1.エペソ、スミルナへの手紙
・ローマ皇帝ドミティアヌスの時代、キリスト教徒たちは皇帝礼拝を拒否した故に、迫害された。ヨハネは流刑地で幻を示され、アジア州の七つの教会宛に手紙を書いた。最初の手紙はエペソ教会宛てのものだ。エペソは外部からの迫害と共に、内部からの異端の混乱の中にあった。
―黙示録2:2-3「私は、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、また、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いたことも知っている。あなたはよく忍耐して、私の名のために我慢し、疲れ果てることがなかった」。
・その異端は、ニコライ派と呼ばれている。おそらくは迫害の中での妥協=皇帝礼拝をしても信仰は汚されないとの考えが教会に広がり始めていたのであろう。この異端はエペソだけでなく、他の教会にも広がっていた。
―黙示録2:6「あなたには取り柄もある。ニコライ派の者たちの行いを憎んでいることだ。私もそれを憎んでいる」。
・しかし、内部の敵との論争がエペソ教会を最初の愛から離してしまった。教会内で論争が起これば、互いに批判的になり、愛し合うことを忘れる。他者を批判し始める時、私たちはキリストの愛から離れてしまう。
―黙示録2:4-5「あなたは初めのころの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。もし悔い改めなければ、私はあなたのところへ行って、あなたの燭台をその場所から取りのけてしまおう」。
・スミルナ教会は迫害を良く耐えている。「私はあなたの苦難や貧しさを知っている」と主は言われる。詩篇の作者は「何故あなたは御顔を隠されるのか」と歌った(詩篇44:25)が、神は沈黙されているのではない。
―黙示録2:9-10「私は、あなたの苦難や貧しさを知っている。・・・あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みるために、あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは、十日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう」。
・迫害で殉教するものもあろう。しかし、「体を殺しても魂を殺すことの出来ない者を恐れるな」と言われる(マタイ10:28)。肉体の死(第一の死)ではなく魂の死(第二の死)こそ恐れるべきではないか。
―黙示録2:11「耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者は、決して第二の死から害を受けることはない。」
2.ペルガモン、ティアティラの教会への手紙
・ペルガモンにはローマ皇帝を祭る神殿があり、皇帝礼拝の中心地であった。それゆえに迫害は厳しかった。
―黙示録2:13「私は、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかし、あなたは私の名をしっかり守って、私の忠実な証人アンティパスが、サタンの住むあなたがたの所で殺されたときでさえ、私に対する信仰を捨てなかった」。
・迫害が厳しくなると、棄教するものが出てくる。バラムの教え=世に従おうとする者も出てくる。戦時中の日本の教会が天皇を神と認め、神社参拝を認めていったのもそうだ。
―黙示録2:14-15「あなたのところには、バラムの教えを奉ずる者がいる。バラムは、イスラエルの子らの前につまずきとなるものを置くようにバラクに教えた。それは、彼らに偶像に献げた肉を食べさせ、みだらなことをさせるためだった。同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉ずる者たちがいる」。
・日本の教会は世に倣って神社参拝を行ったが、韓国の教会は神社参拝を拒否し、多くの殉教者を出した。それが今日の韓国教会の隆盛と日本教会の衰退の原因の一つだ。
―黙示録2:17「勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかにはだれにも分からぬ新しい名が記されている。」
・ティアティラ教会も迫害の中で、教会が揺れていた。最後まで信仰を守り続けよと励まされている。イゼベルはイスラエルにバアル信仰を持ち込んだ女王の名だ。異教社会の中で信仰を失うなと主は言われる。
―黙示録2:19-20「私は、あなたの行い、愛、信仰、奉仕、忍耐を知っている。・・・しかし、あなたに対して言うべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女のすることを大目に見ている。この女は、自ら預言者と称して、私の僕たちを教え、また惑わして、みだらなことをさせ、偶像に献げた肉を食べさせている」。
・迫害はやがて終わる。苦難は永遠ではない。私があなたのところに行き、全てを裁く。だから待てと言われる。
―黙示録2:24-26「私は、あなた方に別の重荷を負わせない。ただ、私が行く時まで、今持っているものを固く守れ。勝利を得る者に、私の業を終わりまで守り続ける者に、私は、諸国の民の上に立つ権威を授けよう」。