協力牧師 水口仁平
1.十字架の感動は歌い継がれる
・聖歌、讃美歌はそれぞれに歌が作られた歴史、そして、歌い継がれた歴史があります、先ほど私たちがいっしょに歌いました、「とおきくにや」にもその歌の歴史があります。聖歌397番「とおきくにや」は1923年9月1日に起こった関東大震災のとき、アメリカの宣教師J・V・マーチンにより作られました。震災の日の夕方、マーチンは瓦礫と火災の街を通り、芝白金の明治学院へ見舞いに訪れました。余震が続く大混乱の中、学院のグラウンドには、たくさんの罹災者が避難していました。まだ九月で残暑が続き、蚊がいたので、罹災者たちは支給された蚊帳の中で蝋燭を灯し、余震と火災に怯えていました。
・その蝋燭の灯を見ていたマーチンは、突然大きな感動をおぼえました。蚊帳の中の蝋燭の光りが、反射し、交叉する中にマーチンは、主の十字架を感じたのです。マーチンはその場で大きな感動に身も心も包まれまれ、その感動をそのまま歌詞と曲にしました。その時を起源として、日本に大きな災害が起こる度に、各地の教会でこの歌は歌い継がれてきました。わたしの記憶では、1940年代、第二次大戦が終わり、焼け跡の街に残った東京の教会でも歌われていました。17年前1995年1月17日の阪神、淡路大震災の後でもこの歌は歌われました。そして、1年前の東日本大震災の後も歌われ、歌い継がれています。そして今日私たちも歌いました。
・第二節の歌詞です。「水はあふれ火は燃えて、死は手広げ待つ間にも、慰めもて変らざる主の十字架は輝けり、慰めもて汝がために、慰めもて我がために、揺れ動く地に立ちてなお十字架は輝けり」余震と火災が続き人々が怯えている中に、慰めに満ちて揺るがず立ち続ける、主の十字架を、マーチンは自分の信仰の目で見たのです。その感動がマ−チンにこの歌を書かせ、その感動が今も歌う者に伝わるのです。その感動は今も受け継がれ、人々は災害が起こる度にこの歌に感動した人々が、歌い継いでいるのです。
・十字架は罪人を死刑にするための処刑具でした。しかし、主イエスが、わたしたちの罪の贖いのために十字架にかかられたことで、イエスの受難の象徴となり、イエスが復活されたことで、死に対する勝利の象徴となり、さらに苦難の内にある者への慰めの象徴となったのです。
2.イエスの十字架の受難
・今日はそのイエスの十字架の受難を、ルカ23章から学びます。ルカ23:32−43は受難週の最後の金曜日の出来事を語っています。ロ−マ総督ピラトはイエスに何の咎もなく、ましてや死刑にあたる罪など認められませんでした。しかし、ユダヤ人の指導者に扇動された群衆が、大声で「イエスを十字架につけろ」と叫ぶのに押されて、彼らの要求に従いました。ピラトもユダヤ人指導者も群衆も、イエスを死刑にすることこそが罪であることを気付きませんでした。
・処刑される者が、自分が架けられる十字架を、刑場まで背負って運ぶのが当時の慣習でした。イエスもそのように、ピラトの邸からゴルゴタ(意味はされこうべ)の丘まで、十字架を担いで行かされました。ゴルゴタへの道は重い十字架を背負って歩くには苦しい登り坂でした。その道はヴィア・ドロロ−サ(苦難の道)と呼ばれ、今もエルサレムにあります。「人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。」(23:26)途中十字架の重さで倒れたイエスに代わり、このキレネ人シモンに十字架を背負わせました
・イエスはゴルゴタまで引かれて行き、二人の罪人といっしょに、十字架に釘付けにされました。そこまで虐げられながら、イエスは虐げる者たちのため「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」と執り成しの祈りをしていました。しかし、彼らはイエスの執り成しの祈りの意味を、まったく気付きませんでした。ロ−マの兵士はイエスの着物をくじを引いて分け、議員たちは「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」(23:35)とイエスを嘲りました。
・イエスを磔にした兵士たちはイエスに、酢いぶどう酒を突き付けて「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」と侮辱しました。イエスの頭の上に「ユダヤ人の王」と書いた札が打ちつけてあったからです。しかし、これはイエスが自分は「ユダヤ人の王」と名乗ったのではありません。彼らが勝手に「ユダヤ人の王」と札に記して、イエスを侮辱したのです。さらにイエスといっしょに十字架に架けられた罪人の一人が「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」(23;36−39)とののしりました。
3.十字架上での信仰告白
・ここまで、イエスを囲むすべての人達がイエスを侮辱するのは、イエスが本当のメシアであることに気付かないし、さらに気付こうとさえしなかったからです。これは現代の日本の社会がイエスの存在を知りながら、本当の救い主であると気付かず、気付こうとさえしないのと似ています。教会がイエスの救いをいくら説いても、聞く耳と聴く心がなければ、空まわりするだけです。
