江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2023年7月12日祈祷会(使徒言行録23:1-35、最高法院でのパウロの弁明)

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1.最高法院のパウロ

 

・パウロを民衆のリンチから救ったローマの守備隊長は、ユダヤ人議会を召集するように求めた。こうして、パウロは最高法院の議員の前で証しをする機会を与えられた。

-使徒23:1-2「パウロは最高法院の議員たちを見つめて言った。『兄弟たち、私は今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前に生きてきました。』すると、大祭司アナニアはパウロの近くに立っていた者たちに、彼の口を打つように命じた。パウロは大祭司に向かって言った。『白く塗った壁よ。神があなたをお打ちになる。あなたは、律法に従って私を裁くためにそこに座っていながら、律法に背いて、私を打て、と命令するのですか。』」

・大祭司アナニアは強欲で知られ、民衆の評判も悪く、紀元66年のユダヤ戦争時に暴徒に暗殺されている。ルカはこの事実を踏まえて、「神があなたをお打ちになる」とパウロに語らせている。イエスご自身も大祭司の前に不遜であるとして、下役から平手打ちをされている。

-ヨハネ18:22「イエスがこう言われると、そばにいた下役の一人が、『大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか』と言って、イエスを平手で打った」。

・パウロは議場に、復活を信じる多くのファリサイ派がいるのをみて、「自分は復活信仰で裁かれている」と語り始めた。するとファリサイ派とサドカイ派の間に激しい論争が始まり、議場は大混乱となった。

-使徒23:6-9「パウロは、議員の一部がサドカイ派、一部がファリサイ派であること知って議場で声を高めて言った。『兄弟たち、私は生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、私は裁判にかけられているのです。』パウロがこう言ったので、ファリサイ派とサドカイ派の間に論争が生じ、最高法院は分裂した。サドカイ派は復活も天使も霊もないと言い、ファリサイ派はこのいずれも認めているからである。そこで騒ぎは大きくなった。ファリサイ派の数人の律法学者が立ち上がって激しく論じ、『この人には何の悪い点も見いだせない。霊か天使かが彼に話しかけたのだろうか』と言った。」

・ファリサイ派とサドカイ派の論争は激しさを増すばかりで、パウロに危険が及びそうになった。千人隊長は議場へ入り、パウロを救出した。その夜パウロは主から励ましを受けた。

-使徒23:11「その夜、主はパウロのそば立って言われた。『勇気を出せ。エルサレムで私のことを力強く証ししたように、ロ-マでも証ししなければならない。』」。

・「あなたの生涯はこのエルサレムでは終わらない。ローマに行って宣教するのだ」とパウロは告げられた。私たちの人生もそうだ。使命を与えられている者の人生は、中途で終わることはない。宗教改革者マルティン・ルターは1521年ウォルムス国会で、ローマ教皇に対する告発を取り消すように、皇帝カール5世から求められたが、彼はそれを拒否した「私は神にそむくことは出来ない、ここに私は立つ」。

-1521年 4月17日ルターの証言「私は教皇と公会議の権威は認めません。なぜなら、それらは互いに矛盾しているからです。私の良心は神の御言葉にとらわれているのです。私は何も取り消すことができないし、取り消そうとも思わない。なぜなら、良心にそむくことは正しくないし、安全でもないからです。これよりほかに私はどうすることもできない。ここに私は立つ。神よ、私を助けたまえ。アーメン。」

 

2.パウロ暗殺の陰謀

 

・ユダヤ人たちは、祭司長や長老たちと共に、パウロの暗殺計画を立てた。

-使徒23:12-15「夜が明けると、ユダヤ人たちは陰謀をたくらみ、パウロを殺すまでは飲み食いしないという誓いを立てた。このたくらみに加わった者は、四十人以上もいた。彼らは、祭司長たちや長老たちのところへ行って、こう言った。『・・・今、パウロについてもっと詳しく調べるという口実を設けて、彼をあなたがたのところへ連れて来るように、最高法院と組んで千人隊長に願い出て下さい。私たちは、彼がここへ来る前に殺してしまう手はずを整えています。』」

・パウロ暗殺の陰謀はパウロの甥に察知され、甥はパウロと千人隊長に知らせた。パウロの甥から情報を得た千人隊長はパウロを護り、安全なカイザリアに護送する計画を立てた。

-使徒23:20-22「若者は言った。『ユダヤ人たちは、パウロのことをもっと詳しく調べるという口実で、明日パウロを最高法院に連れて来るようにと、あなたに願い出ることに決めています・・・彼らのうち四十人以上が、パウロを殺すまでは飲み食いしないと誓い、陰謀をたくらんでいるのです。そして、今その手はずを整えて、御承諾を待っているのです。』そこで千人隊長は、『このことを私に知らせたとは誰にも言うな』と命じて、若者を帰した。」

