江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2017年1月11日祈祷会(ルカによる福音書23:1-25、イエスの裁判と死刑の判決)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.ピラトの裁判

・最高法院(サンへドリン)はイエスに死刑判決を下し、刑の執行をロ−マ総督ピラトに求めた。
―ルカ23:1-2「そこで、全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そして、イエスをこう訴え始めた。『この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることがわかりました。』と言った。」
・ピラトはイエスに尋ねる「お前はユダヤ人の王なのか」。当時のユダヤはローマ総督の支配下にあり、もしイエスが「自分が王である」と主張すれば、それはローマ支配に対する反乱罪となる。ユダヤではローマからの解放を求める熱心党(ゼロ―タイ)の運動が各地に起こり、ローマ人たちは神経質になっていた。その中で、イエスに、民衆を扇動してローマに反乱を起こそうとしているではないかとの嫌疑がかけられた。だからピラトは問う「お前はユダヤ人の王か」。
―ルカ23:3-5「そこで、ピラトがイエスに『お前がユダヤ人の王なのか』と尋問すると、イエスが、『それは、あなたがたが言っていることです』とお答えになった。ピラトは祭司長たちと群衆に、『私はこの男に何の罪も見いだせない』と言った。しかし彼らは、『この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、住民を扇動しているのです』と言い張った。」
・ユダヤ人の自治機関であるサンへドリンは死刑を執行する権限はなかった。死刑はロ−マ官憲によって執行されねばならなかった。彼らがイエスに課した罪は瀆神罪であり、その罪でロ−マがイエスを処刑することはできなかったため、彼らは反乱罪でイエスを告発した。ピラトは彼等の企みを見抜いていたが、彼らを怒らせたくもなかったので、イエスがガリラヤ出身であることより、エルサレムに来ていたガリラヤ王ヘロデ・アンティパスにイエスの処分を委ねた。
―ルカ23:6-7「これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとへ送った。ヘロデも当時エルサレムに滞在していたのである。」

2.ヘロデはイエスを見て喜んだ

・ヘロデはイエスを見て喜んだ。彼は一度イエスに会いたいと常々語っていた。イエスの教えを聞きたいからではなく、イエスの行う奇跡を見たかったからだ。イエスは黙って何も答えられなかった。
―ルカ23:8-9「彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。それで、いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった。」
・ヘロデ・アンティパスは洗礼者ヨハネを殺した人物であり、イエスはかつて彼を狐と呼ばれた(13:32)。イエスは興味本位のヘロデの尋問に答えられず、立腹したヘロデはイエスを愚弄し、ピラトの下に返した。
−ルカ23:10-12「祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。それまでは互いに敵対していたのである。」

3.死刑の判決を受ける

・ピラトはイエスが政治的反逆者ではないことを理解している。だから釈放しようとした。
―ルカ23:13-16「ピラトは、祭司長たちと議員たちを呼び集めて、言った。『あなたたちは、この男を、民衆を惑わす者として私のところに連れて来た。私はあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑にあたるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。』」
・民衆は納得せず、イエスを十字架につけ、バラバの釈放を叫ぶ。
―ルカ23:18-19「しかし、人々は一斉に、『その男を殺せ。バラバを釈放しろ』と叫んだ。このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。」
・ピラトは三度もイエスの釈放を要求するが、民衆は拒否する。ルカ福音書のピラトはイエスの釈放を繰り返し求めている。ある人々はここに、「ローマの権力者に対してキリスト教を擁護する傾向がルカにある」とする。確かにルカ福音書はローマの権力者「テオフィロ」に捧げられている(1:1-4)。
―ルカ23:20-22「ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。しかし人々は、『十字架につけろ、十字架につけろ』と叫び続けた。ピラトは三度目に言った。『いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しょう。』」
・ヨハネによれば、ユダヤ人たちはイエスを釈放すれば、皇帝に訴えるとピラトを脅している。
−ヨハネ19:12「ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ『もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています』」。
・過ぎ越しの祭りの時に囚人を特赦する習慣があり、群衆はイエスではなく、バラバの釈放を求めた。このバラバについてマルコは「暴徒」とする。ギリシャ語「スタシアステース」、暴動参加者という意味だ。ローマからの解放運動はしばしばテロ活動を伴い、バラバは反ローマ運動の指導者として捕らえられたのであろう。群衆は彼らにとって愛国の英雄であるバラバの釈放を求めた。
−ルカ23:24-25「そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求通りに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた」。
・ルカは使徒言行録の中で「あなたがたユダヤ人がイエスを殺した」と告発するが(使徒3:13-15)、ユダヤ人の断罪を求めない。彼らが無知のために行った行為を神は赦し、救いに導かれると信じるためだ。
-使徒3:17-19「兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと私には分かっています。しかし、神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの苦しみを、このようにして実現なさったのです。だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。」
・他方マタイは「血の責任は我々と子孫にある」とユダヤ人たちは答えたと記し(27:25)、これが後のユダヤ人迫害の根拠とされていった。マタイの教会はユダヤ教からの迫害の中にあったからだろうか。
-マタイ27:24-25「ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。『この人の血について、私には責任がない。お前たちの問題だ。』民はこぞって答えた。『その血の責任は、我々と子孫にある。』」

4.私たちはこの物語をどう読むか

・イエスの処刑が確定し、ピラトはバラバを釈放し、イエスを十字架につけるように、兵士たちに渡した。イエスはピラト審問の間、ほとんど口を開かれず、沈黙を守られた。最後の晩餐時のイエスの言葉(ルカ22:37)はイエスの十字架死に、「主の僕の預言(イザヤ53章)の成就」を見た初代教会の信仰であろう。
−ルカ22:37「言っておくが『その人は犯罪人の一人に数えられた』と書かれていることは、私の身に必ず実現する。私にかかわることは実現するからである」。
・聖書学者の大貫隆氏は述べる「イエス処刑後に残された者たちは必死でイエスの残酷な刑死の意味を問い続けていたに違いない。その導きの糸になり得たのは聖書(旧約)であった。聖書の光に照らされて、今や謎と見えたイエスの刑死が、実は神の永遠の救済計画の中に初めから含まれ、聖書で預言されていた出来事として了解し直されるのである・・・彼らはイザヤ53章を『イエスの刑死をあらかじめ指し示していた預言』として読み直し、イエスの死を贖罪死として受取り直した」(大貫隆「イエスという経験」から)。
−イザヤ53:12「私は多くの人を彼の取り分とし、彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで、罪人の一人に数えられたからだ。多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのはこの人であった」。
・初代教会の人々はイエスの沈黙の中に、「苦しみを引き受けて死なれる」姿を見た。そして彼等もまたイエスに従い、イエスのために「苦しみを引き受ける者」となり、その殉教者の血が教会を形成してきた。この物語は私たちに、「仮に不当に誤解され、非難されることがあった時、わからせる努力を尽くすべきだが、説明しても分かってもらえないときは沈黙を守れ」と語る。人への沈黙は心を神に向けるゆえだ。真実はやがて神が明らかにして下さるゆえに、無用な抗弁はしない。イエスはそういう生き方をされた、そして神はそのイエスを死から起こされた。
-詩篇62:2「私の魂は沈黙して、ただ神に向かう。神に私の救いはある」。

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