像の一切を捨て、ただ神に出会う為に旅を続けました。ここから「イスラエル」としてのヤコブ、「寄留者としてのヤコブ」の生涯が再スタートします。私たちもまた寄留者として主の導きに従って歩みます。私たちが寄留者、その本国はこの世ではなく、神の御国なのです。その御国を目指して私たちは旅を続けます。