江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2010年10月28日祈祷会(エレミヤ44章、エレミヤ最後の預言)

投稿日:2019年8月21日 更新日:

1.エレミヤの最後の預言

・ユダ王国は滅び、生き残った人々はバビロン軍を恐れてエジプトに逃避した。エレミヤは反対するが、恐怖に駆られた人々はエレミヤを巻き込んでエジプトに逃げた。そのエジプトの地でエレミヤは最後の預言をする。それは国の滅亡の原因を「神への反逆」のためとし、「エジプトへの逃亡は神からの逃亡だ」と宣告するものであった。
−エレミヤ44:2-6「エルサレムとユダのすべての町に私がくだしたあらゆる災いをお前たちは見た・・・これは、彼らが悪を行って私を怒らせたためである。彼らは・・・異教の神々のもとへ行って香をたき、礼拝した。私は・・・この忌まわしいことを行ってはならないと命じた。しかし、彼らは聞かず、耳を傾けず・・・やめなかった。そこで私の怒りと憤りがお前たちにふりかかり、ユダの町々とエルサレムの巷で燃え上がったので、今日のように荒れ果てて廃虚と化した」。
・「それなのにこのエジプトでなおも同じ罪を犯している。まだわからないのか」とエレミヤは神の言葉を伝える。
−エレミヤ44:8-9「何故、お前たちは移って寄留しているエジプトで、自分の手で偶像を造り、異教の神々に香をたき、私を怒らせ、自分を滅ぼし、世界のあらゆる国々で、ののしりと恥辱の的となるのか。ユダの国とエルサレムの巷で行われたお前たちの父祖の悪・・・お前たち自身と妻たちの悪を忘れたのか」。
・「お前たちはバビロン王を恐れてエジプトに逃げて来た。しかしお前たちが悔い改めないのなら、バビロン王の剣はこのエジプトまでお前たちを追ってくるであろう」とエレミヤは預言を続ける。
−エレミヤ44:11-12「ユダに残っている者で、あくまでエジプトへ行って寄留しようとする人々を私は取り除く。彼らはひとり残らずエジプトの地で滅びる。彼らは剣と飢饉で倒れ、身分の上下を問わず、剣によって滅ぼされ、飢饉で死に絶え、呪い、恐怖、ののしり、恥辱の的となる」。
・それに対して人々は反論した。「私たちは先祖の時から天の女王を拝んできた。しかしヨシヤ王が宗教改革を行い、女王を拝むなと言った時から、何も良いことはなかった。天の女王を拝むのをやめたから国が滅ぼされたのだ」と。
−エレミヤ44:17-18「我々は誓ったとおり必ず行い、天の女王に香をたき、ぶどう酒を注いで献げ物とする。我々は、昔から父祖たちも歴代の王も高官たちも、ユダの町々とエルサレムの巷でそうしてきたのだ。我々は食物に満ち足り、豊かで、災いを見ることはなかった。ところが、天の女王に香をたくのをやめ、ぶどう酒を注いでささげなくなって以来、我々はすべてのものに欠乏し、剣と飢饉によって滅亡の状態に陥った」。

2.罪を悔い改めない限り、救いは来ない

・ここに敗戦に対する価値観の相違がある。エジプトに逃亡した人たちは「自分たちの罪を悔いるのではなく神を責めた」。それは今日の日本人が大戦の敗北を「力が足りないから負けた」、「戦略が間違った」として、その罪を認めないのと同じだ。そのため、罪は罪のままに残っている。原爆詩人・栗原貞子さんの「ヒロシマというとき」という詩が告発する。
−〈ヒロシマ〉というとき、〈ああ ヒロシマ〉とやさしくこたえてくれるだろうか。〈ヒロシマ〉といえば〈パール・ハーバー〉、〈ヒロシマ〉といえば〈南京虐殺〉・・・〈ヒロシマ〉といえば血と炎のこだまが 返って来るのだ。〈ヒロシマ〉といえば〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは返ってこない。アジアの国々の死者たちや無告の民がいっせいに犯されたものの怒りを噴き出すのだ。〈ヒロシマ〉といえば〈ああヒロシマ〉とやさしいこたえがかえって来るためには、わたしたちはわたしたちの汚れた手をきよめねばならない」(「ヒロシマというとき」1976年3月)
・エレミヤは「お前たちが罪を認めない限り救いはない」と言って、その預言を閉じる。
−エレミヤ44:27-29「私は彼らに災いをくだそうとして見張っている。幸いを与えるためではない。エジプトにいるユダの人々は、ひとり残らず剣と飢饉に襲われて滅びる。・・・その時エジプトへ移って寄留したユダの残留者はすべて、私の言葉か、彼らの言葉か、どちらが本当であったかを悟るであろう。このことこそ、私がこの場所でお前たちを罰したことのしるしとなるであろう、と主は言われる。そしてお前たちに災いを告げた私の言葉が実現したことを知るようになる」。
・エレミヤは預言の数年後、エジプトの地で亡くなった。バビロン王がエジプトに侵攻し、北部エジプトを支配下に置いたのは、エレミヤの死から20年後、紀元前567年だった。エレミヤの最後の預言も人々に受け入れられることはなかった。
−エレミヤ44:15-16「自分たちの妻が異教の神々に香をたいているのを知っている男たち、そこに多く集まって居合わせていた女たち、更にはエジプトの上エジプトに住む人々がこぞってエレミヤに反論して言った『あなたが主の名を借りて我々に語った言葉に聞き従う者はない』」。
・これがエレミヤの生涯をかけた働きの総決算であった。しかし、悲観することはない。イエス・キリストの生涯の総決算は十字架の死であったが彼は神により復活されている。「悲哀の人」の真実は歴史が明らかにする。
−矢内原忠雄・悲哀の人「斯かる混沌の中にあって事の真実を見徹し、真実を語る人は悲哀の人であります・・・虚偽が世に満ちて凡ての人に本当の事の解らぬ時たった一人事の真相を見抜いた人、そして皆が黙っている時に一言いふ人それが悲哀の人であります。一体真理は此世にありて凡ての人に簡単に領解されるものではありません。真理そのものに此の悲哀性があります。故に真理を知る人はまた悲哀の人たらざるを得ません」。

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