1.イエスの埋葬
・イエスは金曜日の午後3時に息を引き取られ、あわただしく十字架から降ろされ、埋葬された。
-マルコ15:42-43「既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである」。
・イエスを埋葬したのは、最高法院議員であったアリマタヤのヨセフだった。彼は自分の評判を危うくする危険を犯しても、自分に出来ることをした。イエスは当時のユダヤ支配層の中に少数の信奉者を得ていた。ヨハネ福音書によれば同僚議員ニコデモも埋葬を手伝ったと伝える(ヨハネ19:38-40)。洗礼者ヨハネが処刑された時、弟子たちは遺体を引き取りに来た(6:29)。しかし、イエスの弟子たちはその義務さえ果たさなかった。弟子たちに代わり、ヨセフは遺体を亜麻布に巻き、自分の墓に丁重に葬った。
-マルコ15:46「ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には石を転がしておいた」。
・イエスは確かに死んだのか。ピラトは部下を通じてそれを確認して遺体をヨセフに下げ渡した。
-マルコ15:44-45「ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊長を呼び寄せて、既に死んだかどうかを尋ねた。そして、百人隊長に確かめたうえ、遺体をヨセフに下げ渡した」。
・イエスは確かに墓に納められた。イエスに従ってきた婦人たちもそれを確認する。「イエスは仮死ではなく、確かに死なれ、葬られた」ことをマルコは強調する。
-マルコ15:47「マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた」。
2.イエスの復活
・安息日が終わると、三人の女性がイエスの遺体に油を塗るため墓地へ向かった。彼女たちは、イエスがガリラヤで宣教していた頃から、イエスに仕え、身辺の世話をしてきた女性たちだった。彼女たちは墓の入り口に置かれた石をどのように取り除くべきかわからないが、墓へと急ぐ。「必要な助けは神が与えて下さる」と彼女たちは信じていた。
-マルコ16:1-3「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗るために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、『だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか』と話し合っていた。」
・彼女たちが墓地へ着くと、墓を封じた石はすでに脇に転がされ、イエスの遺体はすでに無かった。そして墓の内に座っていた白衣の若者が、イエスの復活を告げた。
-マルコ16:4-6「ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。『驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。』」
・若者はさらに言った「さあ行って、ペトロたちに知らせなさい。イエスは先にガリラヤに行っておられる」。女性達は予期せぬ出来事に恐れおののき、その場から逃げ去った
-マルコ16:7-8「『さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。「あの方はあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われた通り、そこでお目にかかれる。』婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」
・「婦人たちは恐れた」、マルコ福音書はそこで突然に終わる。唐突な終わり方だ。後代の教会は復活後の出来事を書き込む。それが16:9以下の付加だ。しかしマルコは付加を必要としない。復活後にどう行動すべきか。それは私たちに委ねられている。マルコの未完の物語を継承するのは私たちだ。だから私たちは、マルコが必要としなかった16:9以下は釈義しない。
3.復活をどう考えるか
・マルコでは、天使が婦人たちに語る「あの方は復活なさって、ここにはおられない・・・さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と」。マルコの記事は二つの事実を私たちに知らせる。一つはイエスの遺体を納めた墓が空になっていたという伝承があり、二つ目は弟子たちがガリラヤで復活のイエスと出会ったという伝承があることだ。「空の墓の伝承」はルカ福音書24章にもある。
-ルカ 24:8-12「婦人たちは・・・墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた・・・婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。」
・婦人たちは「イエスの遺体がなくなっている」と弟子たちに伝え、弟子たちも墓が空であることは確認したが、「まさかイエスが復活されたとは考えもしなかった」とルカは報告している。ヨハネでもイエスの復活の報告を聞いても弟子たちは信じることができなかったことを伝える。
-ヨハネ20:25「トマスは言った。『あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、私は決して信じない。』」。
・イエスに反対するユダヤ教側では「イエスは復活したのではなく、弟子たちが死体を盗んだ」と言いふらしていた。イエスの墓が空であったことは反対派の人々も認めている。
-マタイ28:13-15「(ユダヤ人たちは) こう言った。『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った。』と言うのだ。もし、このことが総督の耳にはいっても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」そこで、彼らは金をもらって、指図されたとおりにした。それで、この話が広くユダヤ人の間に広まって今日に及んでいる」。
・近代聖書学の父と呼ばれるルドルフ・ブルトマンは復活についてその史実性を否定する。弟子たちが復活信仰を持ったことは歴史的に確認できるが、だからといってイエスが復活したとは言えないと彼は語る。
-「キリストの甦りとしての復活の出来事は決して史的出来事ではない。史的出来事としては、初代の弟子たちの復活信仰だけが把捉しうる。歴史家にとっては復活の出来事は、弟子たちの幻影的体験にまで還元されてしまうであろう」。
・ブルトマンの復活理解にカール・バルトは激しく反論した。彼は「イエスご自身が甦って弟子たちに現れたから弟子たちの復活信仰が生じたのであり、イエスの復活を検証できないから事実ではないと言うのはおかしい」と主張する。
-「ブルトマンは、甦りの出来事を“復活者を信じる信仰の発生”として解釈している時、復活の出来事を“非神話化”している。復活者を信じる信仰の発生は、復活者が歴史的に出現することによって起こって来るのであり、復活者の歴史的出現それ自体が甦りの出来事である」。
・復活の史実性については学者の間での結論は出ていない。聖書学者であり、また信仰者であったE.シュヴァイツァーは復活について次のように語る。
-「イエスの復活は、新約聖書の至る所に証言があるが、しかしどこにも描写はない。史的研究が可能な諸事実は以下の通りである。第一にイエスの弟子たちは、イエス受難の日にすっかり絶望してしまったが、その七週後、聖霊降臨祭の出来事の時に、イエスは主であると告げ知らせ、そしてそのためには牢獄や必要とあれば処刑にも赴く心構えを持つようになったことである。彼らの生涯に、各人の存在全体を覆い、その深みにまで至る一大変化が起こった事、これは歴史的な事実である」。
・イエスの復活は歴史学の対象になるような事象ではない。それは信仰の出来事であり、証言し、継承すべき出来事なのではないか。パウロはイエスの復活を疑わない。何故ならば彼自身が復活のイエスに出会ったからだ。私たちも復活のイエスに自分自身が出会った。だから私たちも証言する。
-第一コリント15:3-5「最も大切なこととして私があなた方に伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストは聖書に書いてある通り、私たちの罪の為に死んだこと、葬られたこと、また聖書に書いてある通り、三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後12人に現れたことです」。