江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2022年9月28日祈祷会(ルカ16:1-18、不正な管理人の譬え)

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1.「不正な管理人」の譬え

 

・ルカ16章前半では、「不正な管理人の譬え」が語られる。「富と信仰のありかた」を問う譬えである。不正を行い、主人から解雇を通告された管理人がどうしたのかが語られている。

-ルカ16:1-2「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄使いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない』」。

・当時、エルサレム等の都市に住む資産家たち(祭司や貴族たちの不在地主)が地方の農地を所有し、小作人に耕作させ、小作料管理のために管理人を置いていた。問題の管理人は主人の資産の一部を着服し、ずさんな運用で主人に損失を与えており、誰かがその事実を主人に告げた。主人は彼を解雇し、管理人は解雇通知を受けてこれからどうしようかと考える。

-ルカ16:3「管理人は考えた。『どうしようか。主人は私から管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。』」

・彼には肉体労働を行う体力もないし、物乞いするのは管理人のプライドが許さない。追い込まれた彼は自分に委託されていた主人の金を用いて人々に恩を売り、解雇後の生活のめどを立てようとした。

-ルカ16:4-7「『そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ』。そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に『私の主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい』。また別の人には『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい』」。

・油100パトスはオリーブ油100樽、金額にすれば1000デナリオンになる(1デナリオンは当時の労働者の一日分の賃金、1000デナリオンは今日の1千万円に相当する)。小麦100コロスは小麦100石であり、価格的には2500デナリオン(同2千5百万円)になる。いずれもかなりの金額である。管理人は小作料を減免し、小作人に恩を売ろうとした。主人は管理人の行動を知り、それを叱るのではなく、ほめた。何故ほめたのか、それが譬えの意味を解読する中心点だ。

-ルカ16:8「主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。」

・不正な管理人は使い込みと借用書の改ざんで、主人に二重の損害を与えた。主人は当然怒るかと思いきや彼を褒めた。主人は彼の悪行を褒めたのではなく、不正な管理人の「毒食わば皿まで食う図太さ」と、「転んでもただでは起きないしたたかさ」に、半ば驚き、怒りを忘れて、感嘆した。光の子ら(イエスの弟子たち)は、この不正な管理人のしたたかさから学ぶべきであるとイエスは語られる。

・同志社大学・村山盛葦は語る「主人の視点に立てば管理人は不正であるが、不在地主の強欲に苦しめられている立場からすれば、管理人は称賛される」。不在地主の強欲こそ不正なのであるという視点は大切なことだ。

-村山論文から「譬えの聴衆の多くは、地主から土地を借り、農業を営む貧しい小作人であった。彼らは借地料として、一定額の穀物、金銭、あるいは収穫の一定割合を地主に支払う必要があった…日ごろから地主に虐げられている聞き手たちは、主人への敵意と同時に、窮地に追い込まれた管理人に対して同情を抱いたであろう。また自己防衛を講じる管理人を支持したであろう…主人の意向に反して借金を大幅に減額してくれる管理人は、聞き手である貧農小作人にとっては痛快なヒーローと映ったであろう。」(「不正な管理人のたとえ」、同志社大学神学部・基督教研究76巻、2014年6月)。

 

2.譬えの解釈

 

・イエスは不正な管理人をほめられた。9節以降はそれに対するルカの補足の言葉であろう。管理人は不正を行っても、残されたわずかな時を有効に用いて解雇に備えて「賢い」行動をとった。人間も神に対して、「どう生きたか」の決算報告書を出さねばならない。この管理人の熱心さは称賛に値するとルカは語る。

-ルカ16:9「そこで、私は言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなった時、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。」

・ここで富を形成する手段が正しいか不正であるかは問われていない。問題はその富をどのように用いるかであり、隣人のために用いた時、その行為は称賛される。不正な管理人は、結果的に、小作人たちの負担を軽減した。

