2019年1月30日祈祷会(エペソ3章、神の家族なのに)
1.異邦人の招き
・前章でパウロの弟子である牧会者は、「キリストの十字架によって異邦人もまた、神の民として招かれた」と述べた。
−エペソ2:11-16「あなたがたは以前には・・・イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました・・・今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。キリストは・・・御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」。
・この奥義(ミュステーリオン、秘儀)は、かつては人々に秘められていたが、今はキリストを通して、私たちに語られている。
−エペソ3:1-5「こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっている私パウロは……。あなたがたのために神が私に恵みをお与えになった次第について、あなたがたは聞いたにちがいありません。初めに手短に書いたように、秘められた計画が啓示によって私に知らされました。あなたがたは、それを読めば、キリストによって実現されるこの計画を、私がどのように理解しているかが分かると思います。この計画は、キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが、今や"霊"によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました」。
・その奥義とは、「異邦人もユダヤ人と共に、アブラハムに為された約束の相続者とさせられた」と言う奥義である。キリストにあって、ユダヤ人、異邦人の区別なく全人類が一つにされる。救いは、個人的な魂の救い以上のものである。キリストを通して、新しい関係が結ばれることである。
−エペソ3:6「異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものを私たちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです」。
・そして私はこの奥義をあなたがた異邦人に述べ伝えるために、使徒として召されたと著者は語る。
−エペソ3:7-9「神は、その力を働かせて私に恵みを賜り、この福音に仕える者としてくださいました。この恵みは、聖なる者たちすべての中で最もつまらない者である私に与えられました。私は、この恵みにより、キリストの計り知れない富について、異邦人に福音を告げ知らせており、すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています」。
・奥義のもう一つは、召された異邦人が集められて教会を形成し、教会を通して神の業が為されるに至ったということだ。主体は教会の頭であるキリストであり、私たちはその身体を構成する手足として働く。
−エペソ3:10-12「神の知恵は、今や教会によって、天上の支配や権威に知らされるようになったのですが、これは、神が私たちの主キリスト・イエスによって実現された永遠の計画に沿うものです。私たちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます」。
・その働きの結果、「獄に捕らえられている私は、入獄を喜んでいる。私は皇帝の囚人ではなく、神の囚人なのだ」と著者は語る。著者はパウロに仕えた弟子であり、パウロの投獄の苦労を追体験している。
−エペソ3:13「あなたがたのために私が受けている苦難を見て、落胆しないでください。この苦難はあなたがたの栄光なのです」。
2.牧会者の祈り
・牧会者は膝をかがめて父の前に祈る。キリストにある全ての家族が呼び集められ、共に神の家族(パトリア)を形成して行くことが出来ますようにと。
−エペソ3:14-15「私は膝をかがめて、天上と地上で家族と呼ばれる全ての者の名の元である父の前に祈ります」。
・牧会者は祈る。最初の祈りは「内なる人を強めたまえ」という祈りだ。
−エペソ3:16-17「どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」。
・二番目の祈りは人々がキリストの愛を知り、その愛で満たされる事を求める。教会が争い続けるとしたら、それは信仰の未熟さだ。
−エペソ3:18-19「あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように」。
・神の御心は人智を超えている、だから今はわからないことも信仰によって受け入れていく。
−エペソ3:20-21「私たちの内に働く御力によって、私たちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン」。
3.エフェソ3章の黙想〜教会における一致
・エフェソ書が書かれた目的の一つは教会内に、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の争いがあり、両者が対立していたことだ。人はキリストによって霊をいただいた後でも、異民族を自分の仲間として受け入れることが難しい存在だ。教会は悔い改めた罪人の共同体であり、罪はまだ残る。
−使徒言行録11:1-3「さて、使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。ペトロがエルサレムに上って来た時、割礼を受けている者たちは彼を非難して、『あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした』と言った」。
・この差別はいくら説明されても、また信仰があっても、解決できない根深さを持つ。
−ガラテヤ2:11-14「ケファがアンティオキアに来た時、非難すべきところがあったので、私は面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです」。
・その不和の中にある教会に、牧会者は「キリストが十字架で死んで下さったのに、なぜあなた方は和解できないのか」と詰め寄る。
−エペソ2:14「実に、キリストは私たちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました・・・このキリストによって私たち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです」。
・著者が福音の秘儀と語るのは、「異邦人もまたキリストの血により救われた」との喜ばしい知らせだ。だから著者は繰り返し、キリストによる一致を語る。
−エペソ4:1-4「主に結ばれて囚人となっている私はあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです」。
・教会はキリストの体であり、私たちは教会に召されて集められたのに、実際は「居心地の良い」、「満足できる」教会を求めて遍歴する。これで良いのだろうか。
−E・H・ピーターソン著『牧会者の神学』から「現在、アメリカの牧師たちは、右から左にいたるまで、驚くべき早さで自らの役割を放棄しつつある。アメリカの牧師たちは『企業経営者』の一群に変容してしまった。…(中略)…それは『宗教という商店経営』であって、『商店経営』という点においては他の商売となんら変わることはない。目覚めている時、これらの企業家たちの心を占めていることはファーストフード店の経営戦略と同じような関心である。眠っている時、彼らが夢見ていることはジャーナリストの注目を集めるようなたぐいの成功である。
−こうしたあやまちの全責任を牧師に負わせるわけにはいかない。きわめて多くの人々が、祈り、聖書、霊的導きを生活の中から排除するという『共同謀議』に加わったのである。彼らが関心を寄せるのは牧師のイメージとか立居ふるまいについてであり、彼らの価値観で評価しうるものに対してであり、すばらしい教会建築計画や印象的な出席者の統計表であり、社会的インパクトと経済的存立に関することがらである。彼らはこうしたものにかかわる会議や予定で、牧師のスケジュールを満たすために全力を傾ける」