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日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2019年7月24日祈祷会(第一テモテ6章、生きるために必要なもの)

投稿日:2019年8月22日 更新日:

2019年7月24日祈祷会(第一テモテ6章、生きるために必要なもの)

 

1.金銭について私たちはどう考えるべきか

 

・著者は若い牧会者に対して、教会内でのあるべき態度を教えている。教会内において誤解を生みやすいのが、金銭の問題である。最初に著者は、異端といわれる人々は金銭に対して貪欲であると指摘する。

-第一テモテ6:3-5「異なる教えを説き、私たちの主イエス・キリストの健全な言葉にも、信心に基づく教えにも従わない者がいれば、その者は高慢で、何も分からず、議論や口論に病みつきになっています。そこから、ねたみ、争い、中傷、邪推、絶え間ない言い争いが生じるのです。これらは、精神が腐り、真理に背を向け、信心を利得の道と考える者の間で起こるものです」。

・教えが健全かどうかを見分けるしるしは、教える人が利得=自分の利益を求めているかどうかである。キリストの戒め=愛とは「相手の足を洗う」行為であり、そこからは他者を貪る行為は出てこない。

-第一コリント13:4-7「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」。

・他者を貪らないとは、必要以上の金銭を求めないことだ。信仰の実は、「足るを知る」平安だ。ヨブが語るように「私たちは裸で母の胎を出て、裸でそこに帰る」(ヨブ1:21)存在に過ぎないのである。

-第一テモテ6:6-8「信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。なぜならば、私たちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。食べる物と着る物があれば、私たちはそれで満足すべきです」。

・どのような境遇にあっても満ち足りる。外的状況に左右されない。信仰者が与えられる平安である。

-フィリピ4:11-13「私は、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています」。

・著者は金銭そのものを否定しないが、金銭欲から多くの罪が生まれることを指摘する。

-第一テモテ6:9-10「金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます」。

・「牧会者と金銭」の問題は難しい。特に現代においてはそうだ。牧会者が家族を養うためにはある程度の給与保障が必要だ。日本バプテスト連盟内の無牧教会は全体の1割、30教会であるが、いずれも経常献金300万円以下である。他方、赴任待機者(無任所牧師)が連盟内に40名いるが、待機者が赴任する条件が給与その他で整わない。無牧教会赴任者への財政的支援をどうするのか、バプテスト連盟の課題である。

 

2.命を得るために

 

・17節にも富の問題が触れられている。当時の教会において、貧富の格差が問題になっていたのであろう。

-第一テモテ6:17-19「この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢にならず、不確かな富に望みを置くのではなく、私たちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。真の命を得るために、未来に備えて自分のために堅固な基礎を築くようにと」。

・これはイエスの教えに基づく。イエスは言われた「あなたの富のあるところにあなたの心もある」と。

-マタイ19:21-24「イエスは言われた『もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、私に従いなさい』。青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである』」。

・私たちは裸で生まれ、裸で死んでいく。必要な食べ物と着るものがあればよい。

-箴言30:7-9「二つのことをあなたに願います。私が死ぬまで、それを拒まないでください。むなしいもの、偽りの言葉を、私から遠ざけてください。貧しくもせず、金持ちにもせず、私のために定められたパンで私を養ってください。飽き足りれば、裏切り、主など何者か、と言うおそれがあります。貧しければ、盗みを働き、私の神の御名を汚しかねません」。

・キリストの戒めを守り続けなさい、キリストにつながり続けなさいと言われる。そこに命があるからだ。

-第一テモテ6:11-12「正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るためにあなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです」。

・委ねられた福音を正しく受け、それを正しく伝えていくのが、教会の役割だ。

-第一テモテ6:20-21「テモテ、あなたにゆだねられているものを守り、俗悪な無駄話と、不当にも知識と呼ばれている反対論とを避けなさい。その知識を鼻にかけ、信仰の道を踏み外してしまった者もいます」。