・そんな中、一人の罪人がイエスに救われました。イエスといっしょに十字架に架けられた二人の罪人のうちの一人が、イエスをののしったのを、たしなめて「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いをうけているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言いました。(23:40−42)イエスはそれを聞き届けて「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしといっしょに楽園にいる。」と言われかした。(23:43)
・こうして彼はイエスの存命中最後に救いに与った者となりました。この人はどんな罪を犯したのでしょうか。聖書は何も記していません。イエスはあたかもそんな過去を聞く必要はないとばかり、救いを約束しています。この罪人は自分の手足を十字架に打ち付けられた激しい痛みと苦しみで、死と向かいあう中で、そしてイエスの悲惨な姿を目の当たりにしながら、なお信じてイエスから永遠の生命を受けました。彼は死が待つわずかの間に神に心を向け、イエスに信仰告白をしました。この出来事は誰でも生命のあるかぎり、死の直前でも、信仰をもつことは可能であると教えています。
4.十字架の外に救いはない
・今日の招詞は第一ペトロ2:22−24を選びました。「この方は罪を犯したことが無く、その口には偽わりがなかった。ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身に私たちの罪を担ってくださいました。私たちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいいやされました。」
・イエスが十字架の苦しみをうけられたとき、ペトロは捕えられるのを恐れ、遠く離れて眺めていました。そのペトロがどうして十字架こそ救いであると確信して言えるようになったのでしょうか。イエスが十字架にかけられたとき、「他人を救ったのに自分は救えないのか。神の子なら自分を救え。十字架から降りてみろ」と人々はイエスをののしりました。もしイエスが彼らの要求どおり、十字架から降りてその力を示したら、罪ある者をさばかれたら、何が起こったでしょうか。
・「今すぐ十字架から降りるがよい。そうすれば信じてやろう。」と、イエスをののしった祭司長や律法学者たちは真っ先に裁かれるでしょう。そしてイエスを信じ、イエスに従った人たちに主の栄光が与えられるでしょう。しかし、その主の栄光に値する人たちが何処にいたのでしょうか。イエスを見捨てて逃げ出した弟子達には、その資格はありません。もちろん、イエスをののしった群衆にもありません。それは人間の弱さから犯す罪です。しかし、それでは主の栄光を受け、救いに与る人は誰もいなくなります。イエスはそのことをよくご存知のうえで、十字架の責めと恥を、自ら身に受けられました。
・「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているか知らないからです。」というイエスの執り成しは、イエスの犠牲による贖いあってはじめて成り立つのです。イエスを裏切り逃げ出したペトロは、復活の主に出会い、赦され信徒の群れを任されました。ペトロはイエスの大きな愛と赦しに与かれたのです。だからこそ、ペトロはあの招詞のような信仰告白ができたのです。「この方は十字架にかかって、自らその身に私たちの罪を担ってくださいました。私たちが罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。」イエスは私たちに、「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子なることはできません。」(ルカ:14:27)イエスはあなたがたが真の弟子ならば、今私が十字架の苦難の道を歩んでいるように、あなたがたも同じく、自分の十字架を負い、わたしに付いてきなさい。と言われているのです。
5.私たちの背負うべき十字架
・ではこの私たちが担い歩んで行くべき十字架とはなんでしょうか。この十字架は私たちが今直面する困難な課題にもあります。一年前の大地震は東北の広域な沿岸へ、大津波となって押し寄せ、多くの人と、工場や家屋を壊し押し流し、生活基盤を根こそぎ破壊しました。そのうえ、福島第一原子力発電所は、制御能力を失い炉内の水素爆発を起こし、放射性物質を大気中に拡散、汚染しました。一年後の今も被災地の住民は、避難先や仮設住宅で不安な生活を過ごしています。
・東日本大震災は私たちに困難な課題を残しました。その中でも私たちが避けようとしても、避けられないのは、原子力発電の問題です。わが国は世界で唯一の被爆国として、原爆の悲惨さと核兵器廃絶を世界に訴えてきました。その日本が核物質を大気中に拡散することになろうとは、思いもかけないことになり、拭い切れぬ禍根を残すこととなりました。この地震は原子力の平和利用の安全神話を打ち砕いたのです。
・私たちは今日まで、大量の電力使用による快適な生活を享受してきました。しかし、東日本大震災は、原子力発電所を破壊することで、原子力発電は人力のおよばぬ危険性のあることを知らせ、私たちに重い十字架を与えました。原子力発電は、地震の被害だけでなく、大気中に拡散した放射能の消滅は、人命を越える長期に渡ることに衝撃を受けました。被災地の復興とともに、原子力に依存するエネルギー政策から脱却するため、私たちは自らのライフスタイルを変えるという、十字架を背負うことになったことを忘れてはならないのです。