1.洗礼者ヨハネのつぶやき
・洗礼者ヨハネはヘロデ王を批判したため、捕らえられ、ヨルダン川東岸のマルケス要塞に幽閉されていた。獄中でイエスの言動を聞き、「この人は本当にメシアなのか」を疑い、弟子たちをイエスのもとに派遣した。
-ルカ7:18-20「ヨハネの弟子がこれらすべてのことについてヨハネに知らせた。そこで、ヨハネは二人の弟子を呼んで、主のもとに送り、こう言わせた。『来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。』二人はイエスのもとへ来て言った。『私たちは洗礼者ヨハネからの使いの者ですが、「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たねばなりませんか。」とお尋ねするようにとのことです。』」
・イエスは神の憐れみが、心身の癒しとして示されることを、神の国のしるしとされた。しかしヨハネには理解できず、イエスの行為につまずいた。だから、イエスは「私につまずかない人は幸いである」と答えた。
-ルカ7:21-23「その時、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々を癒し、大勢の盲人を見えるようにしておられた。それで、二人にこうお答えになられた。『行って見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。私につまずかない人は幸いである。』」
・ヨハネはイエスにつまずいた。裁きの時に罪人は滅ぼされるべきなのに、イエスは罪人の救いのために尽力されている。「来るべき神の国は、裁きではなく、救いである」ことをヨハネは理解できなかった。イエスはユダヤ人にとって不浄とみなされた取税人や罪びとと食事を共にされ、触れてはいけないと禁止されていたらい病人に触れて彼を癒された。当時の人々が「罪びと」として排斥し、「不快だ」と思っていた人々にこそ、救いが必要だと判断され、行動された。人々はそのようなイエスにつまずいた。イエスが期待したような方でないことがわかると、民衆はイエスに失望し、離れて行った。
-ルカ7:33-35「洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される。」
・その後の人々もキリストにつまずいた。キリストが来ても何も変わらない。生活はよくならないし、ローマは相変わらずユダヤを支配し、世の不正や悪はまん延している。本当にこの人はメシアなのか。このつまずきは私たちにもある。信じて洗礼を受けても、病気が治るわけではないし、苦しい生活が楽になるわけでもない。私たちも心のどこかで疑っている。この人は本当にメシア=キリストなのだろうか。ゲルト・タイセンは、イエスが来て何が変わったのかを、社会学的に分析して語った。
-ゲルト・タイセン、イエス運動の社会学から「社会は変わらなかった。多くの者はイエスが期待したようなメシアでないことがわかると、イエスから離れて行った。しかし、少数の者はイエスを受入れ、悔い改めた。彼らの全生活が根本から変えられていった。イエスをキリストと信じることによって、『キリストにある愚者』が起こされた。このキリストにある愚者・・・を通してイエスの福音が伝えられていった」。
・キリストにある愚者は、世の中が悪い、社会が悪いと不平を言うのではなく、自分には何が出来るのか、どうすれば、キリストから与えられた恵みに応えることが出来るのかを考える人たちだ。この人たちによって福音が担われ、私たちにも伝承された。今度は私たちが「キリストにある愚者」になる番だ。
2.罪深い女を赦す
・ファリサイ派のシモンがイエスを食事に招き、イエスはシモンと食卓を共にされた。
-ルカ7:36「さて、ファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。」
・その食事の席に「罪深い女」が来て、イエスに香油を注いだ。「罪深い女」とは娼婦を暗示する言葉である。女はイエスに香油を注ぎ、イエスは女のなすがままに任せられた。罪深い女の奉仕を受け入れることは、清めを重視するファリサイ派の人びとには受け入れがたい行為であった。
-ルカ7:37-38「この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足元に近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスに接吻して香油を塗った。」
・シモンはこの女が「罪ある女」であることを知っており、世の道徳の手本であるべきイエスが、罪ある女に足や手を触れるのを許すとは何たることかと憤慨した。シモンはイエスにつまずいた。
-ルカ7:39「イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、『この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに』と思った。」
・イエスは女の接吻と涙を受け入れられた。イエスはシモンに向かって、「金貸しと借り手の譬え」を話された。イエスはこの女性はたくさんの罪を帳消しにされたから、このような愛の奉仕をしたと語られた。
-ルカ7:41-42「イエスはお話しになった。『ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。』」
・シモンはイエスの頭に歓迎の油塗油をしなかったし、イエスの足を洗おうともしなかった。シモンの客を迎えるもてなしは女に敵わなかった。彼には感謝がなかったからである。
-ルカ7:44-46「シモンに言われた。『この人を見ないか。私があなたの家に入った時、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙で私の足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたは私に接吻の挨拶もしなかったが、この人は私が入って来てから、私の足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリ-ブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。』」
・並行個所のヨハネは、イエスに油を注いだ女性は、「ベタニア村のマリア」だったと言う。
-ヨハネ12:3「過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた・・・イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった」。
・この女性はかつて娼婦として社会からつまはじきされていたのであろう。ある時、イエスが一人の人格を持つ人として彼女に対応してくれた。女性は震えるほどうれしかった。その時の感謝が女性にこの異常な行為をさせたのではないかと思われる。
-ルカ7:47-50「『だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。』そして、イエスは女に、『あなたの罪は赦された』と言われた。同席の人たちは、『罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう』と考え始めた。イエスは女に、『あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい』と言われた。」
・この女性は誰だったのか、その後どうなったのか、ルカは何も語らない。彼女はおそらく今までの生活と訣別し、新しい生活を始めたと思われる。この女性の記事はヨハネ8章の姦淫を赦された女性と似ている。人間の最大の罪は、「自分の罪を知らない」ことだ。シモンは「自分は正しい」として、この女性を受け入れなかった。ヨハネ福音書のイエスが語られたことも、「自分の罪を認めよ」ということであった。
-ヨハネ8:7-9「彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。『あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい』。そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエス一人と、真ん中にいた女が残った」。
3.婦人たち、奉仕する
・イエスは宣教の旅を続け、付き従う人々はだんだん増えていった。ルカは十二人の弟子の他に多くの女性たちが従ったことを報告し、その中から代表的な三人を紹介している。
-ルカ8:1-3「その後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気を癒していただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラのマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒だった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」
・イエスの十字架死に立ち会ったのも女性たちであった。また復活のイエスに最初に出会ったのも女性たちだった。初代教会において女性は大きな役割を果たしている。
-ルカ23:55-24:11「イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け・・・週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。見ると・・・主イエスの遺体が見当たらなかった・・・婦人たちは墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった」。