1.エルサレム入城
・イエス一行は、エルサレムを眼下に望むオリ−ブ山の麓にあるベトファゲ村とベタニア村に近づいた。イエスは二人の弟子に村へ行き、「ろばの子を連れてくる」ように命じられた。ベタニア村であれば、イエスと親しかったマリアとマルタが住んでいるから、イエスの為にろばを用立ててくれるに違いない。
―マルコ11:1-3「一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアへさしかかった時、イヱスは二人の弟子を使いに出そうとして言われた。『向こうの村へ行きなさい。村へ入るとすぐ、まだ誰も乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて連れて来なさい。もし、だれかが、「なぜ、そんなことをするのか」と言ったら「主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります」と言いなさい。』」
・二人が村に着き、表通りの家の戸口に子ろばが繫いであるのを見つけ、イエスが命じられたように「主がお入り用なのです」と言うと、持ち出しが許された。
−マルコ11:4-6「二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばの繋いであるのを見つけたので、それをほどいた。すると、そこに居合わせたある人々が、『その子ろばをほどいてどうするのか』と言った。二人が、イエスの言われた通り話すと、許してくれた。」
・イエスは子ろばに乗って、エルサレムに入城される。民衆は棕櫚の枝を敷いて歓呼した。棕櫚の枝を敷くのは王を迎えるしるしだ。エルサレムでは、高名な預言者が来るとして、人々が集まって来た。不思議な力で病を治し、悪霊を追い出されるイエスの評判は都まで伝わっていた。「もしかしたら、この人がモーセの預言したメシアかも知れない」、都の人々は期待を持ってイエスを歓迎した。
―マルコ11:7-10「二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て。その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。多くの人が自分の服を道に敷き、また他の人々は野原から葉のついた枝を切って来て道に敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。『ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ』」。
・マルコ11章の平行箇所マタイ21章では、イエスがエルサレム入城時に、ろばに乗られたのは、聖書の預言の成就であったとして、ゼカリヤ書9:9を引用している。
-マタイ21:4-5「それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『シオンの娘に告げよ。見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」
・当時ユダを支配していたローマ総督は、重要祭日には、滞在するカイザリアから、戦車や軍馬、弓を連ねて、エルサレムに入城した。過越祭においては、全国から多くの巡礼者が集まり、人口が通常の10倍に膨れ、国民的な宗教感情が高まり、征服者であるローマに対する敵意から暴動となりかねなかった。ローマ軍はカイザリアから、西から、軍事力を誇示しながら、エルサレムに入る。それに対して、イエスは、オリーブ山から、東から、数人の弟子たちを従えて、「ろばに乗って」入城される。イエスの行進は、都の西側で起こっているもう一つの行進に対して、意識的に対抗するものだ。
・ろばは風采の上がらない動物で、戦いの役に立たない。しかし、柔和で忍耐強く、人間の荷を黙って、負う。人々が求めていたのは、「栄光に輝くメシア、軍馬に乗り、大勢の軍勢を従え、自分たちを敵から解放し、幸いをもたらしてくれる強いメシア」であり、「ろばに乗るメシア」ではない。人々は、イエスが自分たちの求めていたメシアではないことがわかると、一転して「イエスを十字架につけろ」と叫び始め、それが金曜日の受難へと導く。「平和の主」を拒否したエルサレムの人々は、やがてローマに対して武力闘争を行う(紀元66年-70年、ユダヤ戦争)。その結果、エルサレムはローマ軍に占領され、市街地は破壊され、神殿も崩壊する。「剣を取る者は剣で滅びる」 (マタイ26:58)のである。
2.いちじくの木を呪う
・その日、ベタニア村に泊まられたイエスは、翌日、無花果の木を見かけて、近寄り、実を求められた。しかし、実はなかった。イエスは無花果の木に呪いの言葉を投げかけられた。
