江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2017年4月5日祈祷会(マルコによる福音書4:35-5:20、突風を静めるイエスとゲラサのイエス)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.突風を静めるイエス

・イエスが弟子たちと舟に乗り、ガリラヤ湖を対岸へ渡ろうとした時、突然嵐になり、舟は波に翻弄され、水浸しになり、沈没しそうになった。
−マルコ4:35−37「その日の夕方になって、イエスは、『向こう岸に渡ろう』と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一諸であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。」
・弟子たちは波をかぶり、嵐に翻弄される舟の中でおびえた。イエスは船尾で眠っておられた。弟子たちがイエスに助けを求めると、イエスは波と湖を叱られた。すると嵐は収まった。
−マルコ4:38−39「しかし、イエスはともの方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、『先生、私たちがおぼれてもかまわないのですか』と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、『黙れ。沈まれ』と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。」
・イエスは、「なぜ嵐を怖がるのか」と騒ぐ弟子たちを戒められた。苦難の嵐に遭って喜ぶ人は誰もいない。しかし、苦難は人にとって試練であることも忘れてはならない。何故ならば、人は苦難を通して自分が生かされている意味を知るからだ。絶望の中に希望を見続けた人がキング牧師だ。
-マルチン・ルーサー・キング「この世界で為されたことはすべて、希望によって為された。息をしている限り、希望があることを、私は確かに知っています。あなたも私も人間に過ぎません。私たちは未来を見抜くことができません。代わりに、こうなるかもしれないという可能性を思い描くのです。人生がどう展開するかは、神のみがご存知です。希望は神から私たちへの贈り物であり、外を見るための窓です。神が私たちのために計画された将来を知ることはできません。神を信頼しなさい。心に希望を持ち続けなさい。そして、最悪の事態に直面した時でさえ、万全の手を尽くして最善の結果に備えなさい。」

2.物語の背景から考える

・この物語はイエスがガリラヤ湖で嵐を静められたという伝承を元にマルコが編集した。マルコ福音書は紀元70年ごろ、ローマで書かれた。イエスは紀元30年に十字架で死なれたが、復活のイエスに出会って再び集められた弟子たちは、「イエスは神の子であった。イエスの死によって私たちの罪は赦され、イエスの復活によって私たちにも永遠の命が与えられた」と福音の宣教を始めた。その結果、ローマ帝国のあちらこちらに教会が生まれ、首都ローマにも教会が生まれた。しかし、初期の教会は、ローマ帝国内において邪教とされ、迫害され、紀元64年にはローマ皇帝ネロによる大迫害を受け、教会の指導者だったペテロやパウロたちもこの迫害の中で殺されていった。
・マルコが福音書を書いた当時のローマ教会は、迫害の嵐の中で揺れ動いていた。人々はキリスト者である故に社会から締め出され、リンチを受け、捕らえられて処刑されていった。教会の信徒たちは神に訴えた「あなたはペテロやパウロの死に対して何もしてくれませんでした。今度は私たちが捕らえられて殺されるかもしれません。私たちが死んでもかまわないのですか」。ガリラヤ湖の弟子たちは「私たちがおぼれてもかまわないのですか」と訴えたが(4:38)、この「おぼれる=アポルーマイ」の本来の意味は「滅ぼす、殺す」だ。弟子たちは、「私たちが滅ぼされても平気なのですか」、「私たちが殺されてもかまわないのですか」と言っている。つまり、マルコは湖上の嵐の伝承の中に、「主よ、私たちを助けてください。私たちは滅ぼされそうです。起きて助けてください」という教会の人々の叫びを挿入している。
・舟は初代教会のシンボルだった。初代教会は迫害の中で震えながらもイエスにつながり続け、滅ぼされることなく、終には迫害者ローマ帝国の国教となって行く。第二次世界大戦終了後、敵味方で憎しみ合い、血を流しあった世界のキリスト者はコペンハーゲンに集まって、世界教会協議会(World Council of Churches、WCC)を結成した。互いの国の教会がいがみ合い、殺し合いをしたことを悔い改め、新しい共同体を造っていくことで合意し、そのシンボルマークとして「十字架の帆柱をつけた嵐に揺れる舟」が選ばれた。これからも信仰が揺さぶられるような嵐があるかもしれないが、イエスのメッセージを聞き続けていこうと彼らは決意した。
-詩編107編28-29節「苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから導き出された。主は嵐に働きかけて沈黙させられたので、波はおさまった」。

