江戸川区南篠崎町にあるキリスト教会です

日本バプテスト連盟 篠崎キリスト教会

2019年12月18日祈祷会(ヘブル11章1-22節、信仰の先人たちに学ぶ)

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1.アベル、エノク、ノアの信仰~見ずに信じた人々

 

・著者は11章から信仰の先人たちを語る。「今あなたがたは迫害に苦しんでいるが、先人たちもそれぞれの困難の中で生きてきた。あなたがたの試練は、先人たちも経験したものだ、だから負けるな。現実の世界がどうあれ、与えられた約束を確信し、見えない事実を確認していけ。いつそれが実現するのか、私たちは知らないが、実現を信じていけ」と。

-ヘブル11:1-3「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。信仰によって、私たちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです」。

・アベルは羊の初子を捧げ、カインは土の実りを捧げた。主はアベルの捧げものを受け入れ、カインのものを選ばれなかった。妬んだカインは弟アベルを殺す。アベルは死んだが神は忘れておられないと著者は語る。

-ヘブル11:4「信仰によって、アベルはカインより優れた生贄を神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています」。

・エノクは死を経験することなく、神の元に召された。それも信仰の故だと著者は言う。

-ヘブル11:5-6「信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。・・・信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです」。

・ノアは信仰によって地が滅ぼされることを信じ、箱舟を作り、家族一同が助けられた。古代教会では、教会が主の箱舟とみなされた。ノアの信仰についてはイエスもほめておられる。

-ヘブル11:7「信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました」。

-マタイ24:37-39「人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである」。

 

2.アブラハムの信仰~約束を信じ続けた信仰の父

 

・アブラハムは主の声を聞いて、行き先も知らずに出て行った。彼は故郷の豊かな生活を捨て、召しを受けて旅立った。

-ヘブル11:8「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです」。

・そして生涯を幕屋で過ごした。子のイサクやヤコブも同じだった。この世の寄留者として過ごしたのである。

-ヘブル11:9-10「信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです」。

・サラは夫が100歳、自身は90歳でイサクを生んだ。子を生むことの難しい状況の中で、主の言葉を信じた。

-ヘブル11:11「信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです」。

・アブラハムは与えられた一人子イサクを捧げよとの主の命に従った。命令が理解できなくとも主は憐れんでくださることを信じ、主に不可能はないことを信じたからである。主が与え、主がとられる、それに従う。

-ヘブル11:17-19「信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。この独り子については、『イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる』と言われていました。アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです」。

・古代の信仰者は神の約束を信じて生きた。彼らは約束の一部しか実現していない時も、約束は成就すると信じて従った。各人の信仰は完全ではない、多くの過ちを犯した。しかし、過ちを犯しても悔い改めて従っていった。

-ヘブル11:13-16「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。・・・もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです」。

・人生とは神の国を目指す旅であり、信仰者は寄留者だ。信仰者の本籍は天にある。

-ピリピ3:20「しかし、私たちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、私たちは待っています」。

 

3.寄留者についての黙想

 

・へブル11:3は、信仰者はこの世では「よそ者」であり、「仮住まいの者」であると語る。口語訳は「地上では旅人であり寄留者である」と訳す。英訳(NKJ)では「strangers」、「pilgrims」という単語を用いる。同じ個所をTEVは「they were foreigners and refugees on earth」とする。

-ヘブル11:13(NKJ訳)「These all died in faith, not having received the promises, but having seen them afar off were assured of them, embraced them and confessed that they were strangers and pilgrims on the earth」.

・寄留者とは「巡礼者」、「避難民」、「外国人」という意味を強く持つ。梶山義夫イエズス会社会司牧センター所長はS.ハワーワス、W.H.ウィリモン「旅する神の民~キリスト教国アメリカへの挑戦」(教文館、1999年)についてコメントするが、そこではキリスト者は「aliens」(エイリアン、よそ者)と定義される。

-「二人は、キリスト者を『旅する神の民(resident aliens)』、教会をイエスに徹底して追従した『弟子たちの共同体コロニー』と呼ぶ。キリスト教史を振り返ると、コンスタンティヌス帝のミラノ勅令以降、教会は国家の有益な支持者となることを社会的使命とし、さらに19世紀に国民国家が成立すると、国家に忠誠を誓う団体となり、宗教はプライベートな領域に押し込められた。1960年代になると、欧米は徹底した消費社会となり、「キリスト教世界」が喪失する。その今こそ、福音宣教の絶好のチャンスである。このチャンスを生かすには、「何をしたらよいか」ではなく、「これが本当の世界の在り方かどうか」という問いを発しながら聖書を読み直し、また聖人たちの生き方を見つめて、神を新たに知ることが大切である」。

・トルストイは「人間にはどれだけの土地が必要か」と題する作品を書いた(トルストイ民話集、岩波文庫)。「少しでも広い土地を獲得しようとして、死にものぐるいの努力を続けて倒れた男が必要としたのは、その遺骸を葬るための身体の大きさの墓穴にすぎなかった」という作品である。作家の辻井喬はトルストイの墓を訪問して驚き、語る「草地の中に、高さ50センチほどの土がベッド状の形に盛り上げてある。ただの土を積み上げただけだからその上には雑草が生えている。それだけだ。世界一の文豪だというのに、そこには記念碑もなければ胸像もない。トルストイの遺族は、『人間にはどれだけの土地が必要か』という作品を思い出して、ベッドの大きさの土塊を積み上げ、墓にしたのではなかろうか」と。

・2010.5.30富士見町教会・上田容功牧師説教「創世記12章1節、ペトロの手紙一1章1~2節から」

-「創世記第12章1節において、アブラハムは主が語られた言葉を聞きました「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私の示す地に行きなさい」。アブラハムは、神の召命に従い、寄留者としての生涯を歩みました。神が備えてくださっている祝福を目指して、前へ前へと前進したのです。アブラハムが、神の召しに従い、父の家を離れ、寄留者として歩んだように、ペトロの手紙一の受取人である信仰者も、神の召しに従い、家族が受継いできた信仰から離れ、キリストの道を歩んだのです。そのような信仰者は、生まれ故郷に住んでいても、信仰に生かされることによって、寄留者のように感じていたのではないでしょうか」。

-第一ペテロ1:1-2「イエス・キリストの使徒ペトロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ。あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、"霊"によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれたのです」。

・説教は続く。

-「主は、祝福を与えるために、アブラハムを召し出し、慣れ親しんだ生まれ故郷から離れるように命じました。神が私たちを選び出したのも、私たち信仰者に救いという祝福を与えるためです。居心地の良い古き自分に生きていては、罪の中に安住してしまい、滅びに向かって突き進んでしまうからこそ、神は私たちを選び出し、寄留者としての歩みを与えました。苦難の道かもしれません。しかし、神は私たちを救いに与らせるために、召し出してくださったのです。まことの安息が用意されている、天にある本当の故郷に向けて、希望に導かれながら、力強い信仰の歩みを大胆に展開して参りたいと思います」。

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