1.メリバの泉
・38年間の放浪の後、民は再びツインの荒れ野に入った。再び、約束の地に入る準備が整った。しかし、そこで新しい争いが起こった。今度も水の不足が引き金になった。
−民数記20:1-2「共同体全体は、第一の月にツィンの荒れ野に入った。そして、民はカデシュに滞在した。・・・さて、そこには共同体に飲ませる水がなかったので、彼らは徒党を組んで、モーセとアロンに逆らった」。
・旧世代は死に、新しい世代が育った。しかし、彼らもその父祖と同じであり、満たされなければつぶやく。
−民数記20:3-5「何故、こんな荒れ野に主の会衆を引き入れたのです。我々と家畜をここで死なせるためですか。何故、我々をエジプトから導き上らせて、こんなひどい所に引き入れたのです。ここには種を蒔く土地も、いちじくも、ぶどうも、ざくろも、飲み水さえもないではありませんか」
・しかし、主は民の要求を当然と認められ、「水を与えよ」とモーセに命じられた。
−民数記20:6-8「主はモーセに仰せになった『あなたは杖を取り、兄弟アロンと共に共同体を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい。あなたはその岩から彼らのために水を出し、共同体と家畜に水を飲ませるがよい』」
・今度、神に対して反逆したのはモーセであった。「何故、このような民に水を飲ませねばならないのか」、彼は腹立ち紛れに民を反逆者と呼び、怒りに任せて杖で岩を二度もたたいた。
−民数記20:9-11「モーセとアロンは会衆を岩の前に集めて言った『反逆する者らよ、聞け。この岩からあなたたちのために水を出さねばならないのか』。モーセが手を上げ、その杖で岩を二度打つと、水がほとばしり出たので、共同体も家畜も飲んだ」。
・民は水を飲むことが出来た。しかし、民が見たのはモーセの怒りであり、主の栄光ではなかった。モーセは自分の怒りのため、神の命をないがしろにした。モーセは罪の報いに、約束の地に入ることを神に禁ぜられる。
−民数記20:12-13「主はモーセとアロンに向かって言われた『あなたたちは私を信じることをせず、イスラエルの人々の前に、私の聖なることを示さなかった。それゆえ、あなたたちはこの会衆を、私が彼らに与える土地に導き入れることはできない』。これがメリバ(争い)の水であって、イスラエルの人々が主と争った所であり、主が御自分の聖なることを示された所である」。
2.被造物モーセ
・モーセは約束の地に入ることを再度求めたが、神は赦されなかった。モーセもまた被造物である故に、定められた時が来れば、塵に戻る。私たちも同じだ。人は塵だから塵に帰るのだ(創世記3:19)。
−申命記3:25-27「『私にも渡って行かせ、ヨルダン川の向こうの良い土地、美しい山、またレバノン山を見せてください』。・・・主は私に言われた『もうよい。この事を二度と口にしてはならない。ピスガの頂上に登り、東西南北を見渡すのだ。お前はこのヨルダン川を渡って行けないのだから、自分の目でよく見ておくがよい』」。
・モーセの姉ミリアムもこのカデシュで死に、アロンもまた死んだ。旧世代は死んでいく。
−民数記20:22-26「共同体全体はカデシュを旅立って、ホル山に着いた。・・・、ここで、主はモーセとアロンに言われた。『アロンは先祖の列に加えられる。私がイスラエルの人々に与える土地に、彼は入ることができない。あなたたちがメリバの水のことで私の命令に逆らったからだ。アロンとその子エルアザルを連れてホル山に登り、アロンの衣を脱がせ、その子エルアザルに着せなさい。アロンはそこで死に、先祖の列に加えられる。」
・アロンは死んだが大祭司の役割は子のエルアザルが継承する。モーセの役割はヨシュアが継承する。新しい時代は新しい人が形成する。役割が終われば死ぬ。この世における生は、それで良いではないかと聖書は言う。
−申命記3:28「ヨシュアを任務に就け、彼を力づけ、励ましなさい。彼はこの民の先頭に立って、お前が今見ている土地を、彼らに受け継がせるであろう。」
・自分の栄光ではなく、神の栄光を表すことこそ大事だ。パウロはこの物語をキリストの物語と見ている。
−?コリ10:1-6「私たちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授けられ、皆、同じ霊的な食物を食べ、皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。これらの出来事は、私たちを戒める前例として起こったのです。彼らが悪をむさぼったように、私たちが悪をむさぼることのないために」。