1.皇帝への税金をめぐる論争
・イエスのところにパリサイ派の人々とヘロデ派の人々が共に来て、イエスをわなにかけるために質問した。
―マタイ22:15-17「ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉尻をとらえて、罠にかけようかと相談した。そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。『・・・皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。』」
・当時のユダヤはローマの植民地であり、人々はローマへの納税を強制されていた。反ローマの人々は納税拒否を行っており、親ローマの人たちは納税に協力していた。どちらを答えてもイエスが不利に追い込まれる状況にあった。イエスは彼らの悪意を知りながらも、貨幣を持ってきなさいと言われた。
―マタイ22:18-19「イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。税金に納めるお金を見せなさい。」
・当時の流通通貨はローマのデナリ貨幣であり、皇帝の肖像と銘が彫り込んであった。イエスは答えて「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と言われた。
―マタイ22:20-21「イエスは、『これは、だれの肖像と銘か』と言われた。彼らは、『皇帝のものです』と言った。すると、イエスは言われた。『では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。』」
・あなたが皇帝の権威を認めて貨幣を流通させているのであれば、義務を果たしなさい。しかし、皇帝の権威の及ばぬ領域、あるいは及んではいけない領域については神に従いなさいとイエスはここで言われている。
2.皇帝のものは皇帝に、神のものは神へとは具体的にはどういうことか
・マタイ22章はローマ13章1−7節と共に、国家と個人の間をどのように考えるべきかについて、長い間論争になったところである。
―ローマ13:1-7「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。・・・権威者は神に仕える者であり、そのことに励んでいるのです。すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい。」
・それは歴史上、多くの論議を呼んできた箇所である。
―初代教会はこの教えに従い、迫害に抵抗することなく、進んで十字架の上に死んでいった。
―コンスタンティヌス帝以降、教会は「政府は神により立てられたものであるからキリスト者は政府に従うべきであり、国家の命じる戦争にもキリスト者は参加すべきである」と考えてきた。
―宗教改革期、ルターは1525年の農民戦争に対して、諸侯に反乱を鎮圧するように求める。他方、急進派は、君主が神の委託に反した場合はその権威は否定されるとして、ローマ13章を根拠に抵抗権を主張した。
―1933年にナチスがドイツの政権に合法的についた時、多くの教会関係者はヒトラー政権を神の権威の基に成立した政権として容認していった。他方、改革派教会は権威がサタンから来る場合もあるとして(黙示録13:7)、その場合にはキリスト者はそれに抵抗すべきであるとして、ナチスとの武力を含めた戦いを始める。
・キリスト者は良心の故に世の秩序に服従する。そのために貢や税や尊敬も世に支払う。しかし、同時に神のものは神に納めるべきだと考える。それは、神に対する畏れは神のものであると言う考え方である。
―ローマ12:2「世に倣ってはいけない。・・・何が神の御心であり、何が良いことで、神に喜ばれ、また完全であるかをわきまえなさい」。
・パウロは「仮に、ローマ皇帝が信仰を捨てよと命令しても、それを拒否しなさい。しかし報復として殺すということであれば、それは受容しなさい。」とローマの信徒に勧めている。
―ピリピ1:29「 つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。」
・悪には従わないが、秩序には従う。悪に従わないことによって不利益を受けるのであれば、その不利益をキリストのためと思って喜びなさいとパウロは言っている。
―ローマ12章20-21節「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」