1.教会への迫害
・福音は国家を超える故に、国家と衝突し、時として国家は福音の迫害者になる。初代教会の迫害者になったのは、ヘロデ大王の孫アグリッパだった。彼は正統派ユダヤ人の関心を買うために、使徒たちを捕らえ、殺した。
−使徒言行録12:1-2「ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した」。
・迫害の手はペテロにも伸びた。ヘロデ王はペテロを捕らえ、祭りの後に処刑することにした。
−使徒言行録12:3-5「それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。・・・教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた」。
・そのペテロに不思議な業が起こり、ペテロは牢獄から救出される。
−使徒言行録12:6-10「ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。・・・鎖が彼の手から外れ落ちた。・・・第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った」。
・ペテロの救出という出来事が核となって伝説化されたものであろう。教会の祈りがペテロを解放したと考えてはいけない。何故なら、ヤコブの投獄の際にも教会は祈ったであろうが、ヤコブは殺された。ペテロはするべきことがあるために生かされ、ヤコブはその業を終えて眠った。神の出来事であり、人間の出来事ではない。
−使徒言行録12:11「ペトロは我に返って言った『今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、私を救い出してくださったのだ』」。
・ある人々は言う「あなたに信仰があればあなたはいやされる」。私たちは反論する「いやしは神の権能であり、私たちの信仰や祈りの問題ではない」。私たちはマルコにあるてんかんの子のいやしをどのように考えるのか。
−マルコ9:22-24「『霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。おできになるなら、私どもを憐れんでお助けください』。イエスは言われた『できればと言うか。信じる者には何でもできる』。その子の父親はすぐに叫んだ『信じます。信仰のない私をお助けください』」。
2.教会の救出
・ヘロデ王は演説をし、民衆がその演説を「神の声だ」と称えた時、彼は倒れ、息を引き取ったとルカは書く。ヘロデの急死は歴史家ヨセフスも伝える(ヘロデは銀の衣装をまとって現れ、それが太陽を反射して光り輝き、民衆が「この人こそ神だ」と称えた時、彼は倒れたという)。急性盲腸炎等による急死かも知れない。
−使徒言行録12:20-23「ヘロデ王は、ティルスとシドンの住民にひどく腹を立てていた。そこで、住民たちはそろって王を訪ね、その侍従ブラストに取り入って和解を願い出た。彼らの地方が、王の国から食糧を得ていたからである。定められた日に、ヘロデが王の服を着けて座に着き、演説をすると、集まった人々は『神の声だ。人間の声ではない』と叫び続けた。するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。ヘロデは、蛆に食い荒らされて息絶えた」。
・人間の思い上がりに対して、神は速やかに、容赦なく、権力者からその神聖を剥ぎ取られる。
−ヘロデ・アグリッパは衆人環視の中で倒れ、死んだ。
−ヒットラーは連合軍に追い詰められ、ベルリンの防空壕の中で自殺した。
−ムッソリーニは自国民からリンチを受け、木に吊るされて死んだ。
・暴君は滅びる。それは歴史の必然だ。何故なら歴史を支配しているのは権力者ではなく、神だからだ。
−使徒言行録12:24-25「神の言葉はますます栄え、広がって行った。バルナバとサウロはエルサレムのための任務を果たし、マルコと呼ばれるヨハネを連れて帰って行った」。
・ルカは乙女マリヤの口を通して、その真実を証しする。有名なマグニフィカット(マリヤの祈り)である。
−ルカ1:51-53「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます」。
・神は神であり、人は人である。私たちが神よりも人に配慮して、国粋主義的キリスト者になった時、私たちも道を誤る。アメリカの福音派の人々はブッシュを支持し、イラク戦争を聖戦と称える。どこかが間違っている
−ルカ20:25「イエスは言われた『それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい』」。