1.玉座にある巻物
・ヨハネ黙示録は紀元95年頃、ドミティアヌス帝時代のキリスト教徒迫害の中にあって、パトモス島に流刑になっているヨハネが見た幻である。ヨハネは霊に導かれて天に上った。彼がそこで見たのは、玉座に座る神であり、その手には、これから起こることを記した巻物が握られていたが、それは七つの封印で封じられていた。
-黙示録5:1「私は、玉座に座っておられる方の右の手に巻物があるのを見た。表にも裏にも字が書いてあり、七つの封印で封じられていた」。
・巻物とは旧約聖書に預言された神の民の救済計画である。当時の旧約聖書は巻物に記されていた。それはバビロンで捕われた祭司であったエゼキエルに示された幻からインスピレーションを受けた記述であろう。神の言葉は巻物(聖書)に記されている。
-エゼキエル2:9「私が見ていると、手が私に差し伸べられており、その手に巻物があるではないか。彼がそれを私の前に開くと、表にも裏にも文字が記されていた。それは哀歌と、呻きと、嘆きの言葉であった」。
・ヨハネの時代、アジア州はローマ帝国の支配下にあり、キリスト教徒は皇帝礼拝を強制され、逆らう者は迫害されていた。いつまでこのようなことが続くのか、神の救済計画を記した巻物を解く人がいなければ、この苦しみがいつ終わるのかが見えない。ヨハネは泣いた。
-黙示録5:2-4「一人の力強い天使が『封印を解いて、この巻物を開くのにふさわしい者はだれか』と大声で告げるのを見た。しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開くことのできる者、見ることのできる者は、だれもいなかった。・・・ふさわしい者がだれも見当たらなかったので、私は激しく泣いていた」。
・泣くヨハネに、長老の一人が声をかけた。「泣かなくともよい。勝利されたキリストが巻物を開いてくださる」。ヨハネはそこに十字架に死に、復活されたキリスト(小羊)がおられるのを見た。
-黙示録5:5-6「長老の一人が私に言った『泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる』。私はまた、玉座と四つの生き物の間、長老たちの間に、屠られたような小羊が立っているのを見た。小羊には七つの角と七つの目があった」。
・屠られた子羊、贖罪の業を果たされたキリストが、玉座におられる方から巻物を受け取った。地上においてはローマ帝国が暴威をふるい、救い主キリストの支配はまだ見えない。しかし、天上においては、世界史を記した書がキリストの手に渡され、キリストが王として即位された。天では喜びの声が上がる。
-黙示録5:7-10「小羊は進み出て、玉座に座っておられる方の右の手から、巻物を受け取った。巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は・・・新しい歌を歌った『あなたは、巻物を受け取り、その封印を開くのにふさわしい方です。あなたは、屠られて、あらゆる種族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から、御自分の血で、神のために人々を贖われ、彼らを私たちの神に仕える王、また、祭司となさったからです。彼らは地上を統治します』」。
・キリストが死なれたことにより、自分たちの罪が赦され、救いにあずかることが出来るという希望が初代教会の信仰であった。
-第一ペテロ1:18-19「知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、傷や汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです」。
2.子羊キリストの即位
・贖罪の子羊イエスが王として即位し、イエスに従った者が地上を統治すると歌われる。神の国が地上に来る日が近いとの讃美だ。キリストの即位を祝い、最初は24人の長老たちが、次には全ての天使たちが、最後には全ての被造物が歓呼の声を上げる。黙示録5:12-13はヘンデル・メサイヤ終曲「アーメン・コーラス」として有名な箇所だ。
-黙示録5:12-13「天使たちは大声でこう言った『屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい方です』。また、私は、天と地と地の下と海にいるすべての被造物、そして、そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた『玉座に座っておられる方と小羊とに、賛美、誉れ、栄光、そして権力が、世々限りなくありますように』」。
・その時、天上だけではなく、地上でも讃美と感謝が歌われる。初代教会の礼拝がそこに投影されている。
-黙示録5:13-14「また、私は、天と地と地の下と海にいるすべての被造物、そして、そこにいるあらゆるものがこう言うのを聞いた。『玉座に座っておられる方と小羊とに、賛美、誉れ、栄光、そして権力が、世々限りなくありますように』。四つの生き物は『アーメン』と言い、長老たちはひれ伏して礼拝した」。
