江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2023年8月16日祈祷会(使徒言行録28:11-31、パウロのローマでの最後の日々)

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1.パウロ、ロ-マに入る

 

・パウロは囚人としてローマに移送され、無事ローマに着いた。

-使徒28:11-13「三か月後、私たちは、この島で冬を越していたアレクサンドリアの船に乗って出航した・・・私たちは、シラクサに寄港して三日間そこに滞在し、ここから海岸沿いに進み、レギオンに着いた。一日たつと南風が吹いて来たので、二日でプテオリに入港した。」

・パウロたちの船はローマの外港プテオリに入港した。そこから陸路でローマに向かったパウロたちをローマ教会の人々が迎えに来た。

-使徒28:14-15「私たちはそこで兄弟たちを見つけ、請われるままに七日間滞在した。こうして私たちはロ-マに着いた。ロ-マからは、兄弟たちが私たちのことを聞き伝えて、アビイフォルムとトレス・タベルネまで迎えに来てくれた。パウロは彼らを見て、神に感謝し、勇気づけたられた。」

・見ず知らずの者でも、同じ信仰を持つ者は仲間として迎えられる。イエスは新しい生き方を教えるために来て、新しい共同体(教会)を残してくれた。パウロは教会を「天の居留地」と呼ぶ。異質な王国のただ中にある島、拠点である。私たちは祖国を離れた異邦人、寄留者だが、この地上に多くの仲間がいる。

-フィリピ3:20「しかし、私たちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待っています」。

・ローマでパウロは軟禁され、外出は許されなかったが、外部の人と交わることは出来た。パウロはローマに着くと、早速当地のユダヤ人社会の主な人々との話し合いの時を持った。

-使徒28:16-17a「私たちがローマに入った時、パウロは番兵を一人つけられたが、自分だけで住むことを許された。三日の後、パウロは主だったユダヤ人たちを招いた」。

・パウロは集まってきたユダヤ人たちにこれまでの経緯を弁明した。

-使徒28:18-20「『兄弟たち、私は、民に対しても先祖の慣習に対しても、背くようなことは何一つしていないのに、エルサレムで囚人としてロ-マ人の手に引き渡されてしまいました。ロ-マ人は私を取り調べたのですが、死刑に相当する理由が何も無かったので、釈放しようと思ったのです。しかし、ユダヤ人が反対したので、私は皇帝に上訴せざるをえませんでした。これは決して同朋を告発するためではありません。だからこそ、お会いして話し合いたいと、あなたがたにお願いしたのです。イスラエルが希望していることのために、私はこのように鎖でつながれているのです。』」

・ユダヤ人たちは、とりあえずパウロの話を聞こうとした。パウロは神の国について朝から晩まで、力強く語り続けた。信じる者もいたが、多くの者はパウロの言葉を信じなかった。

-使徒28:23-24「そこで、ユダヤ人たちが日を決めて、パウロの宿舎にやって来た。パウロは朝から晩まで説明を続けた。神の国について力強く証しし、モ-セの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しょうとしたのである。ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとしなかった。」

・皇帝の裁判を受けるまでの二年間、パウロは自費で借りた家に住み、誰にも妨げられず自由に福音を語り続けた。

-使徒28:30-31「パウロは自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」

・フィリピ書はこのローマの獄中で書かれたとされている。そこには、パウロの影響を受けて、ローマの兵卒まで福音を信じるに至ったことが記されている。

-フィリピ1:12-14「私の身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。つまり、私が監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体・・・の人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、私の捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなく勇敢に、御言葉を語るようになったのです」。

 

2.その後のパウロ

 

・使徒言行録は28:31で突然終わり、その後のパウロがどうなったかは一切記されない。パウロは皇帝に上訴して、時の皇帝ネロの裁判を受ける身だ。その裁判の結果がどうであったのかについて、ルカは結末を知っているはずだ。拘留を「2年間」とする以上、その2年が終わった時、有罪とされて処刑されたのか、または無罪とされて釈放されたかを知っているはずだ。もし無罪となって釈放されたのであれば、その喜びをルカが報告しないことは考えられない。パウロは有罪判決を受けて処刑されたのであろう。ルカはそのことをこれまでの文脈の中で暗示してきた(使徒20:23-24、同21:13他)。

