1.アベル、エノク、ノアの信仰〜見ずに信じた人々
・著者は11章から信仰の先人たちを語る。今あなたがたは迫害に苦しんでいるが、先人たちもそれぞれの困難の中で生きてきた。あなたがたの試練は、先人たちも経験したものだ、だから負けるな。現実の世界がどうあれ、与えられた約束を確信し、見えない事実を確認していけ。いつそれが実現するのか、私たちは知らないが、実現を信じていけ。
―ヘブル11:1-3「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。信仰によって、私たちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです」。
・アベルは羊の初子を捧げ、カインは土の実りを捧げた。主はアベルの捧げものを受け入れ、カインのものを選ばれなかった。妬んだカインは弟アベルを殺す。アベルは信仰によってより良きものを捧げたと著者は言う。
―ヘブル11:4「信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています」。
・エノクは死を経験することなく、神の元に召された。それも信仰の故だと著者は言う。
―ヘブル11:5-6「信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。・・・信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです」。
・ノアは信仰によって地が滅ぼされることを信じ、箱舟を作り、家族一同が助けられた。古代教会では、教会が主の箱舟とみなされた。ノアの信仰についてはイエスもほめておられる。
―ヘブル11:7「信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました」。
―マタイ24:37-39「人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである」。
2.アブラハムの信仰〜約束を信じ続けた信仰の父
・アブラハムは主の声を聞いて、行き先も知らずに出て行った。彼は故郷の豊かな生活を捨て、召しを受けて旅立った。
―ヘブル11:8「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです」。
・そして生涯を幕屋で過ごした。子のイサクやヤコブも同じだった。この世の寄留者として過ごしたのである。
―ヘブル11:9-10「信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです」。
・サラは夫アブラハムが100歳、自身は90歳でイサクを生んだ。子を生むことの難しい状況の中で、主の言葉を信じた。
―ヘブル11:11「信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです」。
・アブラハムは与えられた一人子イサクを捧げよとの主の命に、従った。命令が理解できなくとも主は憐れんでくださることを信じ、主に不可能はないことを信じたからである。主が与え、主がとられる、それに従う。
―ヘブル11:17-19「信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです」。
・古代の信仰者は神の約束を信じて生きた。彼らは約束の一部しか実現していない時も、約束は成就すると信じて従った。その信仰は完全ではない、多くの過ちを犯した。しかし、過ちを犯しても悔い改めて従っていった。
―ヘブル11:13-16「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。・・・もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです」。
・人生とは神の国を目指す旅であり、信仰者は寄留者だ。信仰者の本籍は天にある。
―ピリピ3:20「しかし、私たちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待っています」。