3.悪霊に憑かれたゲラサ人をいやす

・イエスたちは湖の向こう側、ゲラサ人の地に着かれた。そこに、悪霊にとりつかれた男がイエスに近づいてきた。
-マルコ5:1-2「一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た」。
・この男は現代でいう統合失調症(精神分裂)であろう。病気は妄想・幻覚・幻聴が生じ、現代医学でも治癒は難しい。当時の人々は、悪霊がついたため精神が冒されたと判断していた。
−マルコ5:3-5「この人は墓場を住まいとしており、もはや誰も、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかった。彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた」。
・男についた悪霊はレギオンと名乗った。レギオンはローマの軍団(6000人)の名称であり、多くの悪霊という意味だ。ある解釈者は、この男はローマ軍に家族を殺されて発狂したのではないかと想像する。
-マルコ5:6-9「イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ『いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい』。イエスが『汚れた霊、この人から出て行け』と言われたからである。そこで、イエスが、『名は何というのか』とお尋ねになると、『名はレギオン。大勢だから』と言った」。
・悪霊は豚の群れに入らせて欲しいとイエスに願い、群れに入ると、群れは暴走し、崖を下って湖に入り、死んだ。これが実際に起こった出来事か否かは不明だが、何らかの核になる出来事はあったのであろう。
-マルコ5:11-13「その辺りの山で豚の大群がえさをあさっていた。汚れた霊どもはイエスに『豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ』と願った。イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ」。

4.物語をどう聞くか

・ドストエフスキーは、組織の結束を図るため転向者を殺害した「ネチャーエフ事件」を素材に、小説「悪霊」を書いた。ルカ8:32-36(マルコ5:32-39の並行箇所)に出て来る、悪霊にとりつかれて湖に飛びこみ溺死したという豚の群さながらに、無政府主義や無神論に走り秘密結社を組織した青年たちは、革命を企てながら、自らを滅ぼしてゆく。人民寺院のジム・ジョーンズは信徒数百名を連れて集団自殺し、オウム真理教・麻原彰晃は組織を防衛するために無差別大量殺人を行った。人をより効率的に殺すためのクラスター爆弾や劣化ウラン弾を開発し用いる人も、また悪霊にとりつかれている。マルコの描く世界、ドストエフスキーの小説の世界は現在の物語だ。
・この物語の事件が起こったのは紀元30年頃、マルコが福音書を書いたのは紀元70年頃、出来事から40年後だ。マルコは福音書を書くためにいろいろな地方の教会を訪ね、イエスに関する諸伝承を集めた。その時、異邦人の地デカポリスに教会があり、その教会に、「ゲラサの悪霊つきと呼ばれた男がイエスに癒され、その後、伝道者になってこの地に教会を立てた」という伝承が残されていたと推測される。
−マルコ5:20「その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことを、ことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。」
・ゲラサの狂人は「主があなたに何をして下さったかを知らせなさい」(5:19)というイエスの命に従って伝道者となり、その実りとして教会が立てられたことを、マルコは報告している。ここに疎外状態にあった一人の人物の回復物語がある。「死んでいた人が生き返った」、「いなくなっていた人が見つかった」という喜びの知らせがある。私たちの周りにも、抑圧の中で外に出ることが出来ず、家に引きこもっている人がいる。安定した職業につけず、将来に希望を失っている人がいる。心身の病気のために礼拝に出ることが出来ない人がいる。その人たちに、私たちが「神は孤独な人に身を寄せる家を与え、捕われ人を導き出して清い所に住ませてくださる」との福音を伝え、その人と祈りを共にする時、そこに何かが生まれる。
・コロサイの逃亡奴隷であったオネシモは、パウロの執り成しにより、主人フィレモンに解放され、やがてはエペソの司教にまでなったという(フィレモン1:1-21)。汚れていた霊にとりつかれて自分を傷つけていた人が、イエスと出会いを通して、イエスに従う伝道者になった。「主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい」という言葉に従う時、そこに神の業が現れる。

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