1.六つの封印が解かれる
・ヨハネ黙示録は紀元95年頃、ドミティアヌス帝時代にパトモス島に流刑になっているヨハネが見た幻である。ヨハネは霊に導かれて天に上った。彼がそこで見たのは、玉座に座る神であり、その手には、これから起こることを記した巻物が握られていたが、それは七つの封印で封じられていた。ヨハネの時代、キリスト教徒は皇帝礼拝を強制され、逆らう者は迫害されていた。いつまでこのようなことが続くのか、神の救済計画を記した巻物を解く人がいなければ、この苦しみがいつ終わるのかが見えない。その時、屠られた子羊キリストが、玉座におられる方から巻物を受け取った。こうして巻物の内容が開示されていく。
・神の手にあった巻物が子羊に渡され、子羊が封印を解くと、最初に弓を持つ白い馬が現れた。この白い馬は侵略者パルテイア軍を指す。紀元62年、無敵を誇ったローマ軍がパルテイアの騎兵隊に敗北し、ローマ帝国といえども永遠ではないという幻が与えられる。
-黙示録6:1-2「小羊が七つの封印の一つを開いた。すると、四つの生き物の一つが、雷のような声で『出て来い』と言うのを、私は聞いた。そして見ていると、見よ、白い馬が現れ、乗っている者は、弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上に更に勝利を得ようと出て行った」。
・第二の封印を開くと赤い馬が現れた。赤は流血を示す。帝国内に内乱や反逆が続き、帝国が内部から崩壊していくことが預言されている。現にローマ皇帝ドミティアヌスはヨハネ黙示録が書かれた翌年96年には宮廷内の争いの中で暗殺されている。
-黙示録6:3-4「小羊が第二の封印を開いたとき、第二の生き物が『出て来い』と言うのを、私は聞いた。すると、火のように赤い別の馬が現れた。その馬に乗っている者には、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられた。また、この者には大きな剣が与えられた」。
・第三の封印が開かれると黒い馬が現れる。黒い馬=飢饉による穀物の不作を示す。飢饉で食料価格が高騰し、一日働いても小麦一枡しか買えないほどの飢饉が帝国を襲うことが預言されている。
-黙示録6:5-6「小羊が第三の封印を開いたとき、第三の生き物が『出て来い』と言うのを、私は聞いた。そして見ていると、見よ、黒い馬が現れ、乗っている者は、手に秤を持っていた・・・『小麦は一コイニクスで一デナリオン。大麦は三コイニクスで一デナリオン。オリーブ油とぶどう酒とを損なうな』」。
・第四の封印を開くと、青白い馬が現れた。青白い=死者の顔色で、疫病により、人口の1/4が死ぬことが示される。古代ローマでは繰り返し、ペストや天然痘が流行し、多くの命が奪われている。四つの馬は戦争や内乱、飢饉や疫病を指しており、ヨハネは世界史で既に起きた出来事が、これからローマ帝国の上に深刻化し、帝国が滅びることを示された。
-黙示録6:7-8「小羊が第四の封印を開いたとき、『出て来い』と言う第四の生き物の声を、私は聞いた。そして見ていると、見よ、青白い馬が現れ、乗っている者の名は『死』といい、これに陰府が従っていた」。
2.いつまでこのような状況が続くのか
・第五の封印が開かれると、殺された殉教者たちの声が響く「いつまで不正が続くのですか。早くローマを滅ぼしてあなたの正義を見せて下さい」。彼らは「血の復讐」を叫んでいる。それに対して「数が満ちるまで待て」と言う声が聞こえる。「今しばらくは迫害により殺される者が出る、それが神のご計画だ」とヨハネは告げられる。
-黙示録6:9-11「小羊が第五の封印を開いたとき、神の言葉と自分たちがたてた証しのために殺された人々の魂を、私は祭壇の下に見た。彼らは大声でこう叫んだ『真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか』。すると、その一人一人に、白い衣が与えられ、また、自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間の僕である者たちの数が満ちるまで、なお、しばらく静かに待つようにと告げられた」。
・第六の封印が開かれると大地震がおき、天変地異が起きた。人は神の審きを逃れるために洞穴や岩間に隠れた。人は想像を超える自然災害が起こると、終末のしるしと見る。しかし、終末はまだ来ない。
-黙示録6:12-17「小羊が第六の封印を開いた。その時、大地震が起きて、太陽は毛の粗い布地のように暗くなり、月は全体が血のようになって、天の星は地上に落ちた・・・地上の王、高官、千人隊長、富める者、力ある者、また、奴隷も自由な身分の者もことごとく、洞穴や山の岩間に隠れ、山と岩に向かって『私たちの上に覆いかぶさって、玉座に座っておられる方の顔と小羊の怒りから、私たちをかくまってくれ』と言った」。