 

3.テモテ書の精神を学ぶ

 

・テモテ書は現代の私たちには許容しにくい古い倫理を含んでいる。

-第一テモテ2:11-15「婦人は、静かに、全く従順に学ぶべきです。婦人が教えたり、男の上に立ったりするのを、私は許しません。むしろ、静かにしているべきです。なぜならば、アダムが最初に造られ、それからエバが造られたからです。アダムはだまされませんでしたが、女はだまされて、罪を犯してしまいました。しかし婦人は、信仰と愛と清さを保ち続け、貞淑であるならば、子を産むことによって救われます」。

・また教会指導者に対する厳しい倫理も知られている。述べられているのは当然の事柄だが、問題は完全な人はいないことだ。この箇所は歴史的には教役者を批判するために用いられてきた。

-第一テモテ3:1-2「監督は、非のうちどころがなく、一人の妻の夫であり、節制し、分別があり、礼儀正しく、客を親切にもてなし、よく教えることができなければなりません」。

・それにもかかわらず、テモテ書は読む価値がある。ある教会指導者は語った「私たちの教会はこれまで3人を神学生として立て、奨学金を付与し、サポートして来た。しかし、数年後、三人とも牧師をやめた」。若い牧師の赴任後の諸問題への対処法をテモテ書は記している。

-第一テモテ4:11-14「これらのことを命じ、教えなさい。あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません・・・あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません。その賜物は、長老たちがあなたに手を置いた時、預言によって与えられたものです」。

・「使徒行伝」によれば、テモテの父はギリシア人で母はユダヤ人であった。パウロはテモテを気に入り、自らの宣教旅行に連れて行きたいために、ユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせた。西暦50年前後のことであると推察される。テモテはパウロの第二回宣教旅行、第三回宣教旅行に同行し、パウロの良き協力者となった。テモテはパウロに同行するほか、マケドニアなど、パウロがすでに宣教活動を行った場所に派遣されて、指導に当たっている。この宣教旅行の間に書かれたと想定される「コリントの信徒への手紙二」からも、テモテがパウロのよき協力者であったことがわかる。ここではパウロはテモテをコリントスの教会に派遣し、その指導に当たらせようとしている。また「フィリピ人への手紙」などでは、テモテはパウロと並んで書簡の差出人とされている。伝承によれば、65年パウロはテモテを按手し、エフェソスの主教(司教)とした。テモテは15年間主教としてエフェソスの教会を指導したという(ウィキペデイアより)。

・パウロの最後について、使徒行伝は沈黙する(パウロのローマでの二年間の軟禁生活までしか語らない)が、テモテ第二の手紙はパウロがローマで処刑されたことを示唆する。

-第二テモテ4:6-8「私自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。私は、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれを私に授けてくださるのです」。

・「パウロ行伝」はパウロの最後について語る。伝承であり、真偽はわからないが、何ほどかの史実を含んでいるのであろう。

-パウロ行伝9:5「パウロは東に向かって立ち、天に向けて両手を上げ、長い時間祈った。祈りの中で、ヘブライ語で父祖たちと語り合った。その後、無言で首を差し出した。執行人が首を刎ねると、乳が噴き出し兵士の服に飛び散った。これを目撃した兵士とそこに居合わせた人々は皆驚き、パウロにこのような栄光をお与えになった神に栄光を帰した。」

・パウロの死について、スイスの注解者リュティは語る。

-ヴァルター・リュティ「創世記講解25-50章」から「バプテスマのヨハネは荒野で生活し、ヘロデ王の城内にある地下牢で処刑されます。パウロは多くの刑罰を受けながらも福音伝道を続け、最後はローマで処刑されました。神は十字架上から『わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか』と叫ばれた御子イエスを十字架に残されました。しかし神はそこにおられました・・・艱難、災難、失望、欠乏は神が我々と共におられることへの反証である。むしろ、神が我々と共におられることの証拠です」。

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