1.妻は夫が不信仰者であっても仕えよ
・ペテロは、奴隷に「無慈悲な主人であっても主に仕えるように仕えなさい」と説き、妻に対しても「夫が不信仰者であっても仕えなさい」と説く。
-第一ペテロ3:1-2「同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。夫が御言葉を信じない人であっても、妻の無言の行いによって信仰に導かれるようになるためです。神を畏れるあなたがたの純真な生活を見るからです」。
・当時、妻は夫なしでは経済的に生きていくことが出来なかった。その現実を神が与えられたものとして認め、その中に意味を見出していくことをペテロは勧める。積極的従属の教えがここにある。では経済的に自立した妻たちは離婚しても良いのか。女性たちの一方的忍従によって結婚生活が継続することを神は願われるのか。いろいろな判断がありうる。
-エペソ5:22-24「妻たちよ、主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。教会がキリストに仕えるように妻も全ての面で夫に仕えるべきです」。
・ペテロの手紙では、現在が終末であり、人はこの世の仮住まい者であることが繰り返されている。この世での充足を求めるよりも、何のために召されたかを考えなさいと説く。外面を飾るよりも内面の装いを行って、夫を信仰に導きなさいと勧められる。
-第一ペテロ3:3-4「あなたがたの装いは、編んだ髪や金の飾り、あるいは派手な衣服といった外面的なものであってはなりません。むしろそれは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです。このような装いこそ、神の御前でまことに価値があるのです」。
・夫に対しても「妻をいたわりなさい」と勧められる。手紙では妻に対して6節を割き、夫に対して1節のみである。この世で虐げられ、弱者である妻こそ、キリストに従う者にふさわしいとペテロは考えている。
-第一ペテロ3:7「同じように、夫たちよ、妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。そうすれば、あなたがたの祈りが妨げられることはありません」。
2.迫害する者のために祈れ
・ペテロは教会の兄弟姉妹に対して、心を一つにし、愛し合うように勧める。
-第一ペテロ3:8「終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい」。
・ペテロは敵対する者に対しても祝福を持って臨みなさいと語る。あなたたちは祝福を受け継ぐために召されたのだと。
-第一ペテロ3:9-14「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです・・・もし、善いことに熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。しかし、義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません」。
・「悪は悪として排除せよ、しかし悪に対するに暴力を持って対抗するな」という教えは初代教会に徹底していた。パウロも同じことを語る。
-ローマ12:19-21「自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐は私のすること、私が報復する』と主は言われる」と書いてあります。あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」
・キリストにある生き方を証すると共に、必要な時には、いつでも弁明できるように準備しなさい。弁明=アポロギアとは弁証を意味する。私たちは福音を伝えるために知識が必要だ。
-第一ペテロ3:15-16「心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです」。
・迫害の中でキリストの受けた苦しみを思い、耐えなさい。善を行って苦しむのは神のよみされることだ。
-第一ペテロ3:17-18「神の御心によるのであれば、善を行って苦しむ方が、悪を行って苦しむよりはよい。キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです」。
・キリストは黄泉にさえ行かれ、信じない者たちに悔い改めを説かれた。このキリストに従う。
-第一ペテロ3:19-22「霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。・・・キリストは、天に上って神の右におられます。天使、また権威や勢力は、キリストの支配に服しているのです」。
3.第一ペテロ3章の黙想
・ペテロ第一の手紙の背景にはキリスト教徒への迫害があり、手紙には試練、苦しみ等の言葉が繰り返し出てくる。「あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れる時には、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです」(1:6-7)。「火のような試練があなた方を襲う」、ローマ帝国内でキリスト教徒迫害が始まった紀元60年代にこの手紙は書かれたと見られている。諸教会の人々は迫害を怖れ、困り果て、教会の中に動揺が生じていた。その彼らに、ローマにいたペテロが励ましの手紙を書いた。それがペテロの手紙である。
・ローマ帝国の支配下にあった小アジアで、回心してキリスト信徒になることは、多くの困難を伴った。イエスは「殺すな」と言われたので、人々はローマ帝国の兵役を拒否した。イエスが「偶像を拝むな」と言われたので、人々はローマ皇帝の像を拝まなかった。その結果、キリスト者たちは「非国民」、「世の秩序を乱す者」と呼ばれ、友人や仲間や親戚から排除され、共同体や国から村八分された。世の人々と違う生き方をしようとしたので、信徒たちは世から憎まれた。
・手紙3章の中でペテロは語る「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい」(3:9)。「目には目を、歯には歯を」、報復は自然の人情であり、社会は報復の権利を認める。しかしイエスの福音は人間の自然感情を超える行為を命じる。「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」(マタイ5:39)。イエスはさらに難しいことを要求される「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)。ペテロはイエスが語られた言葉を、「あなた方も主に倣いなさい」と薦めている。
・手紙を受け取った人々は反問するだろう「悪に対して善を、侮辱に対して祝福をする生き方など私たちにはできない」。しかしペテロは語る「キリストの十字架での祈りをあなた方も聞いて知っている。キリストは言われた。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです』(ルカ23:34)。イエスの生き方をあなた方も継承していくのだ」と。何故ならば「祝福を受け継ぐためにあなたがたは召された」(3:9c)のだからと。
・信仰ゆえに迫害された時、「祝福を祈る」生き方が人に出来るのだろうか。歴史は出来ると教える。その証人の一人が、非暴力・不服従を貫いたキング牧師だ。彼は迫害する者たちに語った「あなたがたの他人を苦しませる能力に対して、私たちは苦しみに耐える能力で対抗しよう。あなたがたの肉体による暴力に対して、私たちは魂の力で応戦しよう。どうぞ、やりたいようになりなさい。それでも私たちはあなたがたを愛するであろう」。
・彼は続ける「私たちを刑務所にぶち込みたいなら、そうするがよい。それでも、私たちはあなたがたを愛するであろう。私たちの家を爆弾で襲撃し、子どもたちを脅かしたいなら、そうするがよい。それでも私たちは、あなたがたを愛するであろう。真夜中に、頭巾をかぶったあなたがたの暴漢を私たちの共同体に送り、私たちをその辺の道端に引きずり出し、ぶん殴って半殺しにしたいなら、そうするがよい。それでも、私たちはあなたがたを愛するであろう・・・しかし、覚えておいてほしい。私たちは苦しむ能力によってあなたがたを疲弊させ、いつの日か必ず自由を手にする、ということを。私たちは自分たち自身のために自由を勝ち取るだけでなく、きっとあなたがたをも勝ち取る。そうすれば、私たちの勝利は二重の勝利となろう」(マーティン・ルーサー・キング「汝の敵を愛せよ」、新教出版社、1965年、79P)。
・キングは何故、このような希望を持てるのか。それはキリストがそうされたからだ。ペテロは語る「キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです」(3:18)。キングはこうも言っている「私たちは初代キリスト教徒による非暴力的な抵抗が、ローマ帝国を震撼させるほどの巨大な道徳的攻撃力を生み出したことを知っている」。「愛は多くの罪を覆い」(4:8)、ついにはローマ帝国の悪を善に変える力を持った。このことは現代でも通用する。