江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2020年11月11日祈祷会(マタイによる福音書1:1-17、イエスの系図)

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1.イエスの系図とマタイ福音書

 

・マタイは「イエスの系図」から福音書を書き起こす。それは、イエスこそ待望されていたメシアであることを証明するために掲げられた。巻頭「アブラハムの子ダビデの子イエス・キリストの系図」は、「イエスはキリスト(メシアのギリシャ語)である」というマタイの信仰告白である。

-マタイ1:1-6「アブラハムの子ダビデの子イエス・キリストの系図。アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、へツロンはアラムを、アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。」

・族長時代(前2000-1500年)、神はアブラハムを選び、「地上の氏族はあなたによって祝福に入る」(創世記12:1-3)とした。アブラハムより始まった族長時代はイサク、ヤコブ、ユダと続き、ユダと息子の嫁タマルとの間からペレツとゼラが生まれた。民族形成時代(前1290-1250年)、イスラエル人たちはモ-セの指導でエジプト脱出、40年間荒野をさ迷うが、系図にモ-セの名はなく、ベレツからへツロン、ラム、アミナダブ、ナフション、サルマと系図は続き、民族が形成される。

・士師時代(前1200-1020年)、エリコの戦いの時、ラハブはヨシュアが派遣した斥候を匿い、無事帰還させた功で信を得て、ユダ族の長サルモンと結婚、ボアズを生む。ルツは異邦のモアブ人であったがボアズと結婚する。ダビデの系図(ルツ記4:18-22)は、ポアズとルツの間に生まれたオベドからエッサイが生まれ、エッサイからダビデが生まれたと記録している。

-マタイ1:6b-11「ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。」

・統一王朝から分裂王国時代(前1020-587年)に、主は、ダビデに「あなたの王座はとこしえに堅く据えられる」と約束された(サムエル下7:16)。メシアを「ダビデの子」とする、政治的王の意味合いが含まれてくる。そのダビデはウリヤの妻との不倫でソロモンを生む。ソロモンの王国は最初のうちは繁栄したが、やがて内部崩壊し、ソロモン死後、王国は南と北に分裂、ソロモンの子レハブアムは南王国ユダの王となり、以後南王国ユダの王がアビヤ、アサ、ヨシャフト、ヨラム、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤ、マナセ、アモス、ヨシヤと続くが、ヨシヤの代でバビロニアに滅ぼされ、ヨシヤ王はバビロン捕囚となり、異郷バビロンの地でエコンヤを生む。

-マタイ1:12-17「バビロンへ移住させられた後、エコンヤはシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを、ゼルバベルはアビウドを、エリアキムはアゾルを、アゾルはサドクを、サドクはアキムを、アキムはエリウドを、エリウドはエレアザルを、エレアザルはマタンを、マタンはヤコブを、ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまで十四代、ダビデからバビロン移住まで十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。」

・マタイはイエスの系図をダビデ王朝の系図として描く。イエスこそダビデの子であることを証明するためである。エルサレムへ入城したイエスを迎えた群衆は「ダビデの子にホサナ」(マタイ21:9)と歓呼した。人々はメシアが「ダビデの子」から生まれると期待していた。そのイエスはロ-マの初代皇帝アウグストウスの時代(ルカ1:2)、ロ-マの属州ユダヤのヘロデ大王の治世に(マタイ2:1)、ベツレヘム(ダビデの町)で生まれたと伝承は記す。ベツレヘム生誕記事にもダビデ伝承が大きく響いている。しかしイエスはダビデの子孫であるヨセフから生まれたのではなく、母マリアから生まれたとする。ヨセフはマリアの夫ではあるがイエスの父ではなく、イエスの養父であると記す(養父子であっても系図の対象になる)。

・ルカもまた福音書の中に系図を示すが、その中で「イエスはヨセフの子と思われていた」として、ヨセフが父ではないことをルカも示唆する。

-ルカ3:23-38「イエスが宣教を始められた時はおよそ三十歳であった。イエスはヨセフの子と思われていた。ヨセフはエリの子、それからさかのぼると、マタト、レビ、メルキ、ヤナイ、ヨセフ・・・ダビデ、エッサイ、オベド、ボアズ、・・・ヤコブ、イサク、アブラハム、テラ、ナホル・・・セム、ノア、レメク、メトシェラ、エノク、イエレド、マハラルエル、ケナン、エノシュ、セト、アダム。そして神に至る」。

