1.エルサレムに迎え入れられる
・イエスはこれまでに三度、「自分はエルサレムで迫害され、殺される」と弟子たちに預言していた(マタイ16:21他)。それにもかかわらず、イエス一行はエルサレムへ向かい、旅を重ねてエルサレム近郊、オリ-ブ山沿いのベトファゲに着いた。オリ-ブ山は、ケデロンの谷を隔てたエルサレム東側にあり、眼下にエルサレムを挑めた。イエスはエルサレム入城時のろばを調達するため二人の弟子を選び、向うの村へ行き、ろばを見つけ、引いて来るよう命じた。
-マタイ21:1-3「一行がエルサレムに近づいて、オリ-ブ山沿いのべトファゲの来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた『向うの村に行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、私のところに引いて来なさい。もし、だれかが何か言ったら「主がお入用なのです」と言いなさい。すぐ渡してくれる』」。
・マタイはその行為がゼカリヤ書に預言されていたことの成就であると述べる。
-マタイ21:4-5それは預言者を通して言われていたことが実現するためであった『シオンの娘に告げよ。「見よ、お前の王がお前のところにお出でになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って」』」。
・預言者ゼカリヤは「メシアはろばに乗ってくる」と預言していた。イエスはそれ故、ろばに乗ってエルサレム入城を果たされる。イエスがろばに乗ってエルサレムへ入城されたのは、ろばが軍用の馬に対し平和を表し、謙虚な王としてのイエスの姿を表すためであった。
-ゼカリヤ9:9「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ろばに乗って来る、雌ろばの子であるろばに乗って」。
・ろばは古代の王の乗りものであったが、ソロモンの時代以降、次第に馬が王の象徴として用いられるようになる。メギドで発掘されたソロモンの厩は、五百頭もの馬を飼育していたと言われている。しかし、武力と権力の象徴となった馬は預言者に忌避される。
-詩編147:10-11「主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく、人の足の速さを望まれるのでもない。主が望まれるのは主を畏れる人、主を待ち望む人」。
・「新約聖書1日1章」を書いた榎本保郎牧師は、この箇所に基づき、自分を「ちいろば」(子ろば)と称した。イエスを乗せた子ろばのように、イエスの福音を運びたいと願ったからである
-三浦綾子・ちいろば先生物語から「エルサレムに入城するイエスさまを乗せた、小さな子ろばのようになりたい。〈主の用なり〉と言われたら、たとえ自分に力が無くとも、どこへでも出かけて行こう。敗戦後の激動の満州から帰国した多感な青年・榎本保郎は、挫折を試練にかえて立ち直り、神の道への献身をこのように決意する。京都世光教会を創立し、今治教会を経て、アシュラム運動の発展のために全身全霊を捧げた、熱血牧師の52年の生涯である」。
2.歓呼してイエスを迎える群衆
・イエスはろばの背に服を敷いて乗り、エルサレムの人々は道路に自分の服と木の枝の絨毯を敷き、歓呼してイエスを迎えた。エルサレムには過越し祭りを祝うため、ユダヤ各地から集まった巡礼者で賑わっていた、人々は口々にイエスに向かって「ダビデの子にホサナ」と叫んだ。人々は「ダビデの子にみ栄えあれ」と叫び、イエスを歓迎したのである。
-マタイ21:6-9「弟子たちは行って、イエスが命じられた通りにし、ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。そして群衆は前を行く者も後に従う者も叫んだ。『ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ』」。
・「一体、これはどういう人だ。」と問いかけ人々に、一方の人々が「この方はガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と答える街頭の描写は、歓呼とは裏腹に人々が群衆心理で騒いでいたことを物語っている。群衆の一部が「ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言ったのは彼らがイエスをロ-マの束縛から解放してくれる、政治的指導者と期待していたからである。
-マタイ21:10-11「イエスがエルサレムに入られると、都中の者が『一帯、これはどういう人だ』と言って騒いだ。そして群衆は、『この方はガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ』と言った。」
3.神殿から商人を追い出す
・エルサレムに入られるとイエスはすぐに神殿に行かれ、宮清めをされる。
-マタイ21:12-14「それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。そして言われた『こう書いてある。「私の家は祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちは、それを強盗の巣にしている」』。境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた」。
・イエスの言われた「私の家は祈りの家と呼ばれるべきである、ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている」は、イザヤやエレミヤの預言の引用である。
-イザヤ56:7「私は彼らを聖なる私の山に導き、私の祈りの家の喜びの祝いに、連なることを許す。彼らが焼き尽す献げ物といけにえをささげるなら、私の祭壇で私はそれを受け入れる。私の家は、すべて民の祈りの家と呼ばれる。」
-エレミヤ6:11「私の名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣と見えるのか。その通り。私にはそう見える、と主は言われる」。
・イエスが糾弾された両替や犠牲の鳩を売る商行為は、当時の人にとって当然の行為だった。神殿税を払うためには、流通しているロ-マ貨幣をユダヤ貨幣に替えねばならなかったし、犠牲の動物を遠隔地から持参することも不可能だった。それでもなお、イエスが宮清めをされたのは、もっと根本的なこと、「犠牲を捧げれば救われる」というユダヤ教の根本教理に対する告発だった。イエスが処刑された最大の理由(神殿冒涜罪)がここにあった。
-ヨハネ2:18-21「ユダヤ人たちはイエスに『あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしを私たちに見せるつもりか』と言った。イエスは答えて言われた『この神殿を壊してみよ。三日で建て直して見せる』。それでユダヤ人たちは『この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか』と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである」。
4.幼子や乳飲み子の口にあなたは賛美を歌わせた
・ユダヤ教の指導者たちは、子供たちがイエスに対して、「ダビデの子ホサナ」と賛美するのを聞いて憤慨し、イエスに「子供の言っている声が聞こえないか」と質問した。なぜなら、「ホサナ」は本来、神にささげるべき賛美だったからである。彼ら「あなたはなぜ子供たちの間違った賛美を黙認するのか」とイエスを非難したが、イエスは切り返して、あなたがたこそ聖書に書いてあるのを読んだことが無いのかと詩編をとりあげて反問された。
-マタイ21:15-17「他方、祭司長たちや、律法学者たちは、イエスの不思議な業を見、境内で子供たちまで叫んで、『ダビデの子にホサナ』と言うのを聞いて腹を立て、イエスに言った『子供たちが何と言っているか、聞こえるか』。イエスは言われた『聞こえる。あなたたちこそ、「幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美を歌わせた」という言葉をまだ読んだことがないのか』。それから、イエスは彼らと別れ、都を出てベタニヤに行き、そこにお泊まりになった」。