-ルカ16:10-12「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。」

・不正な管理人が主人の金を使って友人を作り、失業した時その友人に受け入れてもらえるのだとしたら、正しい者はなおのこと自分の金で友人を作り、神が天国へ招いてくださるようにすべきである。この世の富はその人のものではなく、神から貸し与えられているのだから、それをどう用いるかによって、その人は試される。イエスは言われる「あなたがたは神と富(マモン)に同時に仕えることはできない。イエスは富を絶対的な価値として追求する生き方を、「マモンという偽りの神に仕える」として排除される。

-ルカ16:13「どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

・これは経済活動の排除ではない、経済的な成果(富)を求めるあまり、人間の尊厳を損なう生き方が排除されている。1944年、ILOは「労働は商品ではない」と宣言した。それにも関わらず、「労働」があたかも「商品」であるかのように商取引の対象となり、使い捨てられ、摩滅させられている現実がある。現在はパート・アルバイト、派遣社員、契約社員など非正規雇用の拡大の中で、雇用が不安定化し、経営者は彼らを、使いたい時に使い、切りたい時に切れる「商品」とみなしている。また正規労働者においても、多くが労働時間や職場環境の面で過酷な状況におかれ、「肉体」や「人格」が傷つけられ、その結果、「過労死・過労自殺」が多発している。「労働力は商品であるが、労働者は商品ではない」。それを忘れた時、労働は奴隷労働になってしまう」(石田眞・早稲田商学、2011年3月)。

 

3.この物語をどう読むか

 

・イエスが語られた不正な管理人の譬え聞いていたファリサイ派の人々は嘲笑した。ファリサイ人にとって富は神が与えた祝福だった。ファリサイ人は、物質的繁栄は善行の報いと信じ、誇りにしていた。今日ペンテコステ派が中南米やアフリカを中心に伸びているが、その基本は「繁栄の神学と癒し」である。人間は信仰に見返りを求める。繁栄の神学とは「信仰する者には健康面と経済面で神の豊かな祝福が臨む」とする教えであり、ご利益宗教的な色彩が強い。しかしこれこそが人々の求めているものであり、だからこそ人気を呼ぶ。ファリサイ人も同じ立場に立っていた。イエスはそのような教えを退けられた。

-ルカ16:14-15「金に執着するファリサイ派の人々が、この一部始終を聞いて、イエスをあざ笑った。そこで、イエスは言われた『あなたたちは人に自分の正しさを見せびらかすが、神はあなたたちの心をご存じである。人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われるものだ』」。

・管理人は主人から解雇されそうになった時、これからのことを真剣に考え、残された可能性をフルに活用して何とか生き残ろうとした。世の子らのこの熱心さこそ、光の子らは学ぶべきなのだ。この世の子らは金や地位を求めて熱心に活動する。あなたが同じ熱心さを持って神の国を求めたらどんなに良いだろう。あなたは庭いじりやスポーツや趣味に多くのお金と時間を払うが、教会のためには小さなお金と時間しか払わない。あなたは自分の仕事のために多くの時間と関心を払うが、自分の魂のためにはそれだけの時間と関心を払わない。何故なのか。蛇のように、世の子らのように熱心に、鳩のように、光の子のように素直に神の国を求めよ。

・物を所有する。財産を持つ。それ自体はなんら罪ではないが、大きな責任を伴っている。イエスは言われる「あなたがこの世で所有しているものは本当にはあなたの物でなく、あなたに委託されたものだ。死んだ時、あなたはそれを持っていくことが出来ない。それはただあなたに貸与されているだけであり、あなたはそれを管理する管理人なのだ。それは、その性質からいって、永久にはあなたのものになれないものだ。他方、天国においては、永遠に、本質的にあなたのものになるものを与えられるだろう。しかし、天国で何を得るかは、あなたが地上のものをどう用いるかにかかっている。あなたがこの地上において託されたもの(小さな事=ルカ16:10)に忠実であれば、父なる神は天上において永遠の命(大きなこと=同上)を任せて下さるだろう」と(W.・バークレーの注釈より)。

-ペテロ第一4:10「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい」。

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