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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2021年12月8日祈祷会(マタイ23:29-39、義人の殺害)

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2021年12月8日祈祷会(マタイ23:29-39、義人の殺害)

 

1.蝮の子と批判されるファリサイ人たち

 

・マタイは23章前半でファリサイ人らの罪を列記し、後半ではその締めくくりとして預言者殺害の歴史を記す。ファリサイ人たちは預言者の墓を建て、義人の碑を祭ったが、それが自己欺瞞だと告発される。歴代の預言者は王の悪政を批判し、それに追随する宗教者の欺瞞を告発した。ユダヤの歴史は預言者や義人の血を流した歴史である(イザヤはのこぎりで首を引かれ、エレミヤは石打ちの刑で殺された)。

-ヘブル11:37-38「彼らは石で打ち殺され、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊の皮や山羊の皮を着て放浪し、暮らしに事欠き、苦しめられ、虐待され、荒れ野、山、岩穴、地の割れ目をさまよい歩きました。世は彼らにふさわしくなかったのです」。

・律法学者やファリサイ人は殉教者の墓を建て、記念碑を飾りたてた。しかし、イエスは彼らに言われた「あなたたちこそ、預言者を殺した者の子孫であり、先祖の悪事の仕上げをしている」と。

-マタイ23:29-32「律法学者とファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。そして、『もし、先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。こうして、自分が預言者を殺した者の子孫であることを自ら証明している。先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。」

・イエスはユダヤ教指導者を「蝮の子らよ」と呼び、「地獄の罰を免れない」と宣言したとマタイは記す。彼らが地獄の罰を免れないのは、遣わされた預言者、知者、学者らを迫害し、会堂で鞭打ち、殺した報いである。そして今、神から遣わされたイエスを殺そうとしている(先祖が始めた悪事の仕上げをする)。

-マタイ23:33「蛇よ、蝮の子らよ。どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか」。

・次の34節は復活された主が派遣された福音の伝道者たちを、ファリサイ派の人たちが迫害する出来事を告発している。イエスの弟子たちは、異端とされ、各地で激しい迫害を受けた。当然にイエスの言葉というよりもマタイ教会の弾劾の言葉であろう。

-マタイ23:34「だから、私は預言者、知者、学者をあなたたちに遣わすが、あなたたちはその中のある者を殺し、十字架につけ、ある者を会堂で鞭打ち、町から町へと追い回して迫害する。」

・35節以下では、「アベルからゼカルヤに至るまで正しい人の血が流された」と指摘される。アベルはカインにより殺され、ゼカルヤは祭司長たちから殺されている(歴代誌下24:20-22)。「その血の責任はすべて今の時代の者にふりかかる」、ユダヤ戦争によるエルサレム滅亡は、預言者たちを殺し続け、最後はメシアたるキリストを殺したユダヤ人の罪の故だとマタイは主張する。

-マタイ23:35-36「こうして、正しい人アベルの血から、あなたたちが聖所と祭壇の間で殺したバラキヤの子ゼカルヤの血に至るまで、地上に流された正しい人の血はすべてあなたたちにふりかかってくる、はっきり言っておく。これらのことの結果はすべて、今の時代の者たちにふりかかってくる。」

・イエスはユダヤ教指導者を「蝮の子らよ」(23:34)と呼び、「地獄の罰を免れない」と宣言したとマタイは記すが、この言葉はイエスに由来するのであろうか。蝮の子らよという言葉はサタンの一族との意味であり、最終的断罪の言葉である。十字架上で、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)と言われたイエスの言葉と真っ向から対立する。おそらくはユダヤ教会からの迫害の中にあった初代教会の呪詛の言葉であろうと市川喜一は語る。

-市川喜一著作集から「キリスト教の歴史の中で長らく、神の言葉である聖書(新約聖書)がユダヤ教を断罪しているのであるから、ユダヤ教徒(ユダヤ人)は呪われた者であり、キリスト教徒の交わりに入ってはならない、という考え方が底流となって、キリスト教世界におけるユダヤ人迫害が行われた。聖書の文言はあくまで、その言葉が出てきた歴史的状況に置いて、問われなければならない」。

 

2.イエスがエルサレムのために嘆く

 

・エルサレムは、神が遣わす預言者を受け入れず殺し、悔い改めなかった。神はエルサレムを見捨てず、イエスを遣わし、限りない忍耐をもってエルサレムの回心を待たれた。しかし、エルサレムは神の求めに応じようとしなかった。イエスは言われた「私は何度もあなたたちを救おうとしたが、あなたたちは応じようともしなかった。この後、エルサレムは荒れ果てるであろう」と。

-マタイ23:37-38「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ。めん鳥が雛を羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる」。

・しかし滅亡預言の後には回復が預言される。終わりの日にはユダヤ人も再び神の民になるであろうと。イエスは決してユダヤ人たちを見捨てられなかった。

-マタイ23:39「言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決して私を見ることがない」。

・パウロも、「ユダヤ人は一旦捨てられたが、やがて救済される」との希望を述べる。

-ローマ11:25-27「次のような秘められた計画をぜひ知ってもらいたい。すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、こうして全イスラエルが救われるということです。次のように書いてある通りです。『救う方がシオンから来て、ヤコブから不信心を遠ざける』。これこそ、私が、彼らの罪を取り除く時に、彼らと結ぶ私の契約である。」

 

3.マタイ23章をどのように読むか(市川喜一著作集から)

 

・紀元70年のエルサレム神殿崩壊後のマタイの時代には、祭司階級や他の派は消滅し、ファリサイ派だけが神殿なき後のユダヤ教の再建を担っていた。最高法院に代わってユダヤ教を指導した律法学者たちはみなファリサイ派だった。そのため、マタイにおいては「律法学者とファリサイ派」はいつも一組で現れ、一体として扱われる。この時代に彼らは、イエスを信じるユダヤ人キリスト者を異端として追求するようになり、公式の祈りにその絶滅を祈る言葉を加えるに至った。このユダヤ教会堂からのキリスト者迫害に対して、マタイも激しい言葉で対抗する。マタイは自分たちに対立し、迫害するユダヤ教会堂の代表者たるファリサイ人に対して、伝えられた語録を集め、さらに激しい文言を書き加えて、この律法学者・ファリサイ派弾劾の語録集(23章)を形成した。
・エルサレム神殿の崩壊は、教団の側では、イエスを殺したことに対する神の裁きと理解され、ユダヤ教指導層は神に断罪されたのだという確信になっていく。そして、ユダヤ教会堂がイエスを信じる者を公式に異端としたことは、マタイの共同体などユダヤ人キリスト教徒が、会堂とは一切の関わりを断ち、外に出て行かざるをえないようにした。このような状況がマタイにファリサイ派断罪語録集を造らせた。

・マタイ23章は、イエスをメシアと信じるユダヤ人キリスト者と、その信仰を異端とするユダヤ教指導者との間の論争集であり、マタイ教会がユダヤ教徒を「地獄の子」と断定したからといって、ユダヤ教の外にいる者がユダヤ教徒全体を「地獄の子」と断罪することは、大きな筋違いである。歴史的状況を捨象して、書かれた言葉だけを絶対化すると間違いを犯しかねない(ファンダメンタリズムの誤り)。私たちが学問的成果を尊重しながら、聖書解釈を追求しているのもこのためである。

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