・パウロの生涯は試練の連続だった。しかし主は必ず救いの手を伸べられた。パウロは自らの体験を通じて、「耐えられない試練を神はお与えにならない」と信徒たちを励ましている。

-第一コリント10:13「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」

 

3.パウロ、カイザリアに監禁される

 

・千人隊長は、パウロをカイサリアにいる総督フェリクスのもとへ護送する。

-使徒23:23-25「千人隊長は百人隊長二人を呼び『今夜九時カイサリアへ出発できるように、歩兵二百名、騎兵七十名、補助兵二百名を準備せよ』と言った。また、馬を用意し、パウロを乗せて、総督フェリクスのもとへ無事に護送するように命じ・・・手紙を書いた。」

・千人隊長から総督への添状にはパウロを救出し、護送に至るまでの経過が記されていた。

-使徒23:26-30「『クラウディウス・リシアが総督フェリクス閣下に御挨拶申しあげます。この者がユダヤ人に捕えられ、殺されようとしていたのを、私は兵士たちを率いて救い出しました。ロ-マ帝国の市民権を持つ者であることが分かったからです。そして、告発されている理由を知ろうとして、最高法院へ連行しました。ところが彼が告発されているのは、ユダヤ人の律法に関する問題であって、死刑や投獄に相当する理由はないことが分かりました。しかし、この者に対する陰謀があるという報告を受けましたので、直ちに閣下のもとへ護送いたします。告発人たちには、この者に関する件を閣下に訴え出るようにと、命じておきました。』」

・ロ-マ兵たちは、パウロを護送してカイザリアへ送り届けた。

-使徒23:31-35「さて歩兵たちは、命令どおりにパウロを引き取って、夜のうちにアンテイパトリスまで連れて行き、翌日、騎兵たちに護送を任せて兵営へ戻った。騎兵たちはカイサリアに到着すると、手紙を総督に届け、パウロを引き渡した。総督は手紙を読んでから、パウロがどの州の出身であるかを尋ね、キリキア州の出身だと分かると、『お前を告発する者たちが到着してから、尋問する』と言った。そして、ヘロデの官邸にパウロを留置しておくように命じた。」

・パウロはローマ市民権を持つゆえに、ローマ軍により救済され、カイザリアに保護された。もし彼がローマ市民権を持っていなければ、彼はエルサレムで直ちに処刑されたであろう。神はローマ市民権を持つパウロに、ローマ帝国への福音宣教を委ねられた。

-ロ-マ15:17-19「そこで私は、神のために働くことをキリスト・イエスによって誇りに思っています。キリストが私を通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。キリストは異邦人を神に従わせるために、私の言葉と行いを通して、また、しるしや奇跡の力、神の霊の力によって働かれました。」

・パウロはこのカイザリアの牢獄で2年間の幽閉に耐えることになる。神のみ旨は必ず成就するが、それは人の思惑を超える故に、私たちの信仰が試される時でもある。パウロは獄中から、エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモンの四つの書簡を書いたとされる(獄中書簡)、どこの獄中で書いたかは不明だが、カイザリア説(56-58年幽閉)が有力である(59-61年幽閉のローマ説という可能性もある)。いずれにせよ、これまで多忙な伝道生活をしてきたパウロに考察の時が与えられ、パウロはこれを機会として諸教会への手紙を書き、それ等の手紙が今では新約聖書の中核を占めている。投獄という苦難さえも、信仰者には恵みとなる。主の言葉は必ず成就するが、それは人の思惑を超える故に、私たちの信仰が試される。

-使徒言行録24: 27「二年たって、フェリクスの後任者としてポルキウス・フェストゥスが赴任したが、フェリクスは、ユダヤ人に気に入られようとして、パウロを監禁したままにしておいた」。

・キリスト者はイエスが受難に会われたように、苦難に会う。中世の修道士トマス・ア・ケンピスは著書「キリストに倣いて」の中で、「試練や困難に合うことは、私たちにとって良いことだ」と語る。

-トマス・ア・ケンピス「キリストに倣いて」より。「時として試練や困難に合うことは、私たちにとって良いことです。何故ならそれによって、私たちは見習い中の身であり、この世のいかなるものにも希望を置くべきではないことを忘れずに済むからです。親切に、よかれと思ってしているにもかかわらず、人々から誤解されたり、反発に見舞われたりするのも良いことです。これらのことは、私たちがへりくだり、むなしい栄光から自らを守るのに役立つからです。表面上は誰からも認められない時、誰からもよく思われない時、そのような時こそ私たちは心をご覧になられる神を一層求めるようになります。ですから、人は人間からの慰めを必要としないですむように、神のなかに堅く根を張るべきです。」

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