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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

聖書教育の学び

2022年8月21日聖書教育の学び(2011年11月10日祈祷会、ダニエル書1章、ダニエルと三人の仲間たち)

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1.ダニエル書とはどのような書か

 

・紀元前四世紀後半、ペルシアは次第に弱体化し、マケドニアが興隆してきた。アレクサンドロス大王(336-323在位)は、333年のイッソスの戦いでペルシアのダレイオス三世を撃破し、その後ペルセポリスを陥落させて、ペルシア帝国は滅亡し、古代オリエントの時代は終焉した。アレクサンドロスは、わずか12年間でペルシア帝国の支配領域をすべて支配下に治め、遠くインダス河にまで遠征して征服して、一大帝国を建設したが、323年に32歳で病死した。マケドニア帝国の領地は、アレクサンドロスの四人の将軍によって分割された。ユダヤは、最初はエジプトを支配したプトレマイオス王朝に、次にシリアを支配したセレウコス王朝に支配されることになる。

・プトレマイオス王朝は、ユダヤ人たちに自由に宗教生活をすることを許した。ただこの時代、パレスチナにもヘレニズム的な影響が多く入りこんできた。ヘレニズム様式の都市や建物が建設されたり、ギリシア式の競技が行われたり、一般の生活や思想にもヘレニズム的影響が入り込んできた。ユダヤ人の中にはこのような傾向を歓迎するグループもあれば、反発を覚えるグループもあった。言葉もギリシア語が公用語として使われるようになり、この時代に聖書のギリシア語への翻訳がなされた。アレクサンドリアにおいて、70人の学者によって70日間で翻訳されたという伝説から「70人訳聖書」と呼ばれている。新約聖書に引用される旧約聖書はすべてこのギリシア語聖書である。

・前198年、シリアのアンティオコス三世が、プトレマイオス五世を破り、これ以後ユダヤはセレウコス王朝の支配下に入った。アンティオコス三世は、ユダヤ人に宗教生活を自由になすことを許したが、次のアンティオコス四世エピファネス(在位前175-163)が王位に即くと事情は急変した。前168年、アンティオコス四世は、エジプト遠征の戦費をまかなうために、エルサレム神殿の財宝を略奪し(Ⅰマカベア1・20-24)、前167年からはユダヤに対する徹底的な宗教弾圧を開始した。彼は、律法の書を火で焼かせ、安息日や割礼などの律法に従う生活を禁じ、エルサレム神殿にギリシア神ゼウスの像を置いて(ダニエル書11・31-32「荒らす憎むべきもの」)、礼拝を強制し、ヤハウエ礼拝を禁じた。国内の至る所にゼウスの祭壇が建てられ、人々は強制的にゼウス礼拝に参加させられた。

・この時、聖書の信仰に従ってあくまでも偶像礼拝を拒否して、ヤハウエ礼拝を死守した多くの敬虔な者たち(ハシディームと呼ばれた)は、殉教していった。このような迫害に苦しむ人々を励まし、また復活の希望を与えるために書かれたのが「ダニエル書」である。ダニエル書は旧約と新約を繋ぐ架け橋的な書であり、新約記者に大きな影響を与えた。マルコがエルサレム神殿の崩壊を記述する時、ダニエル書を引用し(マルコ13:14)、イエスがご自身を「人の子」と称せられる時、その言葉はダニエル書から来る(マルコ13:26、14:62)。

 

2.ダニエルと三人の仲間たち

 

・ダニエル書は迫害の中で書かれた黙字文学であり、現在を過去の歴史の中に語る。具体的には、時間をバビロン捕囚時に移し、場所もバビロンに設定して、迫害に屈しない人物像を描き、迫害に苦しむ同胞たちを鼓舞する。最初にダニエルが前597年(第一次捕囚時)に捕らえられて、バビロンに移されたとして物語が始められる。

-ダニエル1:1-2「ユダの王ヨヤキムが即位して三年目のことであった。バビロンの王ネブカドネツァルが攻めて来て、エルサレムを包囲した。主は、ユダの王ヨヤキムと、エルサレム神殿の祭具の一部を彼の手中に落とされた。ネブカドネツァルはそれらをシンアルに引いて行き、祭具類は自分の神々の宝物倉に納めた」。

・前168年、シリア王アンティオコス四世は、エジプト遠征の戦費をまかなうために、エルサレム神殿の財宝を略奪した。著者はバビロンの中にシリアを見ている。バビロン捕囚では多くの王族や貴族、祭司たちが捕虜となったが、ネブカドネツァルはその中から、体力・知力・気力に優れた若者4人を選び出し、彼らにバビロンの教育を受けさせ、王の宮廷に仕える者としての訓練を施すように命じた。民族同化政策である。

-ダニエル1:3-5「ネブカドネツァル王は侍従長アシュペナズに命じて、イスラエル人の王族と貴族の中から、体に難点がなく、容姿が美しく、何事にも才能と知恵があり、知識と理解力に富み、宮廷に仕える能力のある少年を何人か連れて来させ、カルデア人の言葉と文書を学ばせた。王は、宮廷の肉類と酒を毎日彼らに与えるように定め、三年間養成してから自分に仕えさせることにした」。