・人間は現在の延長線上でしか将来を見通せないが、実際には、常に新しい出来事が起こり、未来は変えられていく。地上の王は、現在はローマ皇帝かもしれないが、天上では既にイエスに世界史を記した書が渡されている。ローマ皇帝の支配が永遠に続くのではない。ヨハネはそこに希望を見た。キリストは王として既に即位されておられる。この天上の出来事はやがて地上の出来事となる。人の目から見た真実と、神の目から見た真実は異なる。私たちは見えない真実を信じていく。それが信仰だ。
-ローマ8:18-25「現在の苦しみは、将来私たちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないと私は思います。被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。・・・私たちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。私たちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです」。
・巻物の封印が解かれ、歴史は子羊に委ねられる。ほふられた子羊は地上の目からは弱く無力な存在であるが、天上では歴史を導くように委託されている。地上のことだけを見つめず、「天を見よ」とヨハネは記す。
-ピリピ2:10-11「こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が『イエス・キリストは主である』と公に宣べて、父である神をたたえるのです」。
3.ヨハネ黙示録を読む時の留意点
・黙示録は苦難の中で神の救済を求める文書だ。それは決して未来を予測する文書ではなく、あくまでも苦難の中にある神の民に希望と慰めを与えるために書かれた。しかし人間は、それを自分の都合の良い方向で解釈する。解釈が世界史を誤った方向に押し流した最大の例がヨハネ黙示録21章の解釈である。
-黙示録21:1-2「私はまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。更に私は、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た」。
・丹治陽子氏(横浜国大)は「アメリカ的想像力における千年王国論的終末論」の中で、黙示録21章の誤読が世界史に大きな影響を与えたと語る。
-丹治陽子「ヨハネ黙示録21章は、神と悪魔の最終戦争で、悪魔は完全に敗北し、それによってそれまで悪魔が支配していた古い世界があとかたもなく崩壊し、そのあとに絶対的な救済の新しい世界、神の国が始まると預言する。ここから千年王国論が生まれる。キリストが統治する千年王国というこの地上のユートピアは、サタン= アンチ・キリストを暴力的な闘争において打倒することによってのみ達成されるという点で、革命的な性格を帯びている。17世紀なかばのイギリスにおいて、千年王国論がピューリタン革命を推進する力ともなっていく。と同時に、この千年王国の思想はピルグリム・ファーザーズと呼ばれるピューリタンたちによって新世界アメリカにも移植される。彼らはアメリカを「ヨハネ黙示録」にある「新しい天、新しい地」として意識するようになるのである」。
・同時に黙示録的な表象を代表する言葉「ハルマゲドン」についても、様々な人間的理解が交錯した。
-ヨハネ黙示録16:14-16「これはしるしを行う悪霊どもの霊であって、全世界の王たちのところへ出て行った。それは、全能者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである・・・汚れた霊どもは、ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれる所に、王たちを集めた」。
・「ハルマゲドン」とは、ヘブライ語で「メギドの山」を意味する。メギドはパレスチナの地名である。旧約聖書によると、このメギドの周辺で、少なくとも三回の決定的な戦闘が行われた。士師記4章には、女預言者デボラがメギドでカナンの王シセラを破ったと記されている。ユダの王アハズヤが将軍イエフと戦って死んだのがメギドである(列王記下9:27)。ユダ王国で宗教改革を実行したヨシヤ王は、このメギドでエジプトのファラオ・ネコを迎え撃とうとして戦死した(列王記下23:29)。こうした民族の記憶を呼び起こしながら、黙示録の著者ヨハネは「終末時に起こる決定的な戦い」について書いた。
・多くの人はヨハネ黙示録を自分の置かれた境遇の中で聞いた。「イギリス宗教改革の黙示論的伝統において、キリストとアンチ・キリストの戦い、神と悪霊との戦い、信仰者と不信仰者の戦いが重要であった。ヨーロッパの中でイギリスほど黙示録の注解書が多く書かれた国はない。イギリスのピューリタン革命やアメリカへの移民が黙示録的終末観を背景に為されたことは歴史的な事実である」。黙示録は苦難の中で神の救済を求める文書であり、それは決して未来を予測する文書ではなく、あくまでも苦難の神の民に希望と慰めを与えるために書かれた。そのことを忘れた時、聖書がおぞましい異端の書にもなりうる。