2019年4月24日祈祷会(第一テサロニケ1章、祈りの輪)
1.テサロニケ教会への手紙の背景
・テサロニケはマケドニア州の州都であり、陸海の交通の要所として栄えた大都市だった。パウロとその同行者シラス、テモテはヨーロッパ伝道の最初にマケドニアのフィリピに渡るが、そこで激しい反対運動を受け、テサロニケに逃れて行く。テサロニケにはユダヤ教の会堂があり、一行はその会堂を拠点として、福音の宣教活動を行う。使徒言行録17章にパウロの説教の一部が残されている。
−使徒言行録17:2-3「パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、『メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた。・・・このメシアは私が伝えているイエスである』と説明し、論証した」。
・「イエス・キリストこそ聖書に約束された救い主である」とパウロは説いたが、ユダヤ人たちはパウロの言葉を信じなかった。しかし、「ギリシア人や・・・婦人たちは二人に従った」と使徒言行録は記す。ギリシア人や女性たちは、ユダヤ教会の中で一人前の扱いをされていなかった。改宗異邦人は、聖書を読みユダヤ教会に集うが、民族主義的なシナゴークにおいては、二級信徒の扱いしか受けなかった。婦人たちも、男性中心のユダヤ教会の中では働きの場が与えられなかった。その彼らにパウロは呼びかけた。「ユダヤ人も異邦人も、男も女も、キリストにおいては一つであり、何の差別もない」(ガラテヤ3:28)。
−使徒言行録17:4「それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った」。
・こうしてユダヤ教会から分離する形でキリスト教会が生まれていくが、それは土地のユダヤ人に大きな反発をもたらした。これまで自分たちの会堂に集っていた人々が、会堂を出て、パウロの集会に行くようになったからで、そのため、ユダヤ人たちは市当局者のところに行ってパウロたちを告発する。
−使徒言行録17:5-7「しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ、広場にたむろしている、ならず者を何人か抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した。
しかし、二人が見つからなかったので、ヤソンと数人の兄弟を町の当局者たちのところへ引き立てて行って、大声で言った『世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています・・・彼らは皇帝の勅令に背いてイエスという別の王がいると言っています」。
・ローマ帝国に対する反逆者としてパウロたちが告発され、この騒動のため、身の危険が迫り、パウロたちはテサロニケを出た。
−使徒言行録17:8-9「これを聞いた群衆と町の当局者たちは動揺した。当局者たちは、ヤソンやほかの者たちから保証金を取ったうえで彼らを釈放した」。
・パウロはその後、コリントに行き、そこで伝道を始めるが、テサロニケに残してきた信徒たちのことが気がかりになる。生まれたばかりの教会が、牧会者のいない状況の中に放置されることになったからだ。信徒たちはバプテスマを受けて間もない信仰者たちであり、周囲の人々の無理解と迫害の中にある。自分たちだけで礼拝を守っていくことが出来るのか、福音の種が消えてしまうのではないか、心配したパウロは弟子テモテをテサロニケに派遣する。そのテモテがコリントへ戻り、教会の様子を知らせてくれた。その間の事情が手紙の3章にある。
−第一テサロニケ3:6-7「テモテがそちらから私たちの元に今帰って来て、あなたがたの信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました・・・あなたがたがいつも好意を持って私たちを覚えていてくれること、更に、私たちがあなた方にぜひ会いたいと望んでいるように、あなた方も私たちにしきりに会いたがっていることを知らせてくれました」。
2.困難の中で信仰を守り続けた人々への手紙
・テサロニケの人々はパウロたちがいなくなった後も、信仰に固く立っている、そのことを聞いた喜びと感謝が、パウロに手紙を書かせた。手紙には、テサロニケ教会が困難な状況下にありながら、信仰を守っていることを聞いたパウロの喜びがあふれている。
−第一テサロニケ1:3-4「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、私たちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、私たちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、私たちは知っています」。
・「信仰によって働き」、「愛のために労苦し」、「希望を持って忍耐している」とパウロはテサロニケの信徒たちを称賛する。「信仰」、「希望」、「愛」が彼らの内にあることをパウロは感謝する。パウロはそこに、神の御業を見ている。後にこの言葉はコリント書の中でも繰り返される。
−第一コリント13:13「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」。
・テサロニケの人々は、パウロの言葉を受け入れて、迫害の中で改宗した。人間の言葉だけでは人を悔い改めさせることはできない。感心させることはできても、人の心をひっくり返すことはできない。それを可能にするのが聖霊の働きである。パウロはその事を神に感謝する。
−第テサロニケ2:13「私たちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、私たちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです」。
・テサロニケ教会は、牧会者がだれもいない中、周囲のユダヤ教会や異邦人からの迫害の中で、礼拝を守り続けた。生まれて数カ月の若い教会が、指導者もないままに放置された。彼らの手元には旧約聖書しかなく、賛美歌集も祈祷書もなかった。その中で彼らは、パウロから聞いた教えを語り、相互の交わりをなし、主の晩餐式を行い、祈った。主は彼らを守り育てられ、やがて、彼らの信仰が、近隣教会から賞賛されるほどのものに成長して行く。
−第一テサロニケ1:5-7「私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。私たちがあなたがたのところで、どのようにあなたがたのために働いたかは、御承知のとおりです。そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、私たちに倣う者、そして主に倣う者となり、マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至ったのです」。
・「主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられている」。ここには驚くべきことが書かれている。生まれたばかりの無牧の教会が、少人数ながらも礼拝を守り続け、その評判が近隣教会にも伝わっているというのである。
−第一テサロニケ1:8-10「主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられています。彼ら自身が私たちについて言い広めているからです。すなわち、私たちがあなたがたのところでどのように迎えられたか、また、あなたがたがどのように偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになったか、更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです」。
・テサロニケ教会にその力を与えたものは何か。祈りの支援である。教会は多くの人の祈りに支えられて存在する。
−第一テサロニケ1:2「私たちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています」。
・私たちは同心者の祈りに支えられている。「神共にいます」とは、生活の中では「私たちのために祈る兄弟が共にいます」という事実として現れる。自分のために祈ってくれる人の存在こそ、私たちの生きる力だ。
−第二コリント1:11「あなたがたも祈りで援助してください。そうすれば、多くの人のお陰で私たちに与えられた恵みについて、多くの人々が私たちのために感謝をささげてくれるようになるのです」。
・パウロは手紙の最後で彼らに大事なことを伝える。永遠に残る珠玉の言葉だ。
−第一テサロニケ5:16-18「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」。