江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2020年12月30日祈祷会(マタイによる福音書4:18-22、弟子の召命)

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1.四人の漁師を弟子にする

 

・イエスはガリラヤ湖沿いを歩きながら、ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネの四人の漁夫を弟子にしたとマタイは伝える。ガリラヤ湖はガリラヤの中央にあり、南北に21キロ、東西に13キロと湖としては、小ぶりである。湖面は海抜マイナス207メートルと低く、温和な気候に恵まれていた。

-マタイ4:18-19「イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられた時、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは『私について来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。

・彼らはイエスの最初の弟子であった。彼らは貧しい漁夫であったが、人として、一番大切で高価な自分自身をイエスに捧げた。「網を捨てて従う」は、この漁夫たちの出来事から、献身の決意を表す言葉となった。

-マタイ4:20-22「二人はすぐ網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、船と父親を残してイエスに従った。」

・この召命物語は、私たちに対する励ましとして語られことが多い。「弟子たちが全てを捨てて従ったようにあなたがたもまた全てを捨ててイエスに従いなさい」と。しかし、私たちは一つの疑問にぶつかる。「人はそんなに簡単に現在の生活を捨てられるのだろうか」、「全てを捨てることを主は求められているのだろうか」という疑問だ。その疑問を解く記事がマタイ16章にある。イエスに対する期待が頂点にまで高まった時に、イエスが弟子たちに問われる「あなたがたは私を何者だと言うのか」。ペトロが答える「あなたこそメシア、生ける神の子です」(16:16)。ところがその弟子たちにイエスは思いがけないことを話される。「私はこれからエルサレムに行って十字架にかけられて死ぬ」(16:21)。弟子たちの期待はいっぺんに砕かれ、慌てたペテロは言う「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」(16:22)。「それでは困ります。私たちが何のためにあなたに従って来たと思っておられるのですか」とペテロは反論している。

 

  1. ヨハネ福音書は別な形での弟子の召命を記す

 

・ヨハネ福音書によれば、イエスの最初の弟子たち(ペテロやアンデレ、ヨハネたち)は、元々洗礼者ヨハネの弟子たちであった。ヨハネはイエスを見て、「見なさい。あの方が神の小羊だ」と弟子たちに示し、二人の弟子はすぐイエスに従い、イエスと同じ宿に泊まり、そのままイエスの弟子となったと伝える。

-ヨハネ1:35-39「その翌日、また、ヨハネは二人の弟子たちと一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、『見よ、神の小羊だ』と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、『何を求めているのか』と言われた。彼らが、『ラビ、どこに泊まっておられるのですか』と言うと、イエスは、『来なさい。そうすれば分かる』と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった」。

・イエスに従った二人の内の一人が、シモンの兄弟アンデレであった。アンデレはシモンをイエスに会わせると、イエスはシモンを見つめ、ケファ(岩)と名づけた。

-ヨハネ1:40-42「ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人の内の一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、『私達はメシア、油を注がれた者、に出会った。』と言った。そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、『あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ(岩)と呼ぶことにする。』と言われた。」

・マルコ・マタイ両福音書はイエスが弟子たちを召命されたのは、ガリラヤであったと伝える。ヨハネ福音書は「洗礼者ヨハネの弟子たちの中で、ガリラヤ出身の者たちがイエスに従うようになった」とする。異なる伝承があり、ヨハネの記事のほうが歴史的には正しいと思われる。人が初対面の人に召されてすべてを捨てて従うとは考えにくい。他方、ヨハネ福音書のような招きであれば、自然に従うことが出来よう。

 

3.ガリラヤ湖での弟子の召命は、復活のイエスの召しではないのかと思われる

 

