1.エリヤとアハズの対決
・イスラエルの背信に対する懲らしめとして、3年間の旱魃と飢饉が与えられた後、エリヤはアハズ王の前に出るように、主に命じられる。
-列王記上18:1-2「多くの日を重ねて三年目のこと、主の言葉がエリヤに臨んだ『行って、アハブの前に姿を現せ。私はこの地の面に雨を降らせる』。エリヤはアハブの前に姿を現すために出かけた」。
・サマリアはひどい飢饉に襲われていた。アハブは危機打開の道を探っていた。
-列王記上18:3-6「アハブは宮廷長オバドヤを呼び寄せた・・・『この地のすべての泉、すべての川を見回ってくれ。馬やらばを生かしておく草が見つかり、家畜を殺さずに済むかもしれない』。彼らは国を分けて巡ることにし、アハブは一人で一つの道を行き、オバドヤも一人でほかの道を行った」。
・アハブ王は飢饉がエリヤの預言のせいだと思い、エリヤの命をねらっていた。そこにエリヤが現れた。「この疫病神め」と王は預言者を罵る。エリヤは干ばつが王の背信の結果であることをはっきりさせるために、王の下にいる偶像の預言者たちとの対決を求める。
-列王記上18:17-19「アハブはエリヤを見ると『お前か、イスラエルを煩わす者よ』と言った。エリヤは言った『私ではなく、主の戒めを捨て、バアルに従っているあなたとあなたの父の家こそ、イスラエルを煩わしている。今イスラエルのすべての人々を、イゼベルの食卓に着く四百五十人のバアルの預言者、四百人のアシェラの預言者と共に、カルメル山に集め、私の前に出そろうように使いを送っていただきたい』」。
・エリヤは対決の前に民に言う「これは主が神か、バアルが神かの戦いだ。傍観は許されない」。権力者を恐れて口をつぐむ行為も、同じく背信の行為だとエリヤは警告する。しかし「民はひと言も答えなかった」。時の権力者の命じる神を拒絶することは、命の危険を伴う行為だったからである。
-列王記上18:20-21「アハブはイスラエルのすべての人々に使いを送り、預言者たちをカルメル山に集めた。エリヤはすべての民に近づいて言った『あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら主に従え。もしバアルが神であるならバアルに従え』。民はひと言も答えなかった」。
2.神と偶像の違い
・バアルの預言者との対決が始まった。エリヤは雄牛を用意し、バアルの火で犠牲を焼き尽くすように求めた。バアルの預言者は祭壇の周りを踊り、体を傷つけてバアルの応答を求めたが、何も起こらなかった。
-列王記上18:25-29「エリヤはバアルの預言者たちに言った『あなたたちが一頭の雄牛を選んで準備し、あなたたちの神の名を呼びなさい。火をつけてはならない』。彼らは与えられた雄牛を取って準備し、朝から真昼までバアルの名を呼び・・・祈った。しかし、声もなく答える者もなかった。彼らは築いた祭壇の周りを跳び回った。・・・ 彼らは大声を張り上げ・・・剣や槍で体を傷つけ、血を流すまでに至った。真昼を過ぎても、彼らは狂ったように叫び続け、献げ物をささげる時刻になった。しかし、声もなく答える者もなく、何の兆候もなかった」。
・今度はエリヤが主の祭壇を修復した上で、燔祭の雄牛を捧げ、主に祈った。
-列王記上18:36-37「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたがイスラエルにおいて神であられること、また私があなたの僕であって、これらすべてのことをあなたの御言葉によって行ったことが、今日明らかになりますように。私に答えてください。主よ、私に答えてください。そうすればこの民は、主よ、あなたが神であり、彼らの心を元に返したのは、あなたであることを知るでしょう。」
・エリヤの祈りに応えて主は火を送られた。これを見た民は「主こそ神です」とひざまずいた。前には権力者を恐れて口をつぐんでいた民がいまや彼らの信仰を明らかにした。
-列王記上18:38-39「すると、主の火が降って、焼き尽くす献げ物と薪、石、塵を焼き、溝にあった水をもなめ尽くした。これを見たすべての民はひれ伏し、『主こそ神です。主こそ神です』と言った」。
3.列王記上18章の黙想
・時の権力者の命じる神を拒絶することがいかに危険か、戦前の日本では天皇制に反するキリスト教の教えに対して迫害があった。1942年6月、全国の特高警察はホーリネス教団に属する諸教会を、治安維持法違反で一斉捜査を行い、120名の教職者が逮捕され、260余りの教会が解散を命じられた。その時のホーリネス教会・菅野牧師への予審調書が残されている。戦前の日本において「天皇は神聖にして犯すべからず」とされ、天皇の神性を認めなかった菅野牧師は獄中で死んでいった。
-係官「聖書を読むとすべての人間は罪人だと書いてあるがそれに相違ないか」。菅野「相違ありません」。
-係官「では聞くが天皇陛下も罪人なのか」。菅野「畏れ多いことですが、天皇陛下が人間であられる限り、罪人であることを免れません」。
-係官「聖書の中には罪人はイエス・キリストによる十字架の贖罪なしには救われないと書いてあるが、天皇陛下が罪人なら天皇陛下にもイエス・キリストの贖罪が必要だという意味か」。菅野「畏れ多い話でありますが、天皇陛下が人間であられる限り、救われるためにはイエス・キリストの贖罪が必要であると信じます」(「宗教弾圧を語る」岩波書店)。
