1.祭司たちの堕落の告発
・マラキ書は前460年頃に書かれた。前539年以降、捕囚から帰還した人々はエルサレム神殿を再建すれば神の祝福は来ると信じ、破壊されていた神殿再建に取り組み、神殿は前515年に完成した。しかし何も変わらなかった。エルサレムはペルシャの支配下にあり、飢饉や不作で生活は苦しく、人々は絶望し、信仰生活は緊張を欠き、無関心と無感動が支配し始めていた。
-マラキ1:2「『私はあなたたちを愛してきた』と主は言われる。しかし、あなたたちは言う『どのように愛を示してくださったのか』と」。
-マラキ3:14「あなたたちは言っている『神に仕えることはむなしい。たとえ、その戒めを守っても、万軍の主の御前を喪に服している人のように歩いても、何の益があろうか』」。
・そのような中で礼拝も形式化していた。祭司たちは言った「どうせ燃え尽くす犠牲を捧げるのであれば、傷のある動物を捧げても良いのではないか」と。
-マラキ1:7-8「あなたたちは私の祭壇に汚れたパンをささげておきながら、我々はどのようにしてあなたを汚しましたか、と言う。しかも、あなたたちは主の食卓は軽んじられてもよい、と言う。あなたたちが目のつぶれた動物を生贄としてささげても、悪ではないのか。足が傷ついたり、病気である動物をささげても悪ではないのか。それを総督に献上してみよ。彼はあなたを喜び、受け入れるだろうかと万軍の主は言われる」。
・支配者であるペルシャ総督には捧げない傷のある羊を(仮にそうすれば処罰が来る)、主の祭壇には捧げる。そのような祭司たちに神は祝福ではなく、呪いが与えられるとマラキは預言する。
-マラキ2:1-3「祭司たちよ、今あなたたちにこの命令が下される。もし、あなたたちがこれを聞かず、心に留めず、私の名に栄光を帰さないなら、と万軍の主は言われる。私はあなたたちに呪いを送り、祝福を呪いに変える。いや既に呪いに変えてしまった。これを心に留める者があなたたちの間に一人もいなかったからだ。私はあなたたちの子孫を脅かし、あなたたちの顔に汚物を浴びせる。それは祭りの犠牲の捨てられたものだ。あなたたちは、その上に投げ捨てられる」。
・祭司の堕落は今日で言えば牧師の堕落だ。ピーターセンは「牧会者の神学」の中で、アメリカの多くの牧師は企業経営者に堕落してしまったと告発する。日本の教会は社会的に少数派であり、牧師は概ね貧乏に置かれている故に、精神生活は健全である。他方、韓国大教会の牧師たちの金銭的、性的スキャンダルは絶えない(注参照)。
-ピーターセン・牧会者の神学「アメリカの牧師たちは企業経営者の一群に変容してしまった。彼らが経営するのは、教会と言う名の店である。牧師は・・・どうしたら顧客を喜ばすことができるか、どうしたら顧客を道路沿いにある競争相手の店から自分の店に引き寄せることができるか、どうしたら顧客がより多くの金を落としてくれるような商品を提供できるかを考え・・・祈り、聖書を読み、霊的導きを行うことを忘れてしまった」。
2.異教徒の娘と再婚するユダヤ人への叱責
・10節から異邦人女性と結婚するユダヤ人男性への叱責が記される。捕囚から帰国した民は自分たちの土地が異邦人に占拠されているのを見て(捕囚から帰還した時、もう70年も経っていた)、土地を取り戻す一つの方法として異邦人支配者たちとの婚姻関係を求め、ユダヤ人の妻を離別し、土地の娘たちと結婚する者が多かったことが背景にあると言われる。
-マラキ2:10-12「我々は皆、唯一の父を持っているではないか。我々を創造されたのは唯一の神ではないか。なぜ、兄弟が互いに裏切り、我々の先祖の契約を汚すのか。ユダは裏切り、イスラエルとエルサレムでは忌まわしいことが行われている。まことに、ユダは主が慈しんでおられる聖なるものを汚し、異教の神を信じる娘をめとっている。主よ、このようなことを行う者を、家族もろともヤコブの天幕から絶ち滅ぼしてください。たとえ彼が万軍の主に献げ物をささげたとしても」。
・個人的利益のために結婚の契約を簡単に破棄する者たちは、神との契約も簡単に破棄する。結婚は神の前における誓約であり、それを破る離婚の増加を「主は離婚を憎まれる」という言葉でマラキは糾弾する。おそらく大きな災害が起き、多くの人々が「何故」と問うた時のマラキの託宣であろう。
-マラキ2:13-16「あなたたちは・・・泣きながら、叫びながら、涙をもって主の祭壇を覆っている。もはや、献げ物が見向きもされず、あなたたちの手から受け入れられないからだ。あなたたちは、何故かと問うている。それは、主があなたとあなたの若い時の妻との証人となられたのに、あなたが妻を裏切ったからだ。彼女こそ、あなたの伴侶、あなたと契約をした妻である。主は、霊と肉を持つ一つのものを造られたではないか。その一つのものが求めるのは神の民の子孫ではないか・・・あなたの若い時の妻を裏切ってはならない。私は離婚を憎むとイスラエルの神、主は言われる。離婚する人は、不法でその上着を覆っていると万軍の主は言われる。あなたたちは自分の霊に気をつけるがよい。あなたたちは裏切ってはならない」。
・申命記は異邦人の娘との結婚を禁じるが(申命記7:3-4)、離婚は禁じていない(申命記24:1-4)。そのため、離婚に対するルーズな考えが生まれた。しかしイエスは「離婚をするな」と戒められる。
-マルコ10:2-9「ファリサイ派の人々が近寄って、『夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか』と尋ねた・・・イエスは、『モーセはあなたたちに何と命じたか』と問い返された。 彼らは、『モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました』と言った。イエスは言われた。『あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない』」。