1.人を愛するものは兄弟を憎まない
・キリストは姦淫の女を赦された時、「もう罪を犯さないように」戒められた(ヨハネ8:3-11)。私たちも同じ赦しの中にあるが、悔い改めても罪を犯し続ける。そのような私たちをも主は弁護してくださるとヨハネは言う。
―?ヨハネ2:1-2「私の子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。この方こそ、私たちの罪、いや、私たちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです」。
・罪を犯しても良いということではない。しかし、罪を犯さざるをえない弱さをキリストは知ってくださる。だから私たちはキリストに従い続ける。キリストに従うとは、キリストの戒めを守り続けることだ。
―?ヨハネ2:3-6「私たちは、神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽り者で、その人の内には真理はありません。しかし、神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。これによって、私たちが神の内にいることが分かります。神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません」。
・キリストと共にいるとは、律法を守れば良いというのではなく、御言葉を聞き続けていくことだ。神への愛は、感情的な言語や神秘的な経験によってではなく、道徳的服従によって示される。
―詩篇119:105-108「あなたの御言葉は、私の道の光、私の歩みを照らす灯。私は誓ったことを果たします。あなたの正しい裁きを守ります。私は甚だしく卑しめられています。主よ、御言葉のとおり、命を得させてください。私の口が進んでささげる祈りを、主よ、どうか受け入れ、あなたの裁きを教えてください」。
・その戒めとは「愛し合いなさい」という戒めだ。愛するとは自分の利益よりも相手の利益を求めていくことだ。
―ヨハネ13:34-35「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。私があなた方を愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなた方が私の弟子であることを、皆が知るようになる。」
・神を愛するものは兄弟を憎まない。信仰は私たちの生活そのものを変えていくのだ。
―?ヨハネ2:9-11「光の中にいると言いながら、兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます。兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません。しかし、兄弟を憎む者は闇の中におり、闇の中を歩み、自分がどこへ行くかを知りません。闇がこの人の目を見えなくしたからです」。
2.教会から去っていく人々
・ヨハネの共同体では自分たちの考えに固執する人々が、教会を混乱させ、挙句の果てに、教会から出て行った。反キリストは教会の中から生まれる、異端思想の台頭の中で教会が分裂していくという悲しい現実がある。
―?ヨハネ2:18-19「子供たちよ、終わりの時が来ています。反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。これによって、終わりの時が来ていると分かります。彼らは私たちから去って行きましたが、もともと仲間ではなかったのです。仲間なら、私たちの元に留まっていたでしょう。しかし去って行き、誰も私たちの仲間ではないことが明らかになりました」。
・教会の中に世の欲が入りこんでくる。肉の欲、目の欲、生活のおごりが信仰を曲げることが起こる。
―?ヨハネ2:15-17「世も世にあるものも、愛してはいけません。世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、御父から出ないで、世から出るからです。世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人は永遠に生き続けます」。
・あなた方は迷わされることなく、キリストのうちにいなさい。キリストにいるとは教会にいることだ。
―?ヨハネ2:20-24「あなたがたは聖なる方から油を注がれているので、皆、真理を知っています。・・・御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです。御子を認めない者はだれも、御父に結ばれていません。御子を公に言い表す者は、御父にも結ばれています。初めから聞いていたことを、心にとどめなさい。初めから聞いていたことが、あなたがたの内にいつもあるならば、あなたがたも御子の内に、また御父の内にいつもいるでしょう」。
・教会の歴史は争いと分裂の歴史だ。それにもかかわらず、教会の頭は御子だ。教会は間違っても正しい路に帰りうる。だから教会に留まりなさい。教会を離れることは命を離れることなのだ。
―?ヨハネ2:28-29「子たちよ、御子の内にいつもとどまりなさい。そうすれば、御子の現れるとき、確信を持つことができ、御子が来られるとき、御前で恥じ入るようなことがありません。あなたがたは、御子が正しい方だと知っているなら、義を行う者も皆、神から生まれていることが分かるはずです」。