1.祭壇の建設
・ベツアルエルはアカシヤ材で祭壇を築き、周りを青銅で覆った。焼き尽くす献げ物の祭壇である。
−出エジプト記38:1-2「彼はアカシヤ材で焼き尽くす献げ物の祭壇を造り、縦五アンマ、横五アンマの正方形、高さは三アンマとした。祭壇の四隅にそれぞれ角を作って、祭壇から生えているようにし、全体を青銅で覆った。」
・祭壇=ミズベーアハとは、いけにえを献げる台であり、礼拝とは神にいけにえを捧げることであった。
−出エジプト記20:24「あなたは、私のために土の祭壇を造り、焼き尽くす献げ物、和解の献げ物、羊、牛をその上にささげなさい。私の名の唱えられるすべての場所において、私はあなたに臨み、あなたを祝福する。」
・神との契約もいけにえの血によって書かれた。
−出エジプト記24:6-8「モーセは血の半分を取って鉢に入れて、残りの半分を祭壇に振りかけると、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。・・・モーセは血を取り、民に振りかけて言った。『見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。』」
・しかし、神が本当に求められるのはいけにえではなく、それを献げる心だ。ところが、人はいつの間にか、いけにえさえ捧げればよいと思い始める。
−イザヤ1:11-17「お前たちのささげる多くのいけにえが、私にとって何になろうか、と主は言われる。雄羊や肥えた獣の脂肪の献げ物に、私は飽いた。雄牛、小羊、雄山羊の血を私は喜ばない。・・・洗って、清くせよ。悪い行いを私の目の前から取り除け。悪を行うことをやめ、善を行うことを学び、裁きをどこまでも実行して搾取する者を懲らし、孤児の権利を守り、やもめの訴えを弁護せよ。」
2.イエスの祭壇
・イエスは自らの体を神殿と呼ばれ、彼自身が祭壇であるといわれた。
−ヨハネ2:19-21「イエスは答えて言われた。『この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。』・・・イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。」
・そしてイエスは自らをいけにえとして捧げられることによって、私たちの罪を清められた。
−マルコ10:45「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
・そのイエスの購いの死によって、私たちはもはやいけにえを捧げる必要はなくなった。
−ヘブル10:14-18「キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。聖霊もまた、私たちに次のように証ししておられます。『それらの日の後、私が彼らと結ぶ契約はこれである』と主は言われる。『私の律法を彼らの心に置き、彼らの思いにそれを書きつけよう。もはや彼らの罪と不法を思い出しはしない。』」罪と不法の赦しがある以上、罪を贖うための供え物は、もはや必要ではありません。」
・イエスの血が流されたことを記念する場である聖餐台こそ今日の祭壇であり、教会堂の中心は聖餐台であろう。
−使徒行伝2:42「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」
3.幕屋建設の費用
・幕屋建設に用いられた金の総額は994kgであった(1キカル=34?、1シュケル=11g)。
−出エジプト記38:24「聖所のあらゆる仕事に用いられた金の総額は、奉納物の金が聖所のシェケルで二十九キカル七百三十シェケルであった」
・また使われた銀は3.4トン、青銅は2.4トンであった。
−出エジプト記38:25-29「共同体に登録された者のささげた銀が聖所のシェケルで百キカル千七百七十五シェケルであり、・・・また、奉納物の青銅は七十キカル二千四百シェケルあった」
・これらの献げ物が喜んで捧げられた。教会もまた、喜んで捧げることができる時にその建物を建てれば良い。
−出エジプト記36:3-5「彼らは、イスラエルの人々が聖所建設の仕事を行うために携えて来たすべての献納物を、モーセから受け取ったが、人々はなおも、毎朝、随意の献げ物を彼のもとに携えて来た・・・この民は、主がお命じになった仕事のために、必要以上の物を携えて来ます。」