・「民はひと言も答えなかった」(列王記18:21)、この列王記の言葉は深い人間心理を言い表している。ホーリネス弾圧事件は私の友人辻弘氏の身にも影響を与えている。彼の父は日本基督教団弘前住吉教会牧師であった辻啓蔵氏だが、1942年に治安維持法違反で捕らえられ、教会は解散を命令される。教会が解散させられると、涙を流して祈っていた信徒たちはどこへともなく散って行き、辻一家に近寄る者はなく、一家は生計の道を絶たれ、5人の子供を抱えて啓蔵氏の妻は途方に暮れる。長男の宣道氏はカボチャを分けて貰うため、教会員の農家を訪ねるが、門前払いをされた「おたくに分けてやるカボチャはない」。かつては真っ先に証しを語り、信徒全体から尊敬を集めていた熱心な教会役員の言葉であった。辻啓蔵牧師は2年半の収監の後、1945年1月18日、青森刑務所で獄死する(「嵐の中の牧師たち-ホーリネス弾圧と私たち」辻宣道著、新教出版社)。長男の辻宣道氏はやがて牧師になり、最初は焼津で、次に静岡で伝道を続けるが、彼の教会形成の基本は、「生涯信仰を捨てない人をつくる」ことだった。「主を選ぶか、偶像を選ぶか」との選択は、ある意味で命がけの選択である。
・このエリヤ物語を、音楽を通して表現したのが、メンデルスゾーンのオラトリオ「エリヤ」である。三大オラトリオの一つとされ、日本では数年前にサイトウ・キネン・フェステイバルで、小澤征爾指揮で演奏され、話題になった。1846年の作品だが、彼がこの「エリヤ」を書いたきっかけは、当時のドイツで干ばつが続き、餓死者が続出し、さらには農産物の高騰に怒った人々が暴動を起こしていたからだと言われている。彼は手紙の中で「今の世にエリヤのような神の預言者がいてくれたらどんなに良かったでしょう」と書いている。「飢餓の苦しみから人々を救って下さい」という祈りが、このオラトリオを書かせた。このメンデルスゾーンの「エリヤ」の一部が、新生讃美歌680番「聞きたまえ、御神よ」である。
・エリヤ物語では、エリヤの捧げた犠牲を神は受け入れて下さり、干ばつは終わり、人々は飢えから救われる。歴史上、干ばつ・飢饉は繰り返し起こっている。1930年~34年にかけて起こった東北大飢饉では、女性の身売りや子どもたちの病死が相次ぎ、それが二・二六事件や満州事変の引き金になったとさえ言われている。干ばつは天災であっても、飢饉は多くの場合それに人災が加わるゆえに、世直しの動きが出て来る。現代でも1984年のエチオピア大飢饉で100万人以上の死者が出ており、エリヤの物語は遠い昔の話ではない。メンデルスゾーンは同胞の飢餓からの救いを音楽に託して祈ったが、エチオピア大飢饉の折は世界中からアーチストが集まり、「we were the world」コンサートを行い、飢餓に苦しむ子どもたちへの支援が呼びかけられた。
-we were the world 歌詞「There comes a time when we hear a certain call. When the world must come together as one. There are people dying. And its time to lend a hand to life. The greatest gift of all. We can't go on pretending day by day. That someone, somewhere will soon make a change. We are all a part of Gods great big family, And the truth, you know, Love is all we need. We are the world, we are the children. We are the ones who make a brighter day, So lets start giving, There's a choice we're making. We're saving our own lives, Its true we'll make a better day, Just you and me.」
・人間の心は移ろいやすい。主とバアルの対決を見て、「主こそ神です」(18:39)と賛美した民衆は、やがて「エリヤを逮捕して殺せ」という命令が王妃イゼベルから出されると、一転してエリヤの敵対者となり、エリヤはシナイの荒野に逃れる。順調な時には社会はその人を称賛するが、一旦逆境になれば手の平を返したように、彼を攻撃する。鈴木正久氏はかつて数百人が集う本郷中央教会の牧師だったが、太平洋戦争の激化と共に、信徒が教会から離れていく悲哀を経験している。「信仰が揺り動かされる場に立たされても主の名を呼び続ける」ことが必要だ。
-鈴木正久説教集・1961/4/30から「太平洋戦争が始まると、礼拝に集まる者は30人、20人と少なくなり、最後は7~8人に減ってしまった。それのみならず、ある時、長老の一人が『非常時に(敵性宗教であるキリスト教の礼拝を続けることは)国策に沿わないと反対さえした』」。