1.健全な教えに生きなさい
・教会は異なる教えの台頭で、混乱している。彼らは禁欲を、あるいは神秘体験を信仰の業として行うことを求める。しかし、パウロは健全な信仰生活をこの世で送ることこそが、キリスト者のなすべきことだと主張する。
―テトス1:16-2:1「こういう者たちは、神を知っていると公言しながら、行いではそれを否定しているのです。・・・しかし、あなたは、健全な教えに適うことを語りなさい」。
・人は年を取ると自制力を失い、気短になり、生きることに投げやりになる。しかし、教会の長老たちは、自らを制し、謹厳で、慎み深くあれと勧められる。
―テトス2:2「年老いた男には、節制し、品位を保ち、分別があり、信仰と愛と忍耐の点で健全であるように勧めなさい」。
・女性も年をとると、あつかましく恥知らずになりやすい。しかし、教会の年配の婦人たちは、そうであってはならない。これまでの人生経験と知恵により、若い婦人たちに良き業を教える者となりなさい。
―テトス2:3「同じように、年老いた女には、聖なる務めを果たす者にふさわしくふるまい、中傷せず、大酒のとりこにならず、善いことを教える者となるように勧めなさい」。
・若い婦人たちには、妻として母としての勤めをりっぱに果たすように、勧めなさい。
―テトス2:4-5「彼女たちは若い女を諭して、夫を愛し、子供を愛し、分別があり、貞潔で、家事にいそしみ、善良で、夫に従うようにさせることができます。これは、神の言葉が汚されないためです」。
・青年たちには、思慮深く振舞うように教えなさい。あなた自身が若い人たちの模範となりなさい。
―テトス2:6-8「若い男には、思慮深くふるまうように勧めなさい。あなた自身、良い行いの模範となりなさい。教えるときには、清廉で品位を保ち、非難の余地のない健全な言葉を語りなさい。そうすれば、敵対者は、私たちについて何の悪口も言うことができず、恥じ入るでしょう」。
・奴隷に対しては、積極的に服従することを通して、主を証しするように勧めなさい。
―テトス2:9-10「奴隷には、あらゆる点で自分の主人に服従して、喜ばれるようにし、反抗したり、盗んだりせず、常に忠実で善良であることを示すように勧めなさい。そうすれば、私たちの救い主である神の教えを、あらゆる点で輝かすことになります」。
2.テトス2章が教えること−地の塩、世の光として、生きよ
・パウロは「奴隷は奴隷としての務めを十分に果たしなさい」と教え、自由になるために戦えとは言わない。奴隷であるか、ないかは、救いの本質には関係しないからだ。だから無慈悲な主人にも従えと聖書は教える。
―?コリント7:21-22「召されたときに奴隷であった人も、そのことを気にしてはいけません。自由の身になることができるとしても、むしろそのままでいなさい。というのは、主によって召された奴隷は、主によって自由の身にされた者だからです。同様に、主によって召された自由な身分の者は、キリストの奴隷なのです」。
・若い婦人たちにも良き妻、良き母であれと勧める。それは家父長制下のあきらめではなく、積極的な証しの生き方だ。自己実現、自己充実を通しては本当の喜びは生まれない。喜びは相手に仕えることを通して生まれる。
―?ペテロ3:1-2「妻たちよ、自分の夫に従いなさい。夫が御言葉を信じない人であっても、妻の無言の行いによって信仰に導かれるようになるためです。神を畏れるあなたがたの純真な生活を見るからです」。
・神は御子を通して私たちに命を下さった。命をいただいた私たちは、この世の欲を断念し、慎み深く、正しく、信心深く生活することを通して、私たちの希望を証ししていくのだ。
―テトス2:11-13「すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、私たちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています」。
・伝道とは外に向かって福音を説くこと以上に、福音を生活の中で生きる私たちの姿を外に向かって示すことだ。
―テトス2:14「キリストが私たちのために御自身を献げられたのは、私たちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです」。
・神は私たちを通して、人々に福音を伝えようとしておられる。あなたはその神の器として、世の塩・地の光となることが求められている。そのことを通して、本当の充足が、本当の満たしが、あなたの人生に与えられる。
―マタイ5:16「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」。