1.エズラの帰還旅行の次第
・エズラは前458年にユダに帰国した。エズラはバビロンに残った捕囚民の子孫で、祭司の家系であり、律法の教師であった。捕囚時代、ユダの民は民族の同一性を保つために古代からの伝承をトーラー(モーセ5書)として編集し、バビロンにはトーラー(律法)の研究を行う律法学者も生れていた。その律法の教師エズラが祖国に律法を公布するために帰国した。バビロンからエルサレムまで4ヶ月の旅程であった。
-エズラ7:7-10「アルタクセルクセス王の第七年に、イスラエルの人々、祭司、レビ人、詠唱者、門衛、神殿の使用人から成る一団がエルサレムに上り、同王の第七年の第五の月にエルサレムに到着した・・・エズラは主の律法を研究して実行し、イスラエルに掟と法を教えることに専念した」。
・8章ではエズラの回想録の形で旅行の模様が語られる。最初に帰国した者たちの人名表が示される。祭司を中心に1500名の男子、家族を含めれば3000~4000人の大集団であった。
-エズラ8:1-14「アルタクセルクセス王の治世に、私と共にバビロンから上って来た家長と、その家系は次のとおりである。ピネハスの一族からゲルショム、イタマルの一族からダニエル、ダビデの一族からハトシュ・・・ビグワイの一族から、ウタイ、ザクルと男七十人」。
・一行はバビロン郊外アハワに終結し、3日間野営した。当時の長途の旅行は危険で野盗や野獣に襲われる危険があった。しかしエズラたちは神が守り給うとして護衛をつけずに旅をした。
-エズラ8:21-23「私はアハワ川のほとりで断食を呼びかけ、神の前に身をかがめ、私たちのため、幼い子らのため、また持ち物のために旅の無事を祈ることにした。私は旅の間敵から守ってもらうために、歩兵や騎兵を王に求めることを恥とした。『私たちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手が差し伸べられ、神を見捨てる者には必ず激しい怒りが下ります』と王に言っていたからである。そのために私たちは断食して私たちの神に祈り、祈りは聞き入れられた」。
・エズラたちはペルシア王の支援を受けて莫大な価格の金銀の祭具を持参した。銀650キカル、金100キカル、他であった。今日の価格では数百億円にもなろう。ユダヤの神殿祭儀の確立のための旅であった。
-エズラ8:24-27「私は祭司長の中から十二人・・・および彼らの兄弟十人をえり分けた。そして王とその顧問官たち、高官たち、および居合わせたすべてのイスラエル人が神殿への礼物としてささげた金銀、祭具を量って彼らに託した。私が量って彼らの手に託したものは、次のとおりである。銀六百五十キカル、銀の祭具百キカル、金百キカル、金杯二十個一千ダリク、良質の輝く青銅の器二個、これは金に等しい貴重品であった」。
・4ヶ月後無事にエルサレムに着いた彼らは多くの捧げ物を捧げて、旅の無事を感謝した。
-エズラ8:35「捕らわれの地から帰って来た捕囚の子らは、イスラエルの神に焼き尽くす献げ物をささげた。雄牛十二頭を全イスラエルのために、また雄羊九十六匹、小羊七十七匹、贖罪のための雄山羊十二匹をささげた。これらはすべて主への焼き尽くす献げ物とした」。
2.エズラの旅の意味するもの~律法の形成
・前515年エルサレム神殿は再建されたが、礼拝や祭儀は形骸化し、社会的矛盾が拡大していた。国土の大半は廃墟のままであり、人々は神殿への寄進を怠り、信仰を失いかけていた。また安息日も守られず、聖職者も堕落し、異教徒との結婚も普通に行われていた。そのような祖国を立て直すために祭司エズラや行政官ネヘミヤが相次いでバビロンから帰国し、改革を行った。
-ネヘミヤ1:1-4「ハカルヤの子、ネヘミヤの記録。第二十年のキスレウの月、私が首都スサにいたときのことである。兄弟の一人ハナニが幾人かの人と連れ立ってユダから来たので、私は捕囚を免れて残っているユダの人々について、またエルサレムについて彼らに尋ねた。彼らはこう答えた『捕囚の生き残りで、この州に残っている人々は、大きな不幸の中にあって、恥辱を受けています。エルサレムの城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままです』。これを聞いて、私は座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神に祈りをささげた」。
・イスラエルの伝統はエルサレムではなく、バビロンで保たれていた。捕囚時代、ユダ民族は絶滅の危機を迎えていた。神殿もなく、信仰の継続は律法の形成にかかっていた。彼らは周囲の民との同化を避けるために非ユダヤ人との結婚を禁止した。エズラが帰国後早速に始めたのは異教徒との結婚の禁止であった。
-エズラ10:1-4「エズラは神殿の前で祈り、涙ながらに罪を告白し、身を伏せていた。イスラエル人が彼のもとに集まり、男、女、子供から成る非常に大きな会衆ができた。この人々も激しく泣いていた。エラムの一族のエヒエルの子シェカンヤはエズラに言った『私たちは神に背き、この地の民の中から、異民族の嫁を迎え入れました。しかしながら、今でもイスラエルには希望があります。今、私の主の勧めと、神の御命令を畏れ敬う方々の勧めに従って私たちは神と契約を結び、その嫁と嫁の産んだ子をすべて離縁いたします。律法に従って行われますように・・・あなたにはなすべきことがあります。協力いたしますから、断固として行動してください』」。
・今日の私たちには理解できない律法であるが、民族の同一性を保つために必要な措置と当時は理解された。この律法の順守こそユダヤ民族を生き残らせた力であった。割礼も異民族ヘの同化を防ぐために捕囚時代に普及した習慣である。イエス時代のユダヤ人もこの割礼規定を厳格に守り、ペテロの外国人宣教でさえ批判されている。
-使徒11:1-3「使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、『あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした』と言った」。
・ユダヤ教会は異邦人伝道に消極的で、ユダヤ教から改宗したユダヤ人キリスト者も異邦人伝道にも消極的であった。その影響は福音書にも影を落としている。マルコ福音書のイエスは異邦人に開放的であるが、マタイ福音書のイエスは閉鎖的である。異邦人伝道に消極的なマタイの教会観を反映しているのであろう。
-マルコ7:24-30「汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、イエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。女はギリシア人で・・・娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。イエスは言われた『まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない』。女は答えて言った『主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます』。そこで、イエスは言われた『それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった』」。
-マタイ15:21-28「この地に生まれたカナンの女が出て来て『主よ、ダビデの子よ、私を憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています』と叫んだ ・・・イエスは『私は、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない』とお答えになった。女は来て、イエスの前にひれ伏し『主よ、どうかお助けください』と言った。イエスが『子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない』とお答えになると、女は言った『・・・しかし小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです』。イエスはお答えになった『婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように』。その時、娘の病気はいやされた」。