・その中にダニエルと三人の仲間がいた。彼らはヘブルの名前を捨て、バビロンの名前を名乗るように命じられた。名前の変更、改氏改姓は民族の誇りを奪うために為される。ユダヤ人の名前はいずれも、エル、ヤハというイスラエルの神の名を示すが(ダニエル=神さばきたもう)、それがバビロンの神の名を示すものに変えられていく(ベルテシャツァル=ベル神守り給え)。他の三人も同じだ。

-ダニエル1:6-7「この少年たちの中に、ユダ族出身のダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤの四人がいた。侍従長は彼らの名前を変えて、ダニエルをベルテシャツァル、ハナンヤをシャドラク、ミシャエルをメシャク、アザルヤをアベド・ネゴと呼んだ」。

・次にダニエルたちが直面したのは食物の問題である。ユダヤ人は血を食べることを禁じられ、血抜きした肉しか食べない。また豚を汚れた動物として食べない。ダニエルたちはバビロンの肉と酒を拒否していく。

-ダニエル1:8-10「ダニエルは宮廷の肉類と酒で自分を汚すまいと決心し、自分を汚すようなことはさせないでほしいと侍従長に願い出た。神の御計らいによって、侍従長はダニエルに好意を示し、親切にした。侍従長はダニエルに言った。『私は王様が恐ろしい。王様御自身がお前たちの食べ物と飲み物をお定めになったのだから。同じ年ごろの少年に比べてお前たちの顔色が悪くなったら、お前たちのために私の首が危うくなるではないか』」。

・ここにもシリア時代の迫害の出来事が背景にある。シリア王はユダヤ人が豚肉を食べないことを自分に対する反逆だとして、食べることを強制し、拒否する者を処刑した。

-2マカバイ記6:18-20「律法学者として第一人者で、既に高齢に達しており、立派な容貌の持ち主であったエレアザルも、口をこじあけられ、豚肉を食べるように強制された。しかし彼は、不浄な物を口にして生き永らえるよりは、むしろ良き評判を重んじて死を受け入れることをよしとし、それを吐き出し、進んで責め道具に身を任そうとした・・・口にしてはならないものは断固として退けねばならない人々の取るべき態度である」。

・神はそのようなダニエルたちを野菜と水で養われる。

-ダニエル1:11-16「ダニエルは、侍従長が自分たち四人の世話係に定めた人に言った『どうか私たちを十日間試してください。その間、食べる物は野菜だけ、飲む物は水だけにさせてください。その後、私たちの顔色と、宮廷の肉類をいただいた少年の顔色をよくお比べになり、その上でお考えどおりにしてください』。世話係はこの願いを聞き入れ、十日間彼らを試した。十日たってみると、彼らの顔色と健康は宮廷の食べ物を受けているどの少年よりも良かった。それ以来、世話係は彼らに支給される肉類と酒を除いて、野菜だけ与えることにした」。

・こうしてダニエルたちは成長していき、やがて王の宮廷に使えるものとされ、不思議な夢解きを通じて、その信仰を証ししていくものとなる。

-ダニエル1:17-20「この四人の少年は、知識と才能を神から恵まれ、文書や知恵についてもすべて優れていて、特にダニエルはどのような幻も夢も解くことができた・・・王は彼らと語り合ったが、このダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤと並ぶ者はほかにだれもいなかったので、この四人は王のそばに仕えることになった。王は知恵と理解力を要する事柄があれば彼らに意見を求めたが、彼らは常に国中のどの占い師、祈祷師よりも十倍も優れていた」。

 

3.ダニエル書と私たち

 

・ダニエル書の主題は、「異教社会の中でどのように生きるか」である。私たちも洗礼を通して神の国に生きる者となり(Ⅰペテロ2:9、聖なる国民、神の民)、国籍は天にある(ピリピ3:20)。祖国日本もまた信仰者にとっては異教社会なのである。私たちはこの異教社会で少数者として生き(マルコ13:9)、しかも少数者の誇りを持って生きる(マタイ5:13-16、地の塩・世の光)。

・その時、私たちもまたダニエルの世界に生きる。天の国を目指す者として、私たちはこの世では寄留者であり旅人なのだ。だからこの世の有様にとらわれない生き方が必要だ。「世と世のもの」は過ぎ去るからだ。

-Ⅰコリント7:29-30(新改訳)「時は縮まっています。今からは、妻のある者は妻のない者のように・・・泣く者は泣かない者のように、喜ぶ者は喜ばない者のように、買う者は所有しない者のようにしていなさい。世の富を用いる者は用いすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです」。

・しかし同時にイスラエルを支配される神はまたバビロンを支配される方であることも忘れてはいけない。私たちは世捨て人になるのではなく、この世の神の国を目指す旅人なのだ。

-アウグスチヌス・「神の国」から「二種の愛が二つの国をつくった。この世の国をつくったのは神を侮るまでになった自己愛であり、天の国をつくったのは自己を侮るまでになった神への愛である・・・歴史のあらゆるところで、神の国と地の国、神への愛と自己愛が入り混じって存在している。ローマ帝国が地の国でもなければ、教会が神の国と同一でもない・・・人間も人間の集団の歴史も、この二つの愛の間をさまよっている。この世で、神の愛に基づく国をつくり、正義、平和、秩序を求めることはむずかしい。しかし、過去の過ちを探り、永遠の平和を求めて、地上の生活を続けていく。それが人間の歴史である」。

-聖書教育の学び

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