1.ピラトに引き渡される
・イエスは初めに最高法院で律法により裁かれ、続いてローマ総督ピラトに渡され、ロ-マ法で裁かれた。植民地の自治機関である最高法院には死刑の実行権はなく、死刑にするためにはロ-マの法律で裁く必要があった。
-マタイ27:1-2「夜が明けると、祭司長と民の長老たち一同は、イエスを殺そうと相談した。そしてイエスを縛って引いて行き、総督ピラトに渡した。」
・ピラトはイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋ねた。イエスにかけられた神殿冒涜罪は、ユダヤ人の宗教問題に過ぎず、ローマにとってはイエスが「帝国に反逆したのか」が問題だった。祭司長や長老たちがイエスを訴えている間、イエスは沈黙を続けられた。
-マタイ27:11-12「さて、イエスは総督の前に立たされた。総督がイエスに、『お前がユダヤ人の王なのか』と尋問すると、イエスは、『それは、あなたが言っていることです』と言われた。祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これに何もお答えにならなかった。」
・ピラトはイエスに反逆行為を認めず、彼を無罪放免にしょうと考えていた。彼は不利な証言に対して弁明するようイエスに勧めたが、イエスは何も語られない。
-マタイ27:13-14「するとピラトは、『あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか』と言った。それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った。」
・イエスは裁判の中で一言も弁明されなかった。祭司長たちの罪も、ピラトの罪も、民衆の罪も皆自分で負われるつもりだったからだ。愛とは、何も言わず相手の重荷を負うことである。
-イザヤ53:11-12「彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。私の僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った。それゆえ、私は多くの人を彼の取り分とし、彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのはこの人であった。」
2.ユダ自殺する
・ユダはイエス逮捕に協力した。しかし、祭司長らがイエスをロ-マ総督ピラトに引き渡すに及んで、自分が彼らに利用され、イエスを売り渡したことを後悔した。ユダはイエスを売って得た銀貨を祭司長たちに返そうとしたが拒否された。ユダは神殿に銀貨を投げ込み、首をくくって死んだ。
-マタイ27:3-5「そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、『私は罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました。』と言った。しかし彼らは、『我々の知ったことではない。お前の問題だ。』と言った。そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ちさり、首をつって死んだ。」
・ユダが投げ込んだ銀貨は祭儀的に汚れた金であり、神殿の収入にはできなかった。祭司長らは相談し、陶器職人の畑を購入し、外国人墓地にすることに決めた。
-マタイ27:6-7「祭司長たちは銀貨を拾い上げて、『これは血の代金だから、神殿の収入にするわけにはいかない。』と言い、相談のうえ、その金で『陶器職人の畑』を買い、外国人の墓地にすることにした。このため、この畑は今日まで『血の畑』と言われている。」
・ペテロもイエスを裏切ったが、やがて弟子団の指導者となった。他方、ユダは首をくくって死んだ。ユダとペテロは何が違ったのか、二人は同じように罪を犯した。ユダはお金を返そうとしたが、「それは我々の知ったことではない。お前の問題だ」と突き放され、自己責任で対応するように求められ、自殺を選んだ。ペテロと異なり、彼には帰るべき家(ホーム)がなかった。他方、ペテロは外に出て泣き、赦しを求めて、仲間のところへ戻った。ユダの問題はキリストを裏切ったことではなく、キリストのところに戻ることが出来なかった、群れに戻れなかったことだ。この差が二人の人生を変えた。
―第二コリント7:10「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。」
3.死刑判決を受ける
・ピラトは祭司長らの一方的な証言だけで、判決を下すことはできず、困惑した。その上、妻が「あの正しい人に関係しないでください」と言っている。困惑するピラトに事態解決の考えが浮かんだ。それは祭りの度に行われる裁判で、釈放する罪人を一人民衆に選ばせる定めだった。彼は集まった群衆に問いかけた「どちらを許したいか。バラバ・イエスか。メシアと呼ばれるイエスか。」
-マタイ27:15-19「ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。そのころバラバ・イエスという評判の囚人がいた。ピラトは人々が集まって来た時に言った『どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。』人々がイエスを引きき渡したのは、妬みのためと分かっていたからである。一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった『あの正しい人に関係しないでください。その人のことで昨夜、夢で苦しめられました。』」
・祭司長らは「バラバを釈放してイエスを死刑にする」ように群衆を扇動した。ピラトが群衆に「二人のうちどちらを釈放してほしいか」と問うと、彼らは「バラバを」と叫び、「イエスを十字架につけろ」と叫んだ。興奮して理性をなくした群衆からは何の答えもなかった。
-マタイ27:20-23「しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑にするようにと群衆を説得した。そこで、総督が『二人のうち、どちらを釈放してほしいのか』と言うと、人々は『バラバを』と言った。ピラトが『では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか』と言うと、皆は『十字架につけろ』と言った。ピラトは『いったいどんな悪事を働いたというのか』と言ったが、群衆はますます激しく、『十字架につけろ』と叫び続けた。」
・ピラトは興奮した群衆が暴動を起こしかねないので、それ以上群衆に問うのを止め、群衆の前で手を洗い、「この人の死については、私には責任はない。責任はお前たちにある。」と言った。ピラトは責任を回避した。興奮した群衆は、「責任は我々と、我々の子孫にある」と叫んだ。
-マタイ27:24-26「ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った『この人の血について、私には責任がない。お前たちの問題だ。』民はこぞって答えた『その血の責任は、我々と子孫にある。』そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるため引き渡した」。
- 「その血の責任は我々にある」と叫ばせたマタイの記述
・マタイはイエス処刑の際に、民衆(ユダヤ人)に「その血の責任は、我々と子孫にある」言わせた。それは時の政権ローマ帝国への護教的配慮のためであり、同時にマタイの教会がユダヤ人教会から激しい弾圧を受けて来た歴史的事情もそこにあろう。しかし、そのために、後世のユダヤ人迫害の口実が生まれた。ユダヤ人聖書学者モンテフィオーレはこの個所がその後のユダヤ人迫害の根拠とされたと告発する。ナチスのユダヤ人虐殺(ホローコスト)もその延長線上にある。
-モンテフィオーレ・恐るべき発明から「福音書記者マタイがイスラエルの民に向けた激しい憎悪を見よ。民族全体がここに居合わせていることになっている。キリスト教的支配者や諸国民が、ユダヤ人の上に加えて来た残虐非道の行為はここに由来したのだが、ユダヤ人が自らこれを呼び込んだとされている。人間の血が洪水のように流され、悲惨と荒廃が絶え間なく続くという事態を招いた言葉の一つはこれである」。
・同時に、イエスを殺したのは祭司長でなくピラトでもなく、エルサレム入城でイエスを歓呼して迎えた民衆であったとマタイはここに記す。水野源三は次のような詩を残している。
-水野源三「ナザレのイエスを十字架にかけよと要求した人、許可した人、執行した人、それらの中に私がいる」。
・同じ信仰がゴスペルソング「君もそこにいたのか」にある。「私もそこにいた」と認識する時、イエスの十字架は、私の出来事になる。
-君もそこにいたのか「君もそこにいたのか、主が十字架につく時、ああ、なんだか心が震える、震える、君もそこにいたのか」。