1.義を、義をのみ求めよ。
・申命記16:18以降において、新しい地では、裁判人と役人を置き、裁きを曲げるなと命じられる。
-申命記16:18-19「あなたの神、主が部族ごとに与えられるすべての町に、裁判人と役人を置き、正しい裁きをもって民を裁かせなさい。裁きを曲げず、偏り見ず、賄賂を受け取ってはならない。賄賂は賢い者の目をくらませ、正しい者の言い分をゆがめるからである」。
・そこにおいては「義を、義をのみ求めよ」と命じられる(原文に忠実な訳は新改訳である)。
-申命記16:20「正義を、ただ正義を追い求めなければならない。そうすれば、あなたは生き、あなたの神、主が与えようとしておられる地を、自分の所有とすることができる」(新改訳)。
・「正義を、ただ正義をのみ求めよ」(ツエデク・ツエデク・テイルドーフ)、これこそが旧約の基本命題であり、新約の中心でもある。「神を求めてひたすら生きよ」と命じられている。
-マタイ6:33「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」。
・そこではひたむきな生き方に反する行為、偶像礼拝は死を持って贖うことが求められる。
-申命記17:2-5「あなたの中に、男にせよ女にせよ、あなたの神、主が悪と見なされることを行って、契約を破り、他の神々に仕え、その神々や太陽、月、天の万象など私が命じたことのないものにひれ伏す者がいるならば、その知らせを受け、それを聞いたときには、よく調べなさい。もし、それが確かな事実であり、イスラエルの中でこうした、いとうべきことが行われたのであれば、悪事を行った当の男ないし女を町の門に引き出し、その男ないし女を石で打ちなさい。彼らは死なねばならない」。
・アシェラ像や石柱を取り除けと言われる。アシェラ像は女神の、石柱は男根の象徴だ。偶像礼拝の罪は性的放縦として現れる。十戒の第十の戒めは「あなたの隣人の妻を貪るな」である。
-申命記16:21-22「あなたは、あなたの神、主の祭壇を築いて、そのそばに、アシェラ像をはじめいかなる木の柱も据えてはならない。また、あなたの神、主が憎まれる石柱を立ててはならない」。
2.王に関する規定
・イスラエルはカナンの地に侵入後、200年間王制を採らなかった。イスラエルの王は神であり、人間を必要としなかった。しかし、他国との戦争の中で、必要悪として王が立てられた。「王制を求めることは、主を退けることである」と言われた。しかし危急の時に指導者を選ぶ士師制度では、周囲の国々からの侵略に対抗できないという弱点があった故に、「やむをえない悪」として王制が認められた。
-サムエル記上8:7-9「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上に私が王として君臨することを退けているのだ。彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、私を捨てて他の神々に仕えることだった。あなたに対しても同じことをしているのだ。今は彼らの声に従いなさい。ただし、彼らにはっきり警告し、彼らの上に君臨する王の権能を教えておきなさい」。
・王制は根本が悪であるから、王権には制限が設けられる。
-申命記17:16-17「王は馬を増やしてはならない。馬を増やすために、民をエジプトへ送り返すことがあってはならない。『あなたたちは二度とこの道を戻ってはならない』と主は言われた。王は大勢の妻をめとって、心を迷わしてはならない。銀や金を大量に蓄えてはならない」。
・それはソロモン時代の苦い経験から来る。当初は善なる王であったソロモンは、やがて多くの軍馬を養い、多くの妻を持ち、自分のために金銀を蓄えるようになった。そのため、王国は分裂した。
-列王記上10:26「ソロモンは戦車と騎兵を集め、戦車千四百、騎兵一万二千を保有した。彼はそれを戦車隊の町々およびエルサレムの王のもとに配置した」。
-列王記上11:3-12「彼には妻たち、すなわち七百人の王妃と三百人の側室がいた。この妻たちが彼の心を迷わせた・・・ソロモンの心は迷い、イスラエルの神、主から離れたので、主は彼に対してお怒りになった・・・主は仰せになった。『あなたがこのようにふるまい、私があなたに授けた契約と掟を守らなかったゆえに、私はあなたから王国を裂いて取り上げ、あなたの家臣に渡す。 あなたが生きている間は父ダビデのゆえにそうしないでおくが、あなたの息子の時代にはその手から王国を裂いて取り上げる』」。
3.人は何故王を求めるのか
・「神が護られる」と言われても、他国民の侵略に悩まされる民は武力しか信頼することが出来ない。彼らは常備軍を持ち、目に見える形での「護り」を求める。それは憲法9条を持ちながら、自衛隊を創設し、日米軍事同盟を結ぶ日本の姿でもある。他国の信義に委ねて軍隊を持たないという日本国憲法は人間の目から見たら愚かだ。しかし、神の目から見れば、違う視点が与えられる。
・政治学者のダグラス・ラミスは述べる。『20世紀に国家の交戦権によって殺された人間の数が約1億5千万人であるが、その半分以上が自国の軍隊によって殺されている』(「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか」)。つまり、軍隊は敵を殺す以上に自国民を殺している、軍隊の主要任務は国内の治安維持であり、軍隊が国民を守っているわけではない。これは真理であろう。
・王制は政情の安定性と中央集権化を生み、外敵防衛には向いているが、潜在的に負の要素を抱え込む両刃の刃である。徴兵制は、ダビデの治世に始まり、これらの制度が負担・重荷となったのは、ソロモンの治世においてである。イスラエルの民は、ソロモンの後継者レハブアムの重税に耐えることができず、不満をいだいた民はレハブアムに反乱を起こし、北王国を形成し、王国は南北に分裂する。
-列王記上12:4「あなたの父上は私たちに苛酷な軛を負わせました。今、あなたの父上が私たちに課した苛酷な労働、重い軛を軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたにお仕えいたします。」
・王制を求めたイスラエルの民は、その王制が自分たちを縛り上げるようになることは想像もしなかった。彼らは「王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み、我々の戦いを戦う」と主張したが、やがて近い将来、家臣を自分の都合のために敵陣の前線に出して殺させる王が起こるなど夢にも思わなかった。ダビデ王は不倫相手の夫ウリヤを戦いの最前線に立たせて死なせる。ダビデさえ、そのようなことをする。
-列王記下11:14-17「翌朝、ダビデはヨアブにあてて書状をしたため、ウリヤに託した。書状には、『ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却し、戦死させよ』と書かれていた。町の様子を見張っていたヨアブは、強力な戦士がいると判断した辺りにウリヤを配置した。町の者たちは出撃してヨアブの軍と戦い、ダビデの家臣と兵士から戦死者が出た。ヘト人ウリヤも死んだ。」
・王は仕える者として立てられるが、やがて支配する者になる。あなた方はそのような生き方をするなと主は言われた。
-サムエル上8:11-18「あなたたちの上に君臨する王の権能は次のとおりである。まず、あなたたちの息子を徴用する。それは、戦車兵や騎兵にして王の戦車の前を走らせ・・・王のための耕作や刈り入れに従事させ、あるいは武器や戦車の用具を造らせるためである。また、あなたたちの娘を徴用し、香料作り、料理女、パン焼き女にする。また、あなたたちの最上の畑、ぶどう畑、オリーブ畑を没収し、家臣に分け与える。また、あなたたちの穀物とぶどうの十分の一を徴収し、重臣や家臣に分け与える・・・こうして、あなたたちは王の奴隷となる。その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、主はその日、あなたたちに答えてはくださらない」。
・教会の牧師や執事の役割も同じだ。彼らが仕える事を忘れたら、神はその者を役割からはずされる。
-マタイ20:25-28「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、一番上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」