1.ローマ総督フェリクスの前で訴えられたパウロ
・大祭司アナニアはローマ総督にパウロを訴え、弁護士テルティロに告発させた。テルティロは、まず総督フェリクスの治世を賞賛し、美辞麗句を並べた。
−使徒24:1-3「五日の後、大祭司アナニアは、長老数名と弁護士テルティロという者を連れて下って来て、総督にパウロを訴え出た。パウロが呼び出されると、テルティロは告発を始めた。『フェリクス閣下、閣下のお陰で、私どもは十分に平和を享受しております。また、閣下の御配慮によって、いろいろな改革がこの国で進められています。私どもは。あらゆる面で、至るところで、このことを認めて称賛申し上げ、また心から感謝している次第です。』」
・テルティロは、「パウロは疫病のような危険人物で、世界中のユダヤ人に暴動を伝染させるから排除すべきだ」と告発理由を述べた。ロ−マ政府は秩序を乱す者を容赦なく処刑していた。テルティロはロ−マ政府の政策をたくみに取り込み、事実無根の告発理由としていた。
−使徒24:4-6「『さて、これ以上御迷惑にならないよう手短に申しあげます、御寛容をもってお聞きください。実はこの男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、「ナザレ人の分派」の首謀者であります。この男は神殿さえも汚そうとしたので逮捕しました』」。
・テルティロは千人隊長がパウロを保護した経過を逆用し、「パウロのような危険人物をかばっているのは、むしろロ−マ側ではないか」と暗にロ−マ側を非難した。テルティロは騒動の責任をすべてパウロと千人隊長に押し付けようと企んだ。
−使徒24:7-9「『そして私どもの律法で裁こうとした所、千人隊長リシアがやって来て、この男を無理やり私どもの手から引き離し、告発人たちには、閣下の所に来るようにと命じました。閣下御自身でこの者をお調べくだされば、私どもの告発していることがすべてお分かりになるかと存じます。』他のユダヤ人たちもこの告発を支持し、その通りであると申し立てた。」
・総督フェリクスは紀元53年、ユダヤ総督の地位についた。彼の在任中(53-58年)、数多くの暴動が起こり、暴動を鎮圧する際の非情さが、穏健なユダヤ人を怒らせ、さらに暴動発生の原因となった。彼は奴隷出身の総督だった。彼の兄弟パラスの友人に、後に皇帝になったクラウディオがおり、クラウディオはパラスの願いで彼を総督に任命した。しかし、彼の行政は腐敗と不正の温床となった。歴史家タキトウスは「フェリクスは王の特権を奴隷根性で行使した」と酷評した。テルティロがフェリクスへの挨拶で「閣下のおかげで、すばらしい平和が与えられ・・・」はへつらい以外のなにものでもない。
2.フェリクスの前で弁明するパウロ
・大祭司の告発は根拠のないものだった。パウロの弁明は「ローマの法律に反することはしていない」という点が中心になっている。使徒言行録は一貫して、キリストの教えが騒乱をもたらすものではないと主張する。総督に促されて答弁に立ったパウロは、堂々と身の潔白を述べ、たじろぐことはなかった。
−使徒24:10-13「総督が、発言するように合図したので、パウロは答弁した。『私は、閣下が多年この国民の裁判をつかさどる方であることを、存じあげておりますので、私自身のことを喜んで弁明いたします。確かめていただけば分かることですが、私が礼拝のためエルサレムに上ってから、まだ十二日しかたっていません。神殿でも会堂でも町の中でも、この私がだれかと論争したり、群衆を扇動したりするのを、だれも見た者はおりません。そして彼らは、私を告発している件に関し、閣下に対して何の証拠もあげることができません。』」
・パウロは自分が助かるために弁明するのではなく、良心に従って弁明する。彼は自己の信仰が伝統的なユダヤ教に立つのではなく、ナザレ派と呼ばれる信仰に立つことを、総督の前に隠さない。弁明とは弁証、それが伝道なのである。
−使徒24:14-16「『ここで、はっきり申しあげます。私は、彼らが「分派」と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように務めています。』」
・パウロは神殿での騒動が私の責任というなら、「証人を喚問せよ」と主張した。