-使徒20:17-25「パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた・・・私は、"霊"に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とが私を待ち受けている・・・そして今、あなたがたが皆もう二度と私の顔を見ることがないと私には分かっています。私は、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです」。

 

3.使徒言行録の黙想

 

・イエスはエルサレムで処刑された。しかしその後にペテロやパウロが起こされ、イエスの福音を語り続けた。使徒たちもローマで処刑されたが、次に続く人々が「神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続け」た。やがて使徒たちの処刑地の上に教会が建てられ、それらの教会がキリスト教布教の中心になって行く。

・「イエスは処刑された。それにもかかわらず、この世界は根本から変わった」と私たちは信じる。ゲルト・タイセンは「イエス運動の社会学」という本を書き、イエスが来られて何が変わったのかを分析した。

-「イエスは、愛と和解のヴィジョンを説かれた。少数の人がこのヴィジョンを受け入れ、イエスのために死んでいった。その後も、このヴィジョンは、繰り返し、繰り返し、燃え上がった。いく人かの『キリストにある愚者』が、このヴィジョンに従って生きた」。

・キリストが来られることによって、「キリストにある愚者」が起こされた、それが最大の変化だとタイセンは語る。キリストにある愚者とは、「世の中が悪い、社会が悪いと不平を言うのではなく、自分には何が出来るのか、どうすればキリストが来られた恵みに応えることが出来るのかを考える」人たちだ。その愚者の一人パウロはローマで処刑された。しかし後継者たちは語ることを止めなかった。パウロの後継者たちの語りがエペソ書やテモテ書という「パウロの名による書簡」として残されている。福音はパウロの死を超えて語り継がれていった。

・イエスの後にペテロやパウロが起こされ、イエスの福音を語り続けた。使徒たちもローマで処刑されたが、次に続く人々が「神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続け」た。やがて使徒たちの処刑地の上に教会が建てられ、そのローマ教会がキリスト教の中心になって行く。どのような力も福音を沈黙させることは出来なかった。福音は「キリストの弟子」を作り続け、彼らが語り続けてきたからだ。そして今、私たちがその役割を継承して語り続けていく。使徒言行録は私たちによって書き続けられていくのである。

-中村博武・使徒言行録注解あとがき「使徒言行録は過去の物語である。それはこの世の支配の中で、信仰によってあるべき世界を呼び起こし、その世界を目指してきた人々の物語である。その背後に意味と一貫性を与えている活動主体は神である。この物語は復活の主が今も生きて働いていることを証しすることにより、私たちに新たな世界観を提示し、新たな現実を開示し、私たちの人生を変革する力を持つ」。

・大阪東教会・吉浦玲子牧師は語る「この物語は後のすべての信仰者へ向けた物語だ、なお地の果てにまで続く物語が続くのだ」。

-2021年5月30日主日礼拝説教から「2018年公開の映画に、「パウロ―愛と赦しの物語」がありました。この映画はローマでのパウロの最後の日々が描かれています。皇帝ネロによるキリスト教徒への残酷な迫害の中、最後は斬首刑となるパウロとそれを支えるルカの物語でした。ルカは、残される信徒たちのために使徒言行録を記そうとしています。獄中にいるパウロのところに忍び込んでルカはパウロと様々な話をします。そして書こうとしている使徒言行録の最期は「自費で借りた家に二年住んで、神の国を宣べ伝えた」ということにしようとルカはパウロに提案します。その場面でパウロもルカも和やかに語るのです」

-「使徒言行録はパウロの物語ではなく、使徒言行録を読む人々の物語なのだとルカは考えたのです。つまり、今ここにいる私たちの物語だと考えたのです。パウロが二年間自費で家を借りて宣教をした、そのあとに続く物語がある、地の果てにまで続く物語がある、それを意図して2000年前、ルカは使徒言行録をいったん閉じたのです。いったんルカは筆を置きましたが、さらに書き続けられる物語だとルカは考えたのです。「パウロは勇敢に殉教しました」で終わるとそれはパウロの物語になります。しかしそうではない、この物語は後のすべての信仰者へ向けた物語なのだ、なお地の果てにまで続く物語が続くのだとルカは私たちに語りかけています」

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