・天旅ホームページで注解を提供する市川喜一は、マタイ4章の弟子の召命は、復活のイエスに出会った弟子たちの経験を記したと理解する。

・「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行って神の国を宣べ伝え始められる。そして、ガリラヤでの最初の出来事としての記事が、四人の弟子の召命の記事である。この記事は、イエスの地上の働きの報告としては、やや奇異な感じを受ける。イエスはまだ何もしておられない。四人の漁師たちはまだイエスの教えを聞いていないし、力ある業も何一つ見ていない。ところが、イエスが彼らに『私について来なさい』と言われると、彼らは網を捨て、家族を残してイエスの後について行くのである」。

・「しかし、この記事を、イエスの逮捕と処刑に直面し、ガリラヤに逃げ帰り、漁師の仕事に戻っていた弟子たちが、復活されたイエスの顕現に接し、宣教に召されるという出来事の核心部分を要約した記事として読むと、ごく自然に理解できる。復活されたイエスがガリラヤ湖のほとりで弟子たちに現れたということが、初期の教団の中で語り伝えられていたことは、ヨハネ福音書二一章の記事からもうかがえる。

*ヨハネ21:6-7「イエスは言われた。『舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ』。そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、『主だ』と言った。シモン・ペトロは『主だ』と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ」。

・「この伝承ときわめてよく似た伝承がルカ福音書五章にも用いられている。夜通し漁をしたが何もとれなかったのに、イエスが指示されるところに網を降ろすと、網が破れるばかりの魚がとれたこと、それを見てシモン・ペトロがひれ伏したなど、ほとんど同じ内容のことが語られている。

*ルカ5:8-10「これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、『主よ、私から離れてください。私は罪深い者なのです』と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。『恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる』」。

・「ヨハネ福音書では復活後の出来事であるのに対し、ルカ福音書では地上での働きの時期の出来事になっている。これは別の二つの出来事の記事ではなく、同一の出来事の伝承がヨハネとルカによって別々に用いられたと考えるべきであろう。そうであれば、復活後のイエスの顕現の伝承が、ルカによって地上の働きの時期の出来事として語られたと見る方が自然である」。

・「マルコ福音書一章とルカ福音書五章の召命の記事が、もともと復活者イエスの顕現の伝承によるものであることは、両者に共通のイエスの召命のお言葉と、直ちにそれに従った弟子たちの行動が示唆している。イエスはペトロたちに言っておられる、『私に従ってきなさい。そうすれば、私はあなたがたを、人間をとる漁師にしよう』。証人への召しは、いつも復活者との出会いの体験の一部である。復活された方にお会いした者は、もはや以前のままではありえない。その現実を証言するために、家業を捨て、家族を後に残して出て行くほどの、自己の変革を体験する」。

 

  1. 市川喜一は聖書を複合的に読む必要性を私たちに示す。

 

・「地上の教師との出会いにおいては、このような劇的な召命と行動は、おそらくありえない。イエスの場合でも、イエスが地上におられる間は、弟子たちは最後までイエスを理解することも従うこともできなかった者として描かれている。復活されたイエスとの出会いにおいてこそ、ここに描かれているような、明確な召しの言葉と直ちに従う弟子の行動が可能になる」。

・「ガリラヤ湖畔での召命の記事が復活者イエスの顕現の伝承に基づくものであると理解することは、地上でイエスがペトロたちを弟子として招かれたという出来事を否定するものではない。ペトロたちは地上のイエスに出会い、召され、従って行ったのである。ただ、彼らが実際にイエスの弟子として従って行くようになるのは、単純で劇的な光景で描けるようなものではなかった。ヨハネ福音書によると、弟子たちはヨハネのバプテスマ運動の中でイエスと出会い、イエスと一緒にバプテスマ運動に従事し、やがてヨハネとは別のグループを形成したことが分かる。このような実際の出来事の経過にはいっさい触れることなく、マルコやマタイはイエスに出会うという出来事の意義を端的に語るのである。そのさい、イエスとの出会いの究極の姿である復活者との出会いの光景を用いる。しかも、ルカやヨハネが伝えるような細部はいっさい切り捨てて、ぎりぎりまで凝縮した形で核心部分だけを語るのである。これがイエスに出会うということであると」。

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