−使徒24:17-19「『さて、私は、同朋に救援金を渡すため、また、供え物を献げるために、何年ぶりかで戻って来ました。私が清めの式にあずかってから、神殿で供え物を献げているところを人に見られたのですが、別に群衆もいませんし、騒動もありませんでした。ただ、アジア州から来た数人のユダヤ人はいました。もし、私を訴えるべき理由があるというのであれば、この人たちこそ、閣下のところへ出頭して告発すべきだったのです。』」
・証人を喚問出来ないなら、この場にいる者が証人になればよいとパウロは議場に要求した。しかし証人などいない。証人も証拠もなければ裁判は維持できないから、総督フェリクスはパウロを無罪放免すべきだったが、彼は何もしなかった。ユダヤ人の憎むパウロを釈放することによる騒乱を、彼は恐れた。
−使徒24:20-22「『さもなければ、ここにいる人たち自身が、最高法院に出頭していた私にどんな不正を見つけたか、今言うべきです。彼らの中に立って、「死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ」と叫んだだけなのです。』フェリクスはこの道についてかなり詳しく知っていたので、『千人隊長ルシアが下って来るのを待って、あなたたちの申し立てに対して判決を下すことにする』と言って裁判を延期した。」
3.二年間のカイサリア幽閉
・パウロはこの後。多少の自由を与えられたものの、2年間不当に監禁された。
−使徒24:23-27「そしてパウロを監禁するように、百人隊長に命じた。ただし、自由をある程度与え、友人たちが彼の世話をするのを妨げないようにさせた。数日の後、フェリクスはユダヤ人である妻のドルシラと一緒に来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスへの信仰について話しを聞いた。しかし、パウロが正義や節制や来るべき裁きについて話すと、フェリクスは恐ろしくなり、『今回はこれで帰ってよろしい。また適当な機会に呼び出すことにする』と言った。さて、二年たって、フェリクスの後任者としてポルキウス・フェストウスが赴任したが、フェリクスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた。」
・フェリクスはアジサス王の妻ドルシラに横恋慕し、これを奪い取っていた。パウロがそれを批判し、正義と節制、審判について説いた。フェリクスは自らの悪業を思い知らされ、パウロの話しを遮り、一方的に打ち切る。バプテスマのヨハネは、ヘロデ・アンティパスが兄弟の妻ヘロデヤを娶ったことを批判しために処刑された(マルコ6:17-19)。パウロもまた総督の不道徳を批判したために、釈放されなかった。パウロはやがてローマ皇帝に上訴してローマに送られるが、総督もパウロが有罪だとは思っていない。彼は無罪であるにも関わらず、2年間の獄中生活を強いられる。
-使徒26:30-32「そこで、王が立ち上がり、総督もベルニケや陪席の者も立ち上がった。彼らは退場してから、『あの男は、死刑や投獄に当たるようなことは何もしていない』と話し合った。アグリッパ王は総督フェストゥスに、『あの男は皇帝に上訴さえしていなければ、釈放してもらえただろうに』と言った」。
・パウロは上訴し、その結果ローマに連行される。不思議な方法でローマへの福音伝道が為される。
-使徒23:11「その夜、主はパウロのそばに立って言われた。『勇気を出せ。エルサレムで私のことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない』」。
・パウロは獄中から、エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモンの四つの書簡を書いている(獄中書簡)。パウロがどこから書いたかは不明だが、カイザリア説(56-58年幽閉)、ローマ説(59-61年幽閉)が有力である。これまで多忙な伝道生活をしてきたパウロに考察の時が与えられ、パウロはこれを機会として用いたのであろう。投獄さえも信仰者には恵みとなる。
-エペソ4:1「主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい」。