・歴史を記した巻物がキリストに渡され、封印が解かれ、歴史はキリストの手に委ねられた。しかし、混乱は続いている。黙示録が書かれた紀元95年当時、ローマの権勢はかげりを見せ始め、各地で暴動が頻発し、飢饉や疫病により大勢の人が死んでいった。ポンペイの町は地震によって廃墟となり、エルサレムは滅ぼされ、教会に対する迫害が続いている。その迫害の中で大勢の人が死に、人々は「主よ、いつまでこの苦しみが続くのですか」と叫んでいる。歴史の行く先が見えないヨハネに幻が示され、その幻を通して神の国が地上に来つつあることを知らされる。当時の人々にとって、ヨハネ黙示録は幻想ではなく、真実なものだった。しかし人々は待てない。ペテロはそのような人々に、「時を待て」と語る。
-第二ペテロ3:8-13「主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます・・・私たちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです」。
・終末がいつ来るか、私たちは知らないし、知る必要もない。私たちのなすべきことは、今、与えられた勤めを果たしていくことだ。
-第二テサロニケ3:12-13「自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。そして、兄弟たち、あなたがたは、たゆまず善いことをしなさい」。
3.待つことの意味
・人々は戦争・地震・飢饉・迫害等の緊急事態に遭遇すると、それを終末の前兆だと考える傾向がある。エホバの証人は1914年10月を「終わりの日の始まり」と定義し、4年後の1918年に「主の再臨」があると預言した。第一次世界大戦が1914年に始まり、キリスト教徒同士が殺し合いを始め、戦死者は1600万人にも達した。戦争は兵士の健康に大きく影響した。1914年から1918年まで動員されたヨーロッパ諸国の将兵6千万人のうち、800万人が戦死、700万人が永久的な身体障害者になり、1,500万人が重傷を負った。ドイツは男性労働人口の15.1%を、オーストリア=ハンガリーは17.1%、フランスは10.5%を失った。
・戦乱によって、さまざまな疫病も流行した。寄生虫による発疹チフスで、セルビアだけでも20万人の死者が出た。1918年から1922年まで、ロシアでは2,500万人が発疹チフスに感染、300万人が死亡した。1918年にはスペインかぜが大流行、ヨーロッパでは少なくとも2,000万人が死亡した。これにより徴兵対象となる成人男性の死者が急増し、補充兵力が無くなりかけたことが、同年の休戦の一因とも言われている。
・まさに「世界の終末」が迫っていると思わざるを得ない出来事を前に、エホバの証人の終末預言が為された。彼らは言った「諸国民の時は終わる」、「ヨーロッパの目下の大戦は聖書のハルマゲドンの開始だ」。しかし戦争が終わっても終末は来なかった。終末の接近を唱えて人々の回心を強要する教えは福音ではない。パウロは、天変地異は終末の前兆でも預言でもないと戒める。
-第二テサロニケ2:3-4「まず、神に対する反逆が起こり、不法の者、つまり、滅びの子が出現しなければならないからです。この者は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりする者に反抗して、傲慢にふるまい、ついには、神殿に座り込み、自分こそは神であると宣言するのです」。
・人々は悪の支配が終わって、神の国が来る事を待望していた。イエスの弟子たちもそうだった。弟子たちは復活のイエスに尋ねる「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」(使徒1:6)。それに対して、イエスは言われます「その時は神が定められるのであるから、あなたたちはそれを待て。そして今やるべき事をしなさい」(使徒1:7-8)。終末は信仰者には救いの完成の時、だから私たちは福音の宣教にいそしみながら、その時を待つ。
・戦争や飢饉などの「社会的不安」や「天変地異」はいつの時代にもある。それは、我々の住んでいる世界が絶対不変のものでも永遠のものでもなく、終わりがあるということを我々に考えさせるという意味で、「予兆」である。だが、これは「予兆」に過ぎない。これを極端に強調して「世の終わりが来た」と言い、人々の不安をいやがうえにも掻き立てる人々が昔からいたが、これは正しくない。終わりはただ神の手の中にある。そのことを信じて静かに待つことが、ここでも正しいのである。