江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2021年1月20日祈祷会(マタイ5:13-20、地の塩、世の光)

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1.地の塩、世の光

 

・イエスは人びとに語られた「あなたがたは地の塩であり、あなたがたは世の光である」。塩は生活に不可欠なものであり、塩がなければ食物は腐るし、塩を入れない料理はおいしくない。イエスは「あなたがたはこの世において、そのような塩の働きをする。この世にしっかりとした味付けをし、また世の腐敗を防ぐ役割をする」と言われている。

-マタイ5:13「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである」。

・私たちはイエスの言葉の時制に留意する必要がある。イエスは「あなたがたは塩になりなさい」という命令形ではなく、「あなたがたは地の塩である」と現在形で語られている。私に出会ったあなたがたは既に塩なのだ、だから塩になろうとするのではなく、塩の本質である「塩気を失うな」と警告されている。

・パレスチナの塩は死海で取れるが、死海の塩は多くの不純物を含み、水分を吸うと塩が溶け、ただの塊になってしまう。だから「塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである」と語られる。あなたがたの中にある不純物(世に対する煩い)があなたがたを侵食して塩気をなくさせる。もしあなたがたが世の人と同じ価値観に生き、この世に埋没したならば、あなたがたは塩としての役割を失うとの警告である。

・光は闇を照らし、ものの形を明らかにする。「あなたがたは、この世の闇を照らす光であり、あなたがたによってこの社会は明るくなる」と言われている。聞く私たちは困惑する。私たちは、「世の光」といえるような立派な生き方はしていない。

-マタイ5:14-15「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである」。

・福音を聞いたあなたがたは、既に神の光を反射し、暗闇を照らす者となったのに、その明かりを隠したら何の役にも立たないと言われる。「山の上にある町は隠れることが出来ない」(5:14b)、エルサレムはシオンの山の上に立てられ、遠くからでも見ることが出来た。同じようにキリスト者は隠れることなく、自分がイエスに従う者であることを明らかにせよと語られている。「ともし火をともして升の下に置く者はいない」(5:15)。明かりをいただいたのに、それを隠すことをするな、隠れたままでは弟子になることはできない、「キリスト者であることを恥じるな、隠すな」と語られる。

-マタイ5:16「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

 

2.人々はこの言葉をどう聞いたか

 

・イエスの言葉は多くの人たちに行為を迫った。ある人は、「地の塩になる」とは、社会の腐敗や不正を指摘し、社会を良くしていくことだと思った。戦前のクリスチャンたちはそう考え、社会改革運動に乗り出して行く。賀川豊彦は貧しい人々も連帯すれば豊かになれると考え、消費生活運動や共済運動に力を入れた。海外の宣教団体は教育や医療を通じて世の光になろうとして、ミッションスクールや病院を建設して行った。それらは、時代が経るに従い、聖書的理想が失われ、世俗化していく。賀川が創設した農業協同組合はやがて権益を追求する圧力団体になり、ミッションスクールは名門校になり、受験生を生むが回心者を生む場所ではなくなった。

・別の人々は、「世の光になる」とは伝道に励むことだと考えた。教会の本来の役割は伝道であり、伝道が実を結び、クリスチャンの数が増えていけば、この世は良くなり、地の塩、世の光としての役目を教会は果たすと考えた。しかし、クリスチャンの数が増えても世の中は良くならなかった。アメリカはキリスト教を建国の理念に据えたキリスト教国だが、同時にベトナム戦争やイラク・アフガン戦争を主導した戦争大国である。またクリスチャンが人口の三割を超える韓国が神の国とは思えない。そう考えると、クリスチャンの数を増やすことが、求められているわけではない。

・アメリカでは「丘の上の町」(マタイ5:14)という言葉が、特別の意味を持った。アメリカ建国の指導者ジョン・ウィンスロップは、英国から新大陸を目指す船上で、「丘の上の町」と題する説教を行った。「主が『ニューイングランドの植民地を造られた』と人々が言うようになる時、イスラエルの神が私たちの間におられることを知るであろう。そのために我々は、全ての人々の目が注がれる『丘の上の町』とならなければならない」。アメリカ建国の父祖たちは、「自分たちが世の光となり、新しい土地で神の国、丘の上の町をつくり、全世界の人々の手本となって神の栄光を世に示そう」とした。

・ウィンスロップの説教から400年後の今日、建国の理想は、アメリカ社会に生き続けている。1961年ジョン・F・ケネディは、大統領就任演説で述べる「今日、全ての人々の目はまさに私たちに注がれている。政府の全ての機関は、連邦、州、各自治体の全てのレベルにおいて、『丘の上の町』とならなければならない」。2011年にオバマ大統領は一般教書演説の中で語る「アメリカが世界のリーダーシップをとり続け、単なる地図上の国でなく、『世の光』であり続けられるかどうか、そのすべてが我々の手にかかっている」。「私たちには世に対して果たすべき使命がある」というアメリカ建国の理想は、時の経過と共に、理想が色あせ、腐敗していくが、このような理想を持って国が建てられたのは事実である。

 

3.私たちはどう聞くのか

 

・イエスに「地の塩、世の光」と呼びかけられた人々は、社会の有力者でもなく、信仰のあつい人々でもなく、普通のあるいは普通以下の、社会的影響力を持たない人たちだった。貧乏人や罪人として、社会から差別され、疎外され、「ののしられ、迫害され、悪口を浴びせられる」人たちだった。その彼らが、イエスによって無条件に迎え入れられ、心身の病から癒され、今、イエスの周りに集められている。「地の塩、世の光」という呼びかけは、「迫害や差別に苦しむあなたがたは幸いだ」という言葉に続いている。「世から排除されて来たあなたがたこそが、まさに地の塩であり、世の光である」と語られている。

-マタイ5:11-12「私のためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられる時、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」。

・イエスは言われる「あなた方は貧しい。しかし貧しいからこそ幸いなのだ」。貧しい人は、「明日も食べ物を与えてください」と神に祈ってから床に就き、翌日、食べ物が与えられた時には、養って下さった神に感謝する。豊かな人は、食べ物があるのは当然であり、感謝は生まれない。イエスは言われる「あなたがたは悲しんでいる。悲しむ人こそ幸いだ」。自分が悲しんでこそ、他者の悲しみがわかる。自分の子が不登校になって、おろおろして、カウンセリングを受け、親の会に導かれ、悩みを分かち合うことを通して助けられ、次には自分が助ける者となる。喜んでいる人は自分の喜びしか見えないから、悲しむ人こそ幸いなのだ。世の価値観と異なる価値観を持つ私たちは世から排斥され、常に少数者だ。それで良い、それこそが「塩味」なのだとイエスは語られる。

・「あなたがた」とは、説教を聞いている弟子たちであり、群集であり、私たちだ。塩が塩として働く時、その形は溶けてなくなる。光は自分のために輝くのではなく、相手を照らすために輝く。塩であり、光であることは、自分がなくなって相手を生かす存在になることだ。

-ヨハネ12:24-25「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」。

・地の塩、世の光であるとは、立派な人になって、その行為で周りを感化することではなく、社会を改革するために熱心に行為することでもなく、私たちが悲しむ人を慰め、苦しんでいる人を励ますことが出来る存在であった時、既に「地の塩、世の光」となっている。「あなたがたは既に地の塩、世の光なのだ。だから塩味を失うな、明かりを隠すな。あなた方の存在がこの社会に必要なのだ」と励まされている。

-ローマ12:15「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」。

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