1.自由になったのに奴隷に逆戻りしてはいけない
・パウロは、「信仰者はキリストにより神の子とされたのだから、アブラハムに与えられた祝福を受け継ぐ相続人なのだ」と語る。しかし、相続人も未成年の間は、後見人や管理人の監督下に置かれ、財産を自由に出来ない。信仰者もキリストが来られるまでは、律法という管理人の下に生活していた。
-ガラテヤ4:1-3「相続人は、未成年である間は、全財産の所有者であっても僕と何ら変わるところがなく、父親が定めた期日までは後見人や管理人の監督の下にいます。同様に私たちも、未成年であった時は、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました」。
・しかし、キリストが来られて私たちは自由になった。律法の奴隷から、神の子とせられた。
-ガラテヤ4:4-7「時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは律法の支配下にある者を贖い出して、私たちを神の子となさるためでした。あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、私たちの心に送ってくださった事実から分かります。あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです」。
・あなた方は、今は神を知っているし、神から受容されている。それなのに、魂の救いを、神ならぬこの世の秩序や断食等の律法的行為に求めるのか、かつてあなたがたを支配した諸霊の奴隷に戻るのか。
-ガラテヤ4:8-9「あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか」。
・罪=ハマルテイアとは、「的から外れる」という意味だ。的から外れる、神なしで生きる時、人間は人間しか見えない。他者が自分より良いものを持っていればそれが欲しくなり(=貪り)、他者が自分より高く評価されれば妬ましくなり(=妬み)、他者が自分に危害を加えれば恨む(=恨み)。神なき世界では、この貪りや妬み、恨みという人間の本性がむき出しになり、それが他者との争いを生み出し、この世は弱肉強食の世界となる。パウロはそこに悪魔的霊力(ストイケア)が働いていると見る。
-ガラテヤ4:10-11「あなたがたは、いろいろな日、月、時節、年などを守っています。あなたがたのために苦労したのは無駄になったのではなかったかと、あなたがたのことが心配です」。
2.あなたがたをもう一度生むと語るパウロ
・12節からパウロの語調が変わり、これまでの論難調から、個人的な語りかけになって行く。
-ガラテヤ4:12「私もあなたがたのようになったのですから、あなたがたも私のようになってください。兄弟たち、お願いします。あなたがたは、私に何一つ不当な仕打ちをしませんでした」。
・パウロは異邦のガラテヤ人に福音を伝えるために、ユダヤ人であることを捨てた。彼らに割礼を受けることも強制せず、食物規定を守ることさえ求めなかった。その私をあなた方は暖かく迎え入れてくれたとパウロは回想する。
-ガラテヤ4:13-14「知っての通り、この前私は、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。そして、私の身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、私を神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました」。
・パウロはガラテヤに行った時、病気に悩まされていた。その病気は眼病であったようだ。
-ガラテヤ4:15「あなたがたが味わっていた幸福は一体どこへ行ってしまったのか。あなたがたのために証言しますが、あなたがたはできることなら自分の目をえぐり出しても私に与えようとしたのです」。
・パウロはガラテヤの人々が悪いのではなく、彼らをたぶらかせた者たち、エルサレム教会の伝道者たちが悪いと批判する。
-ガラテヤ4:16-17「私は、真理を語ったために、あなたがたの敵となったのですか。あの者たちがあなたがたに対して熱心になるのは、善意からではありません。かえって、自分たちに対して熱心にならせようとして、あなたがたを引き離したいのです」。
・そしてパウロはガラテヤの人々に「私の子どもたち、私は、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいる」と呼びかける。