 

2.イエスの系図に記録された四人の女性

 

・この系図で注目されるのは、そこに4名の女性タマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻バテシバの名があることである。いずれも世間的には問題のある女性たちである。タマルはユダの長男エルと結婚するが、夫は主の意に反したので殺され、次に次男オナンと結婚するが、オナンは自分の子とならない結婚(レビラート婚)に不満で子をもうけず殺される。タマルは三男との結婚を望むが、三男までが死ぬのを怖れたユダは許さない。タマルは娼婦に扮し、舅ユダを誘惑、ユダとの間に生まれたのがペレツである(創世記38:6-29)。

・士師の時代、ラハブは娼婦であったが、ヨシュアのエリコ攻略を助け、サルモンと結婚しボアズを生む(ヨシュア2:1-24)。そのボアズと結婚したモアブ人ルツは、オベドを生み、ダビデの曾祖母となる(ルツ記4:17)。ダビデ王はウリヤの妻バテシバを見初め、夫ウリヤを危険な戦場へ送り戦死させ、バテシバを手に入れ、ダビデとバテシバの間のソロモンが生まれる(サムエル記下12-13章)。

・聖書は赤裸々な人間の真実を隠すことなく伝える。イエスの系図の中に異邦人の祖先(ラハブ、ルツ、バテシバ)が含まれ、娼婦(ラハブ)が含まれ、不倫の女性(バテシバ)が含まれている。マタイは世人が恥とし、名誉を失うような所業であっても、イエス・キリストによって、浄められ、聖別されることを、キリストの系図に4人の罪ある女性たちの名を加えることにより、証ししている。

 

3.マタイはなぜこのような系図を書いたのか

 

・イエスの誕生の次第は多くの人々に困惑を与えてきた。マタイは福音書冒頭にアブラハムから始まってイエスに至るまでの42代の系図を掲げる。「アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを」という風に父の系図が続くが、イエスについては次のように語る「ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」(1:18)。父の系図が突然母系に変わっている。

・ルカもイエスの系図を掲げるが、その中で「イエスはヨセフの子と思われていた」(ルカ3:23)と語る。マルコではイエスがナザレ村で「マリアの息子」(マルコ6:3)と呼ばれていたと報告する。それは「父の名をつけて呼ぶ」のが慣例の社会では、好意的な呼び名ではない。マタイもルカもさらにマルコも「イエスはヨセフの実子ではない」、「イエスはマリアの婚外妊娠によって生まれられた」ことを告白している(聖霊による受胎も婚外妊娠に含まれる)。

・キリスト教がユダヤ教から分離独立していった後、母体のユダヤ教側では、「イエスがヨセフの子ではない」ことを逆手にとって、「イエスは私生児だった」と批判していた。3世紀のギリシャ人哲学者ケルソスは、「聖霊によるイエスの出産(マリアの処女懐胎)というキリスト教の主張は、婚外妊娠という事実を隠すための虚偽にすぎない」と批判している(オリゲネス「ケルソス駁論」)。

・批判されても仕方のない状況下で、イエスがお生まれになったのは事実だ。イエスを「神の子」と認めない者にとって、「聖霊による受胎」はたわごとに過ぎない。マタイはその事実を踏まえ、仮にイエスの先祖たちがタマルやバテシバのような罪びとであっても、神はその罪を犯す者たちの悲しみを知っておられると主張するために、あえて系図の中に4人の罪ある女性たちの名前を挿入したと思われる。福音書を書いたされるマタイは当時の社会の中で、嫌われ排除された収税人であったとされる(9:9)。しかし、イエスはそのようなマタイをも弟子として受け入れて下さった。自分が差別され苦しんだ人こそが、差別に苦しむ他者を憐れむことが出来る。それこそマタイがキリストの系図に4人の女性の名前を入れたもう一つの理由であると思える。パウロも「罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送られた」と告白する。

-ローマ8:3「肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はして下さったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです」。

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