1.兵士から侮辱され、十字架につけられる
・死刑判決を受けたイエスは、総督の兵士たちにより官邸へ連行された。兵士たちはイエスを取り囲み、ユダヤ人の王に見立てて侮辱した。王衣に見立てた赤い外套を着せ、王冠として茨の冠を頭に載せ、王笏に見立てた葦の棒を持たせ、跪き、「ユダヤ人の王万歳」と叫んだ。
-マタイ27:27-31「それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸へ連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、『ユダヤ人の王、万歳』と言って侮辱した。また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて、頭を叩き続けた。このようにイエスを散々侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いていった。」
・十字架刑を宣告された囚人は、十字架の横棒を担がされて、刑場まで歩いて行く。イエスは徹夜で調べられ、鞭打たれ、疲れていた。彼は十字架を担ぐことが出来ず、兵士たちは、通りかかったキレネ人シモンに、むりやり十字架を担がせた。
-マタイ27:32「兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理にかつがせた。」
・イエスの十字架を代りに背負った人の名が明記され、その出身地まで記されていることは、シモンが教会の人々に知られていた信徒であったことを示す。マルコは子供たちの名前(アレクサンドロとルフォス)も記している。シモンは十字架を無理やりに背負わされ、イエスの十字架死を目撃し、そのことが契機となって、彼は信仰に入り、妻や息子たちも信徒になった事が推測される。「強いられた恵み」である。
-マルコ15:21「そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた」。
-ローマ16:13「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女は私にとっても母なのです」。
・処刑場はゴルゴタ(されこうべ)と呼ばれた丘の上だった。刑場に着くとイエスは手の平に釘を打ち込んで十字架につけられ、痛みを和らげるため、ぶどう酒を与えられた。兵士たちはイエスを十字架に付けた後、剥ぎ取ったイエスの着衣をくじ引きで分配した。現在この跡地には、聖墳墓教会が立てられている。
-マタイ27:33-36「そして、ゴルゴタという所、すなわち『されこうべの場所』へ着くと、苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分けあい、そこに座って見張りをしていた。」
・イエスの頭上には「ユダヤ人の王イエス」と書かれていた。二人の強盗がイエスの両隣の十字架に架けられた。処刑を見に来た人々はイエスを揶揄し、嘲笑した。
-マタイ27:37-40「イエスの頭の上には『これはユダヤ人の王イエスである』と書いた罪状書きを掲げた。折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスを罵って言った。『神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。』」
・ユダヤ教指導者たちもまたイエスを口汚く罵った。
-マタイ27:41-44「同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。『他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。「私は神の子だ」と言っていたのだから。』一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスを罵った。」
・兵士たちはイエスを十字架につけ、その服を分け合い、見物していた人々は頭を振って、「神の子なら神に救ってもらえ」と罵った。マタイの記述の背景には詩篇22編が流れている。
-詩篇22:8-19「私を見る人は皆、私を嘲笑い、唇を突き出し、頭を振る。『主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら助けてくださるだろう』・・・ 犬どもが私を取り囲み、さいなむ者が群がって私を囲み・・・骨が数えられる程になった私のからだを、彼らはさらしものにして眺め、私の着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く」。
2.イエスの死
・イエスが十字架に付けられたのは朝の九時ごろだった(マルコ15:25)。十二時を過ぎると天地が暗くなり、三時ごろイエスは大声で叫んだ。マタイはイエスが「わが神(エリ)、わが神(エリ)、なぜ(レマ)、私をお見捨てになったのですか(サバクタニ)」と叫んだと記述する。「エリ、エリ」というイエスの叫びを、兵士たちはイエスが「預言者エリヤを呼んでいる」と誤解した。
-マタイ27:45-47「さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』。これは、『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』という意味である。そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、『この人はエリヤを呼んでいる』と言う者もいた。」
・兵士の一人が海綿に含ませた酸いぶどう酒をイエスに差し出そうしたが、他の兵士たちが「エリヤが助けに来るかどうか、少し待て」と制止した。
-マタイ27:48-50「そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けてイエスに飲ませようとした。ほかの人々は、『待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見てみよう』と言った。しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。」
・神はイエスと共におられた。マタイは詩篇22編を引用することによってそれを主張する。
―詩篇22:1-5「わが神、わが神、なにゆえ私を捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れて私を助けず、私の嘆きの言葉を聞かれないのですか。わが神よ、私が昼呼ばわっても、あなたは答えられず、夜呼ばわっても平安を得ません。しかしイスラエルの讃美の上に座しておられるあなたは聖なるお方です・・・ 彼らはあなたに呼ばわって救われ、あなたに信頼して恥をうけなかったのです」。
3.イエスの死の後で
・マタイは、イエスが息を引き取った時、三つの出来事が起こったと記している。最初は「神殿の垂れ幕が二つに裂けた」ことである。神殿の垂れ幕は至聖所において聖界と俗界を隔てた幕であるが、イエスの犠牲の死で神殿犠牲が無意味になったことを象徴している。二番目の「地震」は神の裁きを意味する。三番目の「聖徒の復活」は終末の到来を象徴している。いずれも実際に起きた史実ではなく、マタイ独特のイエスの死に対する象徴的解釈とされる。
-マタイ27:51-53「そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そしてイエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。」
・弟子たちは逃げ去っていた。神は何の救済行為をもされなかった。イエスは神と人の見捨ての中で死んでいかれた。しかし処刑を指揮したローマの百卒長は、「この人は神の子であった」と告白する。
-マタイ27:54「百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、『本当にこの人々は神の子だった』と言った。」
・大勢の女性たちがイエスの処刑を遠くから見守った。イエスが逮捕され、男の弟子たちが逃げ去った後も彼女たちはイエスを見守り、この婦人たちが復活の証人となる。闇の中にわずかな光が残されていた。
-マタイ27:55-56「またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従って来て世話をしていた人々である。その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。」
・当時のユダヤでは毎日のように十字架の処刑が為されていた。イエスの死も数多い処刑の一つであり、それが歴史を変える出来事になるとは誰も思わなかった。無意味な、惨めな死であった。その意味が変わったのはイエスの復活の後であった。初代教会は、イザヤ書「苦難の僕」の中に、イエスを見出した。
-イザヤ53:4-5「彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、私たちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは私たちの咎のためであった」。
・聖書学者大貫隆は、弟子たちがイエスの死の意味をイザヤ53章「苦難の僕」の中に見出したと述べる。
-大貫隆「イエスという経験」「イエス処刑後に残された者たちは必死でイエスの残酷な刑死の意味を問い続けていたに違いない。その導きの糸になり得たのは聖書(旧約)であった。聖書の光を照らされて、今や謎と見えたイエスの刑死が、実は神の永遠の救済計画の中に初めから含まれ、聖書で預言されていた出来事として了解し直されるのである。彼らはイザヤ53章を『イエスの刑死をあらかじめ指し示していた預言』として読み直し、イエスの死を贖罪死として受け取り直した」。