1.正義について(23:1−9)
・法廷で正義を曲げてはいけないと言われる。法廷では人間が人間を裁く。しかし、その裁きの後ろに神がおられることを忘れるなと言われている。
―出エジプト記23:6-7「あなたは訴訟において乏しい人の判決を曲げてはならない。偽りの発言を避けねばならない。罪なき人、正しい人を殺してはならない。私は悪人を、正しいとすることはない。」
・この規定はレビ記においても繰り返し言われている。
―レビ記19:15-16「あなたたちは不正な裁判をしてはならない。あなたは弱い者を偏ってかばったり、力ある者におもねってはならない。同胞を正しく裁きなさい。・・・私は主である。」
・正義を踏みにじったものは罰すると主は言われている。イスラエルでは、人の裁きの後ろに神がおられた。
―アモス2:6-8「イスラエルの三つの罪、四つの罪の故に、私は決して赦さない。彼らが正しい者を金で貧しい者を靴一足の値で売ったからだ。彼らは弱い者の頭を地の塵に踏みつけ、悩む者の道を曲げている。・・・祭壇のある処ではどこでも、その傍らに質にとった衣を広げ科料として取り立てたぶどう酒を、神殿の中で飲んでいる。」
・敵の牛が迷い、ろばが倒れているならば共に手伝えと言われている(23:4−5)。それが正義なのだと。
―箴言25:21-22「あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。渇いているなら水を飲ませよ。こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。そして主があなたに報いられる。」
2.祭儀について(23:10−19)
・7年ごとに土地を休ませ、土地の実りは貧しい者に与えよと言われている。
―出エジプト記23:10-11「あなたは六年の間、自分の土地に種を蒔き、産物を取り入れなさい。しかし、七年目には、それを休ませて、休閑地としなければならない。あなたの民の乏しい者が食べ、残りを野の獣に食べさせるがよい。ぶどう畑、オリーブ畑の場合も同じようにしなければならない。」
・肥料が十分になかった古代においては7年目ごとに土地を休ませることが最良の農業法であった。その間に収穫がなくとも与えるから心配するなと言われている。
―レビ記25:20-21「七年目に種も蒔いてはならない、収穫もしてはならないとすれば、どうして食べていけるだろうか」とあなたたちは言うか。私は六年目にあなたたちのために祝福を与え、その年に三年分の収穫を与える。」
・収穫感謝のために三つの祭りを祝えと言われている。
―出エジプト記23:14-16「あなたは年に三度、私のために祭りを行わねばならない。あなたは除酵祭を守らねばならない。・・・あなたは、畑に蒔いて得た産物の初物を刈り入れる刈り入れの祭りを行い、年の終わりには、畑の産物を取り入れる時に、取り入れの祭りを行わねばならない。」
・除酵祭(過越の祭り)は大麦の刈入れ、刈入れの祭り(七週際、五旬節)は小麦の収穫、取り入れの祭り(仮庵の祭り)はぶどうやオリーブの収穫祭であった。しかし、本当の献げ物は正義であると神は言われる。
―アモス5:21-24「私はお前たちの祭りを憎み、退ける。祭りの献げ物の香りも喜ばない。焼き尽くす献げ物を私に献げても穀物の献げ物を献げても、私は受け入れず肥えた動物の献げ物も顧みない。お前たちの騒がしい歌を私から遠ざけよ。・・・正義を洪水のように恵みの業を大河のように尽きることなく流れさせよ。」
3.契約の書の結び(23:20−33)
・神は土地をイスラエルに与える。しかし、その進行は緩やかなものになるであろうと言われている。実際にイスラエルが約束された全土を占領したのは、300年後のダビデ王の時だった。
―出エジプト記23:27-30「私は、あなたの前に私の恐れを送り、あなたが入って行く土地の民をすべて混乱に陥れ、あなたの敵をすべて敗走させる。私はまた、あなたの前に恐怖を送り、あなたの前からヒビ人、カナン人、ヘト人を追い出す。私は彼らをあなたの前から徐々に追い出すので、あなたは子を産み、国土を受け継ぐに至る」。
・神は民が新しい土地で何をするかは知っていたが、民に土地を与える。契約は神の方から破られることはない。
―申命記31:20-21「私がその先祖に誓った乳と蜜の流れる土地に彼を導き入れるとき、彼は食べて満ち足り、肥え太り、他の神々に向かい、これに仕え、私を侮って私の契約を破るであろう。そして多くの災いと苦難に襲われるとき、この歌は、その子孫が忘れずに唱え続けることにより、民に対する証言となるであろう。私は、私が誓った土地へ彼らを導き入れる前から、既に彼らが今日、思い図っていることを知っていたのである。」