―マルコ11:12-14「翌日、一同がベタニアを出る時、イエスは空腹を覚えられた。そこで、葉の茂った無花果の木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。無花果の季節ではなかったからである。イエスはその木に向かって。『今から後いつまでも、お前から実を食べるものがないように』と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。」
・柔和なイエスが本当にこのような行為をされたのか、イエスがエルサレムに入城されたのは、春の過越祭の時、その頃、無花果は葉が繁っていても実のなる時ではない。イギリスの哲学者バ−トランド・ラッセルもこの物語に違和感を覚えた一人だ。彼は随筆「私はなぜキリスト教徒とならないのか」の中で、イエスが無花果の木を呪う箇所を取り上げ、「聡明さの点でも、徳の高さでも、他の歴史上の有名な人ほど、キリストが高いと私は思えない」と、彼がキリスト教徒にならない理由の一つとしている。ラッセルは哲学者として高い評価をうけた人だが、この「無花果の木を呪う」物語の真意を理解できなかった。
・聖書にはもう一つの「実のならない無花果の喩え」がある。イエスは「実がならない無花果の木を呪う」方ではなく、「何とか実がなるように取りなしの祈りをされる」方だ。いちじくの木の呪いは、いつまでも信仰の実を結ばないイスラエルに対する裁きを象徴する行為だった。バートランド・ラッセルが、このもう一つの「実のならない無花果の物語」を読み、イエスが為されたことが「象徴行為」であることを理解したら、彼はクリスチャンになったかも知れない。
-ルカ13:6-9「ある人がぶどう園に無花果の木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、この無花果の木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』 園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください』」。
3.神殿から商人を追いだす
・イエスは神殿に入られた。中庭では両替商が銭勘定し、犠牲の羊や鳩を売る商人たちの声がやかましかった。イエスは憤られて、両替商の台や鳩を売る者の腰掛をひっくり返された。
―マルコ11:15-16「それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。また境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。」
・神殿で贖罪に献げる動物は羊か山羊と定められていたが、貧しい人々には値段の安い家鳩や山鳩を身代わりに献げて良いと定められていた。いずれの場合も犠牲の動物は、清く傷のないものとされており、その判定は、祭司の権限に委ねられていた。そこに祭司と動物を商う業者が結託する隙間が生じていた。また両替は当時流通していたギリシャやローマの貨幣をユダヤの貨幣(シュケル)に交換するため必要で(外国の貨幣は汚れているため神殿に納めることは出来ないとされていた)、そこには大きな利ざやが生じていた。民に仕えるべき神殿祭司が犠牲獸の販売や両替という商行為を通して民から利益を貪っている、イエスはそのことを批判された。
-マルコ11:17「そして、人々に教えて言われた『こう書いてあるではないか。私の家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちは、それを強盗の巣にしてしまった』」。
・この怒りは預言者の怒りである。エレミヤもかつて同じ怒りを示して神殿崩壊を預言し、祭司たちに捕らえられて殺されようとしている。イエスもまたこの行為を通して「涜神罪」に問われていく。
-エレミヤ7:10-11「私の名によって呼ばれるこの神殿に来て私の前に立ち、『救われた』と言うのか。お前たちはあらゆる忌むべきことをしているではないか。私の名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。その通り、私にもそう見える、と主は言われる」。
・エレミヤが迫害されたように、神殿批判をされたイエスを、祭司たちは殺害しようとする。
-マルコ11:18「祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った」。
・いちじくの木の呪いは、いつまでも信仰の実を結ばないイスラエルに対する裁きを象徴する行為だった。神殿から商人を追い出したのも、信仰の指導者であるべき祭司が神殿を利用して利益を貪り、本来のあり方から逸脱していることを批判する象徴行為だった。実を結ばないいちじくの木を呪うことを通して、不信仰の結末は神の裁きによる滅びであることをイエスは預言し、神殿崩壊の預言はたとえエルサレムに主の神殿があったとしても信仰がなければそれは崩れるとの預言だったのである。そして紀元70年、エルサレムはローマ軍に占領され、市街地は破壊され、神殿も崩壊する。40年後であった。