-ガラテヤ4:19-20「私の子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、私は、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。できることなら、私は今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい。あなたがたのことで途方に暮れているからです」。
3.二人の息子の譬え
・パウロはガラテヤの人々が奴隷ではなく、神の子であることを説明するために、イシマエルとイサクの対比を持ち出す。アブラハムには二人の妻があり、女奴隷ハガルからはイシマエルが、正妻サラからはイサクが生まれた。アブラハムの相続人になったのは奴隷の子ではなく、約束の子イサクだった。
-ガラテヤ4:22-23「アブラハムには二人の息子があり、一人は女奴隷から生まれ、もう一人は自由な身の女から生まれたと聖書に書いてあります。ところで、女奴隷の子は肉によって生まれたのに対し、自由な女から生まれた子は約束によって生まれたのでした」。
・あなたがたはイサクのように約束によって生まれた子だ。それなのに何故、肉によって生まれたイシマエルのようになろうとするのか。イシマエルはアブラハムの家から追われたではないか。
-ガラテヤ4:28-30「あなたがたは、イサクの場合のように、約束の子です。けれども、あのとき、肉によって生まれた者が、霊によって生まれた者を迫害したように、今も同じようなことが行われています。しかし、聖書に何と書いてありますか。『女奴隷とその子を追い出せ。女奴隷から生まれた子は、断じて自由な身の女から生まれた子と一緒に相続人になってはならないからである』と書いてあります」。
・あなたがたは約束の子であり、キリストが自由にして下さった。二度と奴隷の身に戻ってはいけない。
-ガラテヤ4:31-5:1「兄弟たち、私たちは、女奴隷の子ではなく、自由な身の女から生まれた子なのです。この自由を得させるために、キリストは私たちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません」。
4.ガラテヤ4章の黙想
・神がいない時、この世は弱肉強食の、食うか食われるかの世界となる。パウロはそこに悪魔的霊力(ストイケア)が働いていると見る。その霊力が世の権力と結びつく時、社会を破壊する恐ろしい力を持つ。現代の私たちは地球を何度も破壊する量の核兵器を所有している。広島、長崎を通して、核兵器が悪魔の兵器であることを誰もが知ったのに、世界はそれを廃絶することが出来ない。核兵器は敵に対する「抑止力」として必要だとうそぶく人々は悪魔的力の奴隷になっている。原子力発電も同じで、福島原発事故を契機に原子力発電の被害の怖さを知り、放射性廃棄物を処理する能力が人間にはないことを知った。それにも関わらず、原発の再稼働が当然のように進められている。私たちも悪的諸霊=ストイケアから自由になっていない。
・人間がこの罪の縄目から自由になるために、神は私たちにキリストを送られ、人間の罪がキリストを十字架につけるままに任されたとパウロは理解する。私たちはキリストの十字架死を通して、「逆らう者は殺す」という人間の「罪の原点」を見る。しかし、神はイエスを死から起こすことを通して、罪を放置することを許されなかった。だから私たちはキリストの十字架死を通して救われる。それなのにあなた方は「救われるためにはキリストだけでは不十分だ」と言い始めている。割礼が何故問題になるのか、それは「割礼を受ける」ことによって、救いの決定権を人間の側が持つようになるからだ。割礼を受けた者は、「割礼を受けたのだから救って下さい」と神に迫る。今日では「洗礼を受けたのだから救って下さい」と神に迫る。
・律法主義は自分の行いの正しさを神の前に持ち出す。そこには「自分は正しい」という主張はあっても、心の変革は生じない。福音は、無条件で人間を赦し救って下さる神の憐れみを信じることだ。
-ルカ7:36-38「ファリサイ派の人が一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った」。
-ルカ7:48-50「イエスは女に、『あなたの罪は赦された』と言われた、イエスは女に、『あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい』と言われた」。
・罪を赦された者はもう罪の生活を続けることは出来ない。彼女はおそらく今までの生活と訣別し、新しい生きかたを始める。この女性はイエスの十字架の現場にまで従った「マグダラのマリア」ではないかと言われている。イエスとの出会いは人の人生を根底から変える力を持っている。イエスは悲しみを知っておられた、イエスご自身も「私生児」と陰口されて苦しまれた、それ故に「罪人」とされた女性の苦しみも知って下さった。ここに「罪が赦される」という福音がある。福音は律法を超えるのだ。