1.滅びから救いが始まる
・ホセア書は北イスラエル滅亡の危機の中で、立たされた預言者ホセアが、国の滅亡を防ぐために悔い改めを求めた記録である。しかし、人々は預言者の声に耳を傾けず、北イスラエル(エフライム)は前721年にアッシリアに滅ぼされてしまう。歴史的にはメソポタミヤ・アッシリア帝国の自己拡張の犠牲として滅んだのであるが、その本質には神に頼らず自己の才覚で生存を図ろうとした所にその罪があるとホセアは語る。ある時にはアッシリアに迎合し、別の時にはエジプトの武力に頼るその定見のなさが国を滅ぼしたのだと。
−ホセア7:10-11「イスラエルを罪に落とすのは自らの高慢である。彼らは神なる主に帰らず、これらすべてのことがあっても、主を尋ね求めようとしない。エフライムは鳩のようだ。愚かで、悟りがない。エジプトに助けを求め、あるいは、アッシリアに頼って行く」。
・しかし主なる神はそのような北イスラエルを見捨てられない。彼らが国を追われ、遠い異国に捕囚になろうとも見捨てないと預言者を通して神は宣言される。
−ホセア11:8-9「ああ、エフライムよ、お前を見捨てることができようか。イスラエルよ、お前を引き渡すことができようか。アドマのようにお前を見捨て、ツェボイムのようにすることができようか。私は激しく心を動かされ、憐れみに胸を焼かれる。私は、もはや怒りに燃えることなく、エフライムを再び滅ぼすことはしない。私は神であり、人間ではない。お前たちのうちにあって聖なる者。怒りをもって臨みはしない」。
・そしてホセアは捕囚として遠いアッシリアの地に連行されるイスラエルの民に呼びかける「主に立ち返れ、悔い改めよ、そうすれば主は赦して下さる」と。
−ホセア14:2-3「イスラエルよ、立ち帰れ、あなたの神、主のもとへ。あなたは咎につまずき、悪の中にいる。誓いの言葉を携え、主に立ち帰って言え『すべての悪を取り去り、恵みをお与えください。この唇をもって誓ったことを果たします』」。
・「そして言え、アッシリアは救いではありませんでした。エジプトの軍馬も何の役にも立ちませんでした。ただあなたのみに頼ってこれからは生きます」と。
−ホセア14:4「アッシリアは私たちの救いではありません。私たちはもはや軍馬に乗りません。自分の手が造ったものを、再び私たちの神とは呼びません。親を失った者は、あなたにこそ憐れみを見いだします」。
2.救われる喜び
・罪を犯した者はその代価を払わなければいけない。しかし、本当に悔い改め、そのための贖いの苦しみを支払った者は赦される。それが旧約新約を通した聖書のメッセージだ。かつてイスラエルの王ダビデは自己の欲望に負けて部下の妻バテシバを横取りし、それが露見しそうになると部下を戦場に送り、死なせた。しかし彼は不貞の結果生まれた子の死を与えられ、悔い改める。それが詩篇51編だ。
−詩篇51:16-19「神よ、私の救いの神よ、流血の災いから私を救い出してください。恵みの御業をこの舌は喜び歌います。主よ、私の唇を開いてください、この口はあなたの賛美を歌います。もしいけにえがあなたに喜ばれ、焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら、私はそれをささげます。しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」。
・誰もが過ちを犯す。しかし私たちの神は私たちが真に悔い改めれば赦して下さる。それを知っている者は苦悩の底からも立ち上がることが出来る。米国のビル・クリントン大統領が不倫疑惑を責められ、告白して悔い改めた時も、この詩篇51編を引用している。クリントンは、ダビデの罪の告白に自分と重ね合わせていた。
−1998年9月11日ホワイトハウス朝食祈祷会でのクリントンの言葉「But I believe that to be forgiven, more than sorrow is required - at least two more things. First, genuine repentance - a determination to change and to repair breaches of my own making. I have repented. Second, what my bible calls a ''broken spirit''; an understanding that I must have God's help to be the person that I want to be; a willingness to give the very forgiveness I seek; a renunciation of the pride and the anger which cloud judgment, lead people to excuse and compare and to blame and complain」.
・5節からホセアは救われた後の有様を歌う。イスラエルよ、あなたはこれから捕囚という苦難を経験するが、その後にはこのような祝福が与えられるであろうと。
−ホセア14:5-9「私は背く彼らをいやし、喜んで彼らを愛する。まことに、私の怒りは彼らを離れ去った。露のように私はイスラエルに臨み、彼はゆりのように花咲き、レバノンの杉のように根を張る。その若枝は広がり、オリーブのように美しく、レバノンの杉のように香る。その陰に宿る人々は再び、麦のように育ち、ぶどうのように花咲く。彼はレバノンのぶどう酒のようにたたえられる。ああエフライム、なおも、私を偶像と比べるのか。彼の求めにこたえ、彼を見守るのは私ではないか。私は命に満ちた糸杉。あなたは、私によって実を結ぶ」。