1.母なるシオン
・詩編87篇はシオン(エルサレム)こそ、神の国の首都であり、諸国民もシオンの山を目指して集まる日が来ることを歌う詩である。歴史的にはユダヤ人が世界中に散らされた捕囚期以降の歌であろう。詩人は最初に、主ご自身がこの都に基を置かれたと歌う。ダビデが造った町を主が都にして下さったと。
-詩編87:1-3「聖なる山に基を置き、主がヤコブのすべての住まいにまさって愛される、シオンの城門よ。神の都よ、あなたの栄光について人々は語る」。
・なぜエルサレムなのか、「主がそこに基を置かれた」故である。「主は何故そこに基を置かれたのか」、イスラエルを「聖なる民」として選ばれたからである。主はイスラエルを通して諸国民を救うこととされた。それは主の自由な選びであり、イスラエルはその使命を担う。それはイスラエルが強いためでも賢いためでもないと申命記は述べる。
-申命記7:6-8「あなたは・・・主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し・・・救い出されたのである」。
・詩人はイスラエルを苦しめて来たラハブ(エジプト)もバビロンも、また長い間敵対してきたペリシテやティルス(ツロ)も、更には遠いクシュ(エチオピア)さえも、シオンの住民とされるだろうと歌う。
-詩編87:4-5「私はラハブとバビロンの名を、私を知る者の名と共に挙げよう。見よ、ペリシテ、ティルス、クシュをもこの都で生まれた、と書こう。シオンについて、人々は言うであろう。この人もかの人もこの都で生まれた、と。いと高き神御自身がこれを固く定められる」。
・イザヤもかつて歌った「エジプトもアッシリアも悔い改めて主を礼拝する日が来る」。アッシリアやエジプトに苦しめられていた当時の人には非現実的な空想と思えたであろうが、信仰者は神の力を知るゆえにそれを空想とは思わない。
-イザヤ19:23-25「その日には、エジプトからアッシリアまで道が敷かれる。アッシリア人はエジプトに行き、エジプト人はアッシリアに行き、エジプト人とアッシリア人は共に礼拝する。その日には、イスラエルは、エジプトとアッシリアと共に、世界を祝福する第三のものとなるであろう。万軍の主は彼らを祝福して言われる『祝福されよ、わが民エジプト、わが手の業なるアッシリア、わが嗣業なるイスラエル』と」。
2.天に国籍を持ちながら地上を生きる
・そこには異邦人を排斥する民族主義や国粋主義はない。同じ方を共に「父なる神」として礼拝する喜びがある。
-詩編87:6-7「主は諸国の民を数え、書き記される、この都で生まれた者、と。歌う者も踊る者も共に言う『私の源はすべてあなたの中にある』と」。
・イスラエルが地上の王国を持っている時は民族主義・保守的で、エジプトやアッシリアはいつ侵略するかもわからない敵であった。しかし国を失うことによって彼らは諸国に散らされ、その地で彼らは主を宣べ伝え、異国の民からも改宗者が出て来た。亡国-捕囚-異邦人の支配という苦難がイスラエルを神の民にして行った。異国民伝道を主題にしたヨナ記も民族主義に対する反省の書として書かれている。
-レビ記20:26「あなたたちは私のものとなり、聖なる者となりなさい。主なる私は聖なる者だからである。私はあなたたちを私のものとするため諸国の民から区別したのである」。
・信仰を持っているものであれば、異邦人もまた神の民とされる。私たちも地上の国籍を持ちながら、「天の国の住民」とされる。言い換えれば「神にあって天に国籍を持つ者とされながらも地上の務めを与えられる」のである。
-ピリピ3:20「しかし、私たちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待っています」。
・私たちは天に国籍を持ち、地上では寄留者だ。それは地上の出来事を軽視することではなく、天の国の住民にふさわしく、この地上の生を生きることだ。「それが地の塩、世の光」として生き方であり、「良い市民」としての生き方だ。
-ローマ13:7「すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬いなさい」。
・しかし地上の生はあくまでも「途上の生」であり、完全ではない。私たちは「天なるエルサレムがこの地上に降り立つ日」まで、信仰に集中するとともに、与えられた力を持って地上の業に労して行く。
-ヨハネ黙示録21:2-4「私は、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。その時、私は玉座から語りかける大きな声を聞いた『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである』」。
*詩編87篇参考資料:「神の国と地の国」(アウグスティヌス「神の国」より)
〜小海キリスト教会牧師所感・古代教父より
・このようにして、二種の愛が二つの国をつくったのであった。すなわち、この世の国をつくったのは神を侮るまでになった自己愛amor suiであり、天の国をつくったのは自己を侮るまでになった神への愛amor deiである。一言でいえば、前者は自己自身において誇り、後者は主において誇るのである。前者は人間からほまれを求めるが、後者では、良心の証人であられる神においてもっとも高いほまれを見出すのである。前者の諸民族においては、その君主たちや、君主たちが隷属させている人々のうちに、支配しようと言う欲情が優勢であるが、後者においては、上に立つ者は、その思慮深い配慮により、そして服従する者は従順に従うことにより、愛において互いに仕えるのである。前者は権力をもつ者において強さを愛し、後者はその神にむかって『主よ、私の強さよ、私はあなたを愛する』というのである。(第14巻第28章)
・歴史は、あらゆる国家、人間の制度、人間のかかわるすべてのもの、時間と空間のすべてである。歴史のあらゆるところで、神の国と地の国、神への愛と自己愛が入り混じって存在している。ローマ帝国が地の国でもなければ、教会が神の国と同一でもない。…二つの国は不可視的なものとして存在している。人間も人間の集団の歴史も、このふたつの愛の間をさまよっている。この世で、神の愛に基づく国をつくり、正義、平和、秩序を求めることはむずかしい。しかし、過去の過ちを探り、永遠の平和を求めて、地上の生活を続けていく。それが人間の歴史である。
・神の国執筆の背景について
紀元408年、ローマはゴート人に包囲された。アウグスティヌスはその報告を受けて、飢餓と疫病のために、ローマでは埋葬されない死体がごろごろし、人肉を食べるほどに窮していることを知った。410年8月24日、アラリックに率いられたゴート族はついにローマに侵入し、三日間にわたり略奪をほしいままにし、「永遠の都」と言われたローマの一部は焼失さえした。この大惨事に人々は非常に大きな衝撃を受けた。ローマはすでに帝都ではなかったが、なお西方社会の中心であり、帝国の文明全体のシンボルであり、帝国がキリスト教化されても帝国を守護する伝統的な神々が祀られた場所であった。アウグスティヌスは「東方の諸族はローマの没落を哀泣し、地の果てにいたるまで都会と田舎おしなべて、うろたえ、嘆いた。」と述べている。また、ヒエロニムスは「世界の燈台は消えた。ローマ市の滅亡はやがて全人類の滅亡である」と哀しみの言葉を残している。ローマが滅んだ理由をローマの伝統主義者たちは、キリスト教のせいだとした。キリスト教がローマの伝統的な神々をないがしろにした結果が、ローマ略奪であると。また、キリスト教徒たちがしばしば兵役を軽んじ忌み嫌ってきたことも非難の理由であった。伝統主義者たちは、共和制時代の古代のローマが理想の道徳的社会であったという「神話」をもって、帝国がキリスト教化されたところに問題があるとキリスト教を批判した。永遠不滅の都と信じられていたローマの陥落という時代の転換期に、アウグスティヌスは歴史の問題について思索する。そして、ただローマの歴史のみならず、歴史における国家、正義、平和、それらを包括する神と人類の関係、